第22話

「はい……」


 楓が応接室のドアをノックすると、機嫌の悪そうな声が聞こえた。


「失礼致します」


 楓はゆっくりとドアを開けた。英治もその後に続く。


 姫川りんご(もちろんペンネームだ)は赤の太縁メガネ、肩まで伸びた外はねの黒髪、白いシャツに赤いパーカー、赤い水玉のスカート、白いソックスに赤い靴という出で立ちだった。

 小柄な体に赤が良く似合っていた。

 待ち時間で文庫本を読んでいたようだ。姫川は英治の姿を認めるとすくっと本を置いて立ち上がり、目を見開いてずんずんと英治の方に向かってきた。


 ――やばい、やっぱり怒ってる……これは謝るしかない……


「ごめんなさいっ!!!!」

「ありがとうございますっ!!!!!」


 英治と姫川の声が重なる。


「……えっと……姫川先生……?」


 見ると姫川は先ほどとは打って変わってうっとりとした目つきになっていた。


「よかったぁ……やっと言えたぁ……放送が終わってすぐお礼をお伝えしたかったのに、体調不良と伺って……ドラマの疲れが出たんですかね」


 姫川は俗世間の話題に疎かった。何故英治が休養していたかそこまでは把握していないようだ。


「え……あ、そ、そうですね……不摂生……ですかね……」


 英治は目を泳がせながら精いっぱいの言葉を探した。


「いろんな方にいつ復帰なのか伺っていたら、今日とお聞きしたのでいてもたってもいられなくなって……こちらに来たんです」


 英治の復帰はトップシークレットだったが、一体誰が話したのだろうか。

 が、この熱量で来られたら自分でも口を割ってしまうかもしれない、英治はそう思った。


「本当に甘宮の撮影お疲れさまでした。あのドラマがきっかけで沢山の方が原作を読んでくださりました。英治さんが甘宮を演じてくださったお陰です」


 ようやく落ち着いたのか、姫川は改めてお辞儀をした。

 怒られるのではなくて良かった。英治はほっとしながら言った。


「いえ、もともと原作が面白いので。多くの方がそれに気づく機会を作れたならよかったです」


 言葉にも全く偽りはなかった。英治も撮影に入る前に原作を読んだが、出てくるスイーツの描写、個性的なキャラクター、そしてミステリーとしての面白さ、どれをとっても魅力的だった。

 英治からそう言われ、姫川は感無量、という表情をした。


「実は私、甘宮を書いた後、スランプになっていて……ドラマの放映を記念にして筆を折ろうかと思っていました……でも、テレビの中で動く甘宮を見ていたら、急にインスピレーションが湧いてきて!」


 またスイッチが入ったのか、姫川の鼻息が荒くなった。


「今、甘宮のSeason2の執筆中なんです!また英治さんに甘宮を演じてほしくて、今日はそのお願いもしようと思い伺いました!!」

 

 大分気の早い話だった。


「あ、ありがとうございます。俺で良ければ是非……というかあの、俺で良いんでしょうか……?」

 

 英治の言葉に姫川はきょとんとした顔をした。


「……英治さん以外に一体誰が甘宮を演じられるんですか?」


 一息ついた後姫川は一気に話し始めた。


「アーモンドのようなキレイな眼に、キャンディみたいな艶っぽい唇、チョコレートのように大人っぽいようで甘い顔立ち……英治さんは、正に!私が思い描いていた甘宮なんです!相田プロデューサーから英治さんの写真を見せて頂いたときは!ホントに甘宮が!本から出てきたのかと思って!!」

「あ、ありがとうございます……」


 スイーツに例えられたのは初めての経験だったが、褒められているのは確かだろう。


「俺、てっきり怒られるのかと思ってました……回を重ねる毎に甘宮のイメージから遠ざかってたので」


 自分で「太った」とは言いたくなくて、英治は言葉を濁しながら苦笑いした。


「え?」

「いや、何でもないです。あ、これ、おみやげです。この近所にある人気のケーキ屋さんのクッキー、もしよろしければどうぞ!」


 それ以上の追及を避けようと早口でそういう英治を見て、姫川は不思議そうな顔をしていたが、英治から受け取った手提げの中を覗いて目を輝かせた。


「これ、シュクルグラスのですか!?私大好きなんです!!」

「良かったぁ」

 

 ありがと、かえでちゃん――姫川に気づかれないように英治はそっと楓に目配せした。


「甘宮からクッキーを貰えるなんて……嬉しいです。食べるの勿体ない」

「スイーツを粗末にするなんて僕にとっては人を殺めるのと同じくらいの重罪……ですよ」

 英治は甘宮のセリフを引用して答えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「はぁー……」


 すっかりご機嫌になった姫川を見送った英治は深い溜息をつく。


「英治、お疲れ様」


 姫川のパワフルさに楓も苦笑いだった。


「……撮影より疲れたかも……」

「ほ、ほら、怒られなかったんだから良かったじゃない」

「うん……」


 ふーっともう一度息を吐いて英治は言った。


「社長に挨拶したら俺帰るね」

「家まで送ろうか?」

「ううん、かえでちゃんこれからお仕事なんでしょ?タクシー拾うか歩く」

「そう……疲れてるのにごめんね」


「ねぇ、かえでちゃん」

 申し訳なさそうに謝る楓に首を振って、英治は言った。

「ごほうびいつくれるの?」

「……」


 楓は頬を赤らめた。


「……ちゃんと連絡する……」

「うん、待ってるね!」


 英治は満面の笑顔を楓に向けて手を振り、社長室へと向かって行った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鳴海が書類に目を通していると扉をノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 鳴海は書類から目を離さずに答えた。きっと社員の誰かが来たのだろう。


「失礼します」


 声を聞いて違うと気づいて書類から目を離した。

 宮本英治だった。


「……なんだ、元気そうじゃん」

「……はい、ご心配をおかけしました。今日仕事復帰しました。これからまたよろしくお願いします」


 英治はそこまで言って深くお辞儀をした。


「……今回のことは本当に申し訳なかった」


 鳴海は席を立って英治に頭を下げた。

 いつも殊勝なイメージしかなかったので英治は驚いた。


「いや、あの、社長も悪くないというか……仕方なかったんだと思います」


 どう言うのが正しいのか正直英治にも分からなかった。

 でも誰かを責めても意味がないということだけは分かっていた。


「ありがとう」


 そう言って鳴海は笑った。


「気持ち悪いから貸しにしといてくれ。何かある?欲しいものとかやりたいこととか」


 ――欲しい――そう言われて、英治の頭には楓の顔が思い浮かんだが、すぐに振り払った。

 楓が英治を100%受け入れてくれないのは「きっと事務所が受け入れてくれない」ということも要因だろう。

 でも、それをクリアしたからとて、すぐ楓が受け入れてくれるわけではない。

 英治にはそれが分かっていた。


「何か大事な時のために取っときます。今後何があるか分からないですし」


 英治は冗談めかして言った。


「怖いこと言うなよ。不祥事は勘弁してくれよ」

「不祥事なんて起こさないですよ!所属タレントに向かってひどくないですか!?」

「あー、うるさい!このご時世色々面倒なんだよ!!もう用ないなら帰れ!」


 鳴海は手で英治を追い払って、出ていくように促した。

 英治は口をすぼめて回れ右をして扉の方に向かって行った。


「あ、英治」


 鳴海に呼び止められ、英治は顔だけ鳴海の方へ向けた。


「男前度、上がったな。これから楽しみにしてる」


 鳴海はほとんど人を褒めない。思ってもみない言葉に英治は面食らったが癪だったので顔には出さないように答えた。


「褒めても貸しはチャラにならないですよ。でも……頑張ります」


 そう言って英治は社長室を出ていった。

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