【京都から博多まで】
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
子どもキャンプから逃げ出した私は、信濃大町駅から大阪行きの特急しなのの
列車が大阪駅に到着したのは、夜7時頃であった。
その頃、子どもキャンプの一行は
今ごろ、子どもたちは晩ごはんを食べたあとものすごくせまい居間でテレビを見ているだろう…
子どもたちは、長野放送(フジテレビ系)の夜7時台のアニメ番組の今週の話が楽しみだと言うてウキウキしていた。
それを聞いた私は、より激しい怒りに震えながらつぶやいた。
私は…
あななせまくるしい
くみ取り式トイレから放たれた
ものすごく狭い居間に置かれている1台のテレビの前に子どもたちが群がっていた…
子どもたちが見ている同じ番組と言うたら、アニメしか知らないのか…
ヒジョーにくだらん!!(巨大激怒)
冗談じゃない!!
あなな
私は、死んでしまう…
そのように私が言うと、周りの
こなな
こなな
そして、うんと遠くにある
私の心が大きく傷ついていたと同時に、気持ちもひどくすさんでいた。
私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、日本人の名前だけど日本人ではない…
日本国籍は、生まれた時からなかった…
また、韓国・中国・ロシア・ミャンマー・北朝鮮・イラン・イラク・シリア・モロッコ以外のアフリカ・イエメン・アルヴァニア・ヴェラルーシ・コロンヴィア以外のラテンアメリカ地域…の国籍も保有していない…
…と言うことである。
私は1971年11月30日にこの世に生まれた。
私は、他の同い年の子どもたちと全然違う能力を保有していた…
だから、同い年の子どもたちと同じ行動をすることができん…
だから、キャンプに参加していた子どもたちとなかよくできんかった。
もうイヤや…
こなな
こなな
大急ぎで、
私の頭の中は、日本から出国したい気持ちでいっぱいであった。
(ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、夜10時半過ぎであった。
私は、寝台特急なは号に乗って西へ向かった。
列車の行き先は、
私は、B寝台の個室(座席ベッド)席にいた。
この時、
8月11日の朝5時50分頃であった。
列車は、門司駅に到着した。
列車は、トランジット(電気機関車をつなぎ直す作業など)で1時間ほど
私は、この時に目覚めた。
今治で待っている生みのママのもとへ帰りたい…
…と思っていたが、急にこわくなったのでイヤになった。
生みのママが待っている家に帰りついても、優しく迎えてくれないと思う…
生みのママは、私のことはきれいさっぱりと忘れているだろう…
せやけど…
信州ヘ引き返すのはものすごくイヤや!!
キャンプに参加している子どもたちからまたきついいじめを受けると思うとヘドが出るわ!!
だが、生みのママのもとへ帰ることもイヤや!!
私がそのようになった元凶は…
私がこの世に生まれて来る前にあった…
すべては…
1971年の秋に発生した…
あの事件のせいだ…
あの事件のせいで…
私の人生は…
何もかもがワヤになった…
何が子どもキャンプだ…
何が規則正しい生活だ…
何が楽しい子ども時代だ…
ふざけるな!!
3歳9ヶ月の私は、毛布にくるまった状態で全身をワナワナと震わせながら怒りまくった。
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