第11話
英治の健康診断と問診の結果を西村くんから共有を受けたところによると、急激な体重の増加を除いては特に検査は異常なし、過食と不眠の傾向は見られるが既に快方に向かっている模様。この先1か月は週一回のカウンセリングと規則正しい生活で様子を見て、その後再度医師の問診を受けて復帰の時期を検討することになった。
医師からは「一人でいると過食しやすいと言われているので、可能な限り誰かとご飯を食べてくださいね」と言われたらしい。そのため、基本お昼は事務所のスタッフが交代で英治の家でご飯を食べることになった。今日は楓の番だ。
セキュリティを抜けて、英治の家の前に着く。ここに来るのはあの日追い出された時以来だった。
少しインターフォンを押すのを躊躇ったが意を決してボタンを押した。
インターフォンを押しても部屋の主はなかなか出てこない。
やはり向こうは会いたくないのだろうか……。
そう思っていると扉が開いた。
「……かえでちゃん、いらっしゃい」
ドアから英治が恥ずかしそうに顔を出した。
サイドを短く刈上げ、中央部分の髪を逆立てている。ソフトモヒカンというんだろうか。ボサボサだった髪がすっきりしていた。
顔色はこの間見た時よりも格段に良い。ぷくっとした頬のせいか少し幼く見える。
以前を知っている人が見るから太ったと言われるのだろうが、今の英治もとても可愛らしかった。
「……そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
英治は沈黙に耐えかねて口を開いた。楓はつい見とれてしまったようだ。
「……髪切ったんだ、似合うね。そんなに短くしたの久しぶりじゃない?」
英治はどちらかというといつも耳に掛かるか掛からないかくらいの長めの髪型を好んでいた。
「多分20代前半以来じゃないかな。美容室行ったら『下手に隠すより出した方がいいよ』って問答無用でバッサリ切られて……」
相変わらず英治は楓を真っすぐに見られずにいた。
「あ、ごめんね、中入って。」
英治は楓をあまり見ないまま中に招き入れた。
部屋は「いつもの英治の部屋」だった。ゴミは散らばっておらず、キレイに片付いている。
「かえでちゃんは?お昼持ってきたの?」
英治はお湯の準備をしながら楓に尋ねた。
「あ、うん、電子レンジだけ借りてもいい?」
「うん、どうぞ」
英治は楓を見ずに戸棚の中を探りながら答えた。
「あ、インスタントのお味噌汁だけど、かえでちゃんも飲む?」
「じゃあ頂こうかな、ありがとう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いただきまーす」
準備を終えて二人は食べ始める。
英治の昼ご飯は玄米ご飯とお味噌汁、鶏の照り焼きと切り干し大根。
「結構しっかり食べるんだね」
楓には少し意外だった。ブンちゃんのダイエットだからよっぽどきついのだろうと想像していた。
「うん、俺もびっくり。でもブンちゃんが言うには俺は今栄養失調の状態だからちゃんとバランス取れた食事取らないとダメだって」
こんなに肉ついてるのにね、英治は自分の頬をつまんで自虐的に言った。
「かえでちゃんはお弁当?自分で作ってるの?」
楓のお弁当は海苔が載ったごはんに卵焼き、いんげんの胡麻和え、焼き魚というものだった。
「うん、最近時間あるし、そんなに外回りもいかないしね」
「それは……俺がお休みしてるからかな」
英治は申し訳なさそうに言った。
楓は首を振る。
「英治が気にすることじゃない。もしそうだったとしても、ここ最近忙しすぎたからちょうどいいの。STARSのチーフマネージャーになってから全然余裕がなかった」
「そっか」
本音なのか楓が気を使ってくれているのかは英治には分からなかった。
「ねぇ、かえでちゃん」
「ん?」
「今度俺にもお弁当作ってくれたりは……」
「しません」
「……ですよね」
即答はしたものの楓は嬉しかった。
いつもの英治が戻ってきたような気がしたからだ。
食事の時間はあっという間に過ぎた。
「ごちそうさまでした」
その後しばしの静寂が訪れる。
「英治……」
楓は口を開いた。
「する?」
「かえでちゃん……」
英治は少し驚いたように答える。
「かえでちゃん……今お仕事中だよね?」
楓はがんっとテーブルに頭を打ち付けた。
しまった、ついいつもの癖で……私は何と馬鹿なことを……。
後悔してももう遅かった。
「やだー、かえでちゃんたら、やらしいー。お仕事中もそんなこと考えてるの?」
英治はニヤニヤしながらここぞとばかりに楓をからかう。
「もうやめて……忘れて……」楓は耳まで真っ赤である。
「ありがと、でもそうじゃなくてもやめとく」
英治は少し微笑みながら伏し目がちに答えた。
「服着てる状態でも今日かえでちゃんに会うのホントに恥ずかしくて、その上、裸見られるなんてちょっと俺耐えられない」
それで英治はなかなか部屋から出てこなかったのか。
「確かに英治太ったけど……」楓は口を開いた。
「もういいから、分かってるから」
ここ最近太ったと言われすぎている英治はうんざりした声を出す。
「でも、今の英治も素敵だと思うよ」
「……かえでちゃんにそう言われちゃうとダイエットの決意が揺らぎそうなんですが……」
英治はまた恥ずかしそうに楓から目を逸らした。
「だから無理はしないでね」もう英治が苦しむ姿は見たくないのだ。
「ありがと」英治は微笑んだ。
「でも、自分で決めたことだからちゃんと痩せる。それに……」
「それに?」
「お気に入りの服がほぼ全滅で、痩せないと着られる服がないんです」
英治があまりに悲しそうに言うので、楓はつい吹き出してしまった。
「もぉー!そんなに笑うことないでしょ!!?真面目に悩んでるのにー!!」
以前のように二人で笑いあえる、そんなことだけで英治と楓は物凄く幸せを感じていた。
「さって、お皿洗おうかな」
英治は食器を持って流しの前に立った。
その後ろ姿を見ていたらいたずら心がむくむくと湧いてきた。
楓は衝動的に英治に抱きついた。
「にょわ!?」英治は咄嗟のことに奇声を上げる。
「かえでちゃん!?ハレンチ!てかやだやだやだ、お腹触んないで!!」
「だって……痩せたらもう宮本英治のぽよぽよのお腹は触れないでしょ?」
「もぉぉぉ……好きにしてください……」
英治は観念したように腹筋の力を抜いた。その瞬間、楓の腕にふよっと柔らかい感覚が伝わってきた。
「ふふふ」
「笑わないで下さい」英治は憮然とした。
「クマさんみたいだな、って」
「どういうことよ、それ」
「うちの実家に大きいクマのぬいぐるみがあるんだけど、それを思い出した。小さい頃は一緒じゃないと眠れなかったな」
楓の大切な思い出のようなので嫌な気はしなかったが、クマみたいと言われた英治は複雑な気分だった。
「……ねぇ、かえでちゃん」英治は食器を洗いながら言う。
「俺、元通り痩せられるかな」
「英治、それブンちゃんの前で言ったら命がないわよ」
――確かに「私のこと信用してないの……?」とぶっ殺されるだろう。英治は想像だけで身震いした。
「まぁ、もし万が一痩せられなかったら、どうしたらいいか一緒に考えよう」
「……うん」
「まずは自分が納得できるまで頑張りなさい!」
楓は腕をほどいて英治の背中を思い切り叩いた。
「いったい!」
「弱音ならいつでも聞くから」
「ありがと。ねぇ、かえでちゃん」
英治は楓に向き直った。
「ちゃんと痩せたらご褒美くれる?」
「……何?」
もちろん英治に何かしてあげたい気持ちはあるが、とんでもないことを言われてしまうと困る。楓は怪訝な顔をする。
「あのね……」英治は楓の耳元でそっとささやいた。
「……考えておく。ちゃんと痩せたらね」
楓が即答で断らないということは大抵OKだ。
英治は何だかいくらでも頑張れそうな気持ちになった。
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