第63話 ヒナの覚悟

 異界が門を閉じた後も、空也くうやは手を伸ばしたまま動けなかった。


 ——何が起こった?

 ——なぜ異界に入れなかった?

 ——あの異界への侵入を阻んだ力は何だ?


 ——沙希さきは、どうなった?


「な、何が起こったの⁉︎ 沙希はっ⁉︎」


 美穂みほがヒステリックな声を上げた。

 空也は少し冷静さを取り戻した。自分より取り乱している人を見ると落ち着くというのは、どうやら本当らしい。


 空也は【精神統一せいしんとういつ】を使った。

 それでも完璧に平常心に戻れたわけではないが、状況を整理する余裕はできた。


「沙希は、突然発生した異界に取り込まれました。異界に入ろうとすると、謎の力に弾き返されました」

「同じく……」


 何なのアレ、とミサが呟いた。


「わからない。けど、今やるべきことならわかる」


 空也は目を閉じて【索敵さくてき】を発動させた。

 異界の中に一人でも生者がいる限り、異界と現世を繋ぐ門は完全に閉じることはない。空也は、一秒でも早くその門——空間の裂け目を見つけて異界に侵入するつもりだった。


 しかし、門を見つけることはできなかった。

 空也に見つけることができたのは、とある一点にある「ナニカ」の気配だけ。それが門であるかどうかまではわからなかった。


 空也さん、とヒナが震えた声を出した。


「異界の気配、見つかりましたか……?」


 その顔は泣きそうになっている。彼女も【索敵】をしたのだろう。


「見つからなかった」


 空也は首を振った。けど、と空也は素早く続けた。


「ナニカの気配は掴んだ。全く関係ないものの可能性もあるけど、今はこれに賭けるしかない——ミサ」

「えっ、私?」


 ミサが驚きの表情を浮かべ、自分を指さした。


「私【索敵】苦手だけど——あっ、そうか!」


 ミサが手を叩いた。


「融合魔法!」


 正解、と空也は頷いた。


 融合魔法は二人で新しい技を作り上げるのが一般的だが、二人同時に同じ技を発動して、その技の強度を高めるという使い方もある。


 ただし、融合魔法にはそれ相応のリスクもあった。

 融合魔法を使う際には、二人の魔力の波長を合わせる必要がある。このときに相手の魔力に引っ張られすぎれば、今後思うように魔力を使えなくなる恐れがあるのだ。


 しかし、ミサの目を見れば、そんなことを怖がっていないのは明らかだった。


「やろう」


 空也はミサに手を差し出した。


「うん」


 ミサが強く握りしめてくる。


操縦・・はお願い」

「任せて」


 空也は頷いた。操縦とは融合魔法を扱うことだ。


 空也は繋がっている手を伝うイメージで、ミサに魔力を流した。ミサからも魔力が流れ込んでくる。

 お互いの魔力の波長を感じ、すり合わせていく。


 調整は三十秒ほどで完了した。


「よしっ、やるよ——【索敵】」

「【索敵】」


 同時に【索敵】を発動させる。

 操縦は任されているので、そこからは自分だけで【索敵】をするのと同じだ。


 空也は先程感じた「ナニカ」の気配を探した。それはすぐに見つかった。

 意識をそこに集中させる。


「くっ……」


 しかし、先程よりもより鮮明にナニカがあるとわかるだけで、それが異界へと続く門なのかはハッキリしなかった。


「ミサ」

「……うん」


 空也とミサは【索敵】を解いた。

 雰囲気から、周りで見ていた三人は結果を察したようだ。


「駄目だったか……」


 大河の呟きに、空也は頷いた。


「ナニカがあるのはハッキリと感じられたのですが……」


 空也の視界の端で、ミサが拳を握りしめる。

 自分を責めているということは痛いほどわかったが、空也は慰める言葉を持たなかった。


 あの、とヒナが手を上げた。


「【索敵】なら、私と空也さんの融合魔法じゃ駄目なんですか?」

「駄目っていうことはないけど、危険だ」


 空也はあえて語気を強めた。


「融合魔法自体のリスクもあるし、融合魔法の使用中は一心同体。僕が異界に入れたとしたら、十中八九ヒナも異界に入ってしまう。それは——」

「何だ、それだけですか」


 ヒナが挑戦的に笑った。


「その程度のリスクなら余裕で呑めます。空也さん、お願いします」


 口調こそ丁寧だが、ヒナの目には絶対に退かないという強い意志が感じられた。

 空也はもう、制止の言葉はかけなかった。


「……わかった」

「ありがとうございます」


 ヒナが手を差し出してくる。空也はその手を強く握った。


「門が見つかっても、開く際にはほとんど役に立てませんが……」

「見つかりさえすれば大丈夫。こじ開けるから」

「意外と脳筋ですね」


 ヒナがふっと笑った。


「いくよ?」

「はい」


 無事に波長を合わせることに成功し、空也はヒナと同時に【索敵】を発動させた。

 ——発動させた瞬間、空也はいける、と確信した。


 空也が見つけた「ナニカ」は、やはり異界への門だった。ヒナがあっ、と声を上げた。

 空也は門に全力で魔力を注ぎ込んだ。徐々に空間の裂け目が広がっていく。


「本当に一人でこじ開けるとか、デタラメですね」


 ヒナが呆れたように笑った。


 間もなくして、裂け目は人が通れるほどに広がった。

 空也は、躊躇ちゅうちょなく異界に飛び込んだ。




◇ ◇ ◇




 異界に飛び込んですぐ、空也は【索敵】を使うまでもなく沙希を見つけた。

 沙希の近くには一組の男女がいた。女は、沙希に手のひらを向けている。


「沙希!」


 ヒナが叫んだときには、空也はすでに【魔包弾マギア・ポリオルキア】を発動させていた。

 無数の魔力の塊が、雨のように男女に降り注ぐ。


「おおっと!」


 二人は後ろに大きく跳躍することで、空也の【魔包弾】を逃れた。


 空也は沙希を背に隠した。


「沙希!」


 ヒナが沙希に駆け寄る。空也は二人を結界で覆った。


「出会い頭に魔法ぶっ放すなんて、ちょっと失礼じゃないかい?」


 軽そうな雰囲気の男が、肩をすくめた。


「友達が攻撃されそうになっていたからね。それに——」


 空也は二人を正面から見据えた。


「お二人とも、ただの人間じゃないみたいだし」

「おいおい」


 マジか、と男が笑った。


「さすがだね——瀬川せがわ空也くうや

「自己紹介の必要はないみたいだね。なら、そっちも素性も教えてくれると助かるんだけど」


 そうは言ったものの、空也は相手が素直に喋るとは思っていなかった。


「良いよ。俺は太一たいち、こっちが百合ゆりだ」


 しかし、空也の予想に反して、男——太一はあっさりと正体を明かした。女、百合も特に慌てたりはしていない。


 なるほどね、と空也は頷いた。


「生きて帰らせる気はないわけだ」

「そういうこった」


 太一は笑みを浮かべて頷いた。


「君はバカ強いから、代わりに沙希ちゃんでも殺そうと思っていたんだけど……そっちから来たなら願ったり叶ったりだよ」


 太一と百合から殺気が漏れ出す。


 しかしそれはあくまで漏れ出した程度で、まだすぐには仕掛けてこない、と空也は判断した。

 空也は【索敵】をした。そういうことか、と空也は納得した。


「この異界は、瑞樹みずきの呪術と貴方たちの合わせ技か」

「……何?」


 空也の前で初めて、太一が笑みを消した。


「正解だったみたいだね。貴方たちは、瑞樹の命懸けの復讐の代行者というわけだ」

「……天は二物を与えないなんて、やっぱり嘘だね」


 太一と百合が同時にため息を吐いた。その目の色が変わる。


 ヒナ、と空也は背後に呼びかけた。


「沙希を起こすのに全力を注いで。絶対に結界から出ないように」

「はいっ」


 負けないで、という言葉を背に、空也は魔法の構築を始めた。

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