柔らかい鏡
のびらみちとし
暗章
空船
パブラゴ帝国空軍第30師団キャスギャ長。それが学校を出て配属された僕の肩書きだった。
長とついているけれど何も偉くはなくて、要するに整備を行うグループの、末端の末端をあずかるということだ。僕の同僚はふたりの子どもを残してきた父親で、片足が無かった。
このところ戦況が悪化し──我が国の奮戦によりもうじき勝利に終わるだろう、その最終作戦に臨む勇士を──と、隠されていたが、肉体が不自由な者や、年齢に達していない者、逆に年老いすぎている者など、のべつまくなし徴兵されていた。
僕も実は2年くらい、規定の年齢には届いていなかった。望んだことではなかったが、実際に空船を手当してやれるのはまだしも幸運に寄った地獄だった。
僕は空船の骨格や、見た目や、飛ぶ姿や、ギュウギュウと唸り声を上げる音や、熱い鼻息など──ひっくるめて全部が好きだった。
僕の住んでいたところでは空船をよく育てていたし、父は愛情を持って接していた。
「なあ、ロロイよ。お前は空船と友だちになれるように努めなければ駄目だよ。そしていつでも自由な空に飛んでいけるようにならなきゃ」
その頃はまだ空がきれいな青であったから、夢のある話だと思っていた。でも、多分父はこうなることを恐れて、逃したかったんだと思う。
父が連れられて帰ってこなかった後、僕は都会の学校に入れられて、そして気がつけばここにいた。
第30師団は後方に配属され、空船の整備と手当を一番に行う。
轟音と爆風に身を劈かれるようになりながら、命のない船から逃げてくる空船に飛び移り、かれらの肉体の損傷を治す。
しばしば、同胞たちが燃えたり、落ちていくのは無視しなければならない。ここで求められている働きは、ただ空船に集中することだけ。一刻も早く治して、また前線に送り込まなければならない。
焼けただれて涙を流す空船を見るのは辛かった。パーツは取り替えられるけど、痛みだけはずっと長引く。行きたくないのに無理にバカになる薬を飲ませて送り出すこともあった。
それらは帰ってこなかった。どんどん、数が減っていった。どんどん。
僕は平和な頃の空船の姿を思い浮かべながら、自分たちが生き延びるため、ズタボロになった空船を誤魔化した。あの頃のきれいな空じゃなくて、悲鳴と怒号と恐怖が渦巻く、こんな空に押しやった。
何日、その生活が続いたのかわからない。昼なのか、朝なのか、夜なのか。
泥のような一瞬の気絶の後、何かが僕の手に触れた。整備室の中ではっと目を見開くと、空船の取り替えたパーツが、僕のことをじっと見ていた。
本体と通じていないので、もう涙は流していない。その透明な目はただ、僕のことを見ている。何故かその目が父だと思った。いいや、極限の疲れからくるまやかしだろう。
そう思った次の瞬間に、かれはまるで縋りついているようだと思った。
「空に出たいの?」
気がつくと僕はそう口走っていた。かれ──空船の一部はまたこつりと僕の手を叩いた。
ぼんやりする頭に活力がみなぎった。もうどうにでもなれという気持ちが、僕の心を奮い立たせた。この整備室には空船の取り替えられたパーツがたくさんある。
ほとんど焼けただれていて、長く動作するはずはないが、それでも短い間だけは飛ぶことができる。
僕は最後に、この空船の体を作ってやろうと思った。疲弊して眠りこけている同僚を起こさないように、次から次へと無念を抱いたかれらのパーツを集め、それを組み立てはじめる。
奇妙なことに、その間空は静かだった。僕は夢中になって、一人用の空船を作り上げた。
空船のつぎはぎの体を軽く叩いて、いつでも飛べるようにする。遠隔でハッチをこじ開けると、すぐにけたたましい警告音が鳴った。
僕と空船は何も見ずに飛び出した。あたりは夜だった。久しぶりに、煙と熱のない、静かな夜空がそこにあった。
上と下とない、満天の星星。細かな陰影を描く雲と影。向こう側には何もない。
後ろで怒号と銃が当てつけられるのを感じながら、空船は巧妙にそれをくぐり抜ける。
すごい。僕は必死で、かれが望む限界を手伝った。冷え切った風が頬を刺し、空に響く警告音が頭を邪魔しようとする。
気がつくと分厚い雲の向こう側に突き抜けて、その後を爆音が襲った。
死んだと──宙に落ち、粉微塵になったと思ったのに、僕たちはまだ生きていた。
静まり返った空、どこまでも続く雲の海の中を漂い、飛んでいた。
戦場から逃げられるはずはない。捕まったら見せしめに処刑されるだろう。そんなことがどうでもよくなるくらい、きれいな空だった。
冷たくて息がしにくい。だからか、苦しくて涙が出る。嬉しくて涙が出て、それがすぐに凍っていく。
今この瞬間、多分、この空で一番自由なんだ。
「空船、行けるところまで行こう。僕たち」
かれは満足げに、ギュウギュウと声を絞り出してくれた。
お題:戦艦の体験
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