第61話 心

 ——まずいな。


 沙希さきは、太一たいち百合ゆりを前に焦りを抱いていた。

 与えたダメージで言えば沙希のほうが勝っているのだが、折っても切っても彼らはすぐに再生し、平気な顔で攻撃をしてくるのだ。


「ぐっ……!」


 太一の魔法が沙希をかすめる。

 徐々に押され出しているのを、沙希は自覚していた。


 しかし、沙希が肩で息をし始めたころ、二人は突然攻撃をやめた。


「ねえ」


 太一が話しかけてくる。沙希は【魔包弾マギア・ポリオルキア】を放つが、彼らは攻撃する気をなくしたのか、防御に専念し始めた。

 沙希は不気味さを感じて、攻撃をやめた。残っている魔力を考えても、今の状況で闇雲に攻撃をするのは得策ではない。


「おっ、やっとお話する気になった?」

「……何?」


 沙希は、戦闘が始まってから初めて、太一の言葉に反応した。

 これはチャンスだ、と沙希は思った。会話を長引かせれば魔力と体力、そして集中力を回復させられるし、相手が調子に乗ってボロを出すかもしれない。


「大事なことを教え忘れていたと思ってね。君、三日前に胸に小さな痛み感じたでしょ」

「それが何……まさかっ!」

「そう」


 太一が楽しそうに頷いた。


「あれは、クイを打たれた痛みだよ。そのクイを起点にして、この異界は作られた。君がもし胸の痛みを瀬川せがわ空也くうやに告げていたなら、もしかしたら異界の発現を防げていたかもしれないし、少なくとも辺境に行ったりはしなかっただろうね」


 太一はやれやれ、と肩をすくめた。


「あの状況じゃ、些細な違和感も見逃すべきじゃなかった。君の一つの判断ミスが、今の結果に繋がっているんだよ」

「っ……」


 沙希は唇を噛んだ。

 太一の言葉は正論だった。

 彼の言っていることが事実なら、沙希は自らの判断ミスで現在の状況に追い込まれていることになる。


 そして同時に思う。太一たちが突然攻撃をやめたのは、沙希を精神的に追い詰めるつもりなのだろう、と。


「そして、君の死とその原因を知ったとき、彼は猛烈に後悔するだろうね。なぜ、あのとき違和感に気づけなかったのだろうって」

「空也にそんな後悔はさせない」


 沙希はかぶりを振った。


「私が今ここで、貴方たちを倒せば良いだけ」

「まあ、そうなるよね——もし、窮地に立たされているのが君だけなら」

「……どういうこと?」

「さっき僕が言ったこと、覚えている? 瀬川空也みたいな良い子ちゃんタイプは、自分が死ぬより、自分のせいで親しい人間が死ぬほうが嫌だろうって」

「それが何」

「まさか、瑞樹さんの復讐なのに、君一人だけ殺して俺たちが満足すると思う?」

「なっ、まさかっ⁉︎」


 沙希は目を見開いた。


「そう。今この瞬間も、九条くじょう家は襲われているんだよ」

「っ……!」


 沙希はニヤニヤ笑う太一を睨みつけた。


 しかし、沙希はすぐに自分を落ち着かせた。

 今の九条家にはミサもいる。Sランク冒険者である彼女と九条家護衛隊が手を取れば、やられることはないだろう——。


「今、沙希ちゃんこう思っているでしょ? 片桐かたぎりミサがいるから大丈夫だって」

「……だったら何」

「見てごらん——九条家がどうなっているのか」

「はっ? ——なっ!」


 沙希は思わず目を覆った。

 いきなり、視界に人が切り裂かれる光景が飛び込んできたからだ。


 しかし目を覆っても、その光景は消えなかった。


「なっ——」

「ああ、その映像は僕が君に見せているんだ。脳内に直接送り込んでいるから、目を閉じても見えちゃうよ」

「っ……!」


 沙希は息を呑んだ。太一の言う通り、目を閉じても映像が流れ続けるからだ。

 沙希の視界・・・・・で、九条家護衛隊の一人が魔法で胸を貫かれる。


「……やめて!」


 耐えられなくなって、沙希は叫んだ。


 しかし、瑞樹の復讐を誓う者たちが、素直に言うことを聞くはずもなかった。


「やめないよー。あっ、そうだ。君が頼りにしているミサちゃんがどうなっているのか、見せてあげるよ」


 映像が切り替わる。


「——はっ?」


 沙希の口から、間抜けな声が漏れた。

 ミサが、血だらけで膝をついているのだ。


「嘘……」

「嘘じゃないよ。確かに彼女は強いけど、彼女に近い実力者と人質さえ取れば、あとは一方的になぶり殺せる」

「卑怯な……!」


 沙希は拳を握りしめた。

 ミサの近くでは、萌波もなみが首にナイフを突き立てられて泣き叫んでいた。


 おそらく、萌波の命と引き換えに、反撃も防御もするなと命令されているのだろう。

 相手の攻撃にミサは抵抗せず、【魔弾マギア・スフェラ】を腹に受けて、彼女は壁に身体を打ちつけた。


 それでも、ミサは決して下を向かずに立ち上がった。


「ミサさん……!」


 沙希は、ミサの勇姿に目尻が熱くなった。

 しかし、萌波を人質に取っている男は、そんなミサを見て鼻で笑った。


 その声が、脳内に直接響いてくる。


『ったく、Sランク冒険者がザマァねえなあ。こんな何の価値もねえガキ一匹、見捨てられねえなんてよ——もう良いや、死ね』


 男はつまらなそうに、いっそ投げやりと言っても良い動作で魔法を放った。


「——今だ!」


 沙希が叫ぶのと同時に、ミサが【身体強化しんたいきょうか】を発動させて動き出した。彼女もこの瞬間を、相手が最も油断する瞬間を待っていたのだろう。


 ミサが猛然と男に向かっていく。しかし——、


「——駄目!」


 沙希は叫んだ。しかし、その叫びは当然、ミサには届かなかった。

 男の手から生成されたナイフが、ミサの右目を突き刺した。


『がっ、はっ……!』


 ミサの目から血が噴き出す。


『イヤアアアア!』


 萌波の悲鳴が、沙希の脳内にこだました。


『ったく……こんくらいも予想できねえと思われていたとはショックだぜ——【光の女王】さんよ!』


 男は一度ナイフを抜き、ミサの心臓に突き刺した。

 ミサは一度痙攣けいれんしたあと、ピクリとも動かなくなった。


「あ、ああ……!」


 沙希は、その場に崩れ落ちた。

 しかし、目に涙が溢れても顔を掻きむしっても、映像は止まらなかった。


「君の失踪は九条家でもすぐに騒ぎになった。そして、片桐ミサが君を探すために九条家を離れたときに彼らは襲われ、人質を取られたミサの末路は今の通りだ。わかる? ——君の判断ミスで、どんどん仲間が死んでいくんだよ!」

「っ——!」


 沙希は胸を押さえた。息が上手く吸えない。


「今度はご主人と友人の番だぜ?」

「もう……やめて……!」

「はっ」


 沙希の懇願こんがんを、太一は鼻で笑い飛ばした。

 映像が切り替わる。


「いや……!」


 そこでは、皐月とヒナが服をちぎられ、太った男たちに犯されていた。


「いや、いや!」


 大河たいが佐々木ささき優作ゆうさくの死体が足元に転がった状態で、沙希の主人と親友は、背後から男たちに突かれていた。

 そして快楽と狂気に顔を染めた男たちが、二人を犯しながら剣を握り——その首を切り落とした。


「っ——!」


 突然、沙希の視界が真っ暗になった。

 何も見えない。聞こえない。匂いも感じない。感触もない。


 沙希は、何も考えられなくなった。


 それは、沙希の精神が限界を超えた証拠だった。

 友人や知人の、非人道的という言葉でも生ぬるいほどの惨状を見せられて、十七歳の少女の精神が耐えられるはずもない。


 ——沙希の心は、壊れてしまったのだ。




◇ ◇ ◇




「あーあ……」


 焦点の合わない沙希の目を覗き込んで、太一は心底残念そうな声を出した。


「ご主人様や親友と同じように殺してあげようと思ったのに、残念だなぁ」

「私はお前が少女を犯す姿を見なくて済んで安心だがな」

「なんかショックだなぁ、その言い方」

「ふん」


 軽口を叩き合う二人の顔には、罪悪感は微塵みじんも浮かんでいなかった。

 それこそが、彼らが芯から狂っている証だった。


「まあ、あれだけのことに耐えられるほうが異常か」

「ええ。コイツの心を壊すことはできたし、もう殺すわよ」

「うん、良いよ」


 百合が【氷刃パーゴス・クスィフォス】を放ち、氷の刃が沙希の首を切り落とした。


 そして次の瞬間、まばゆい光が世界を包み込んだ。




◇ ◇ ◇




「これは……まずいわね」


 椅子の背にもたれかかり、女は腕を組んだ。


「例の死に戻り少女っすか?」


 女の対面に座る男が尋ねた。


 そこは、不思議な空間だった。

 一面が白で覆われており、物といえば二人が座っている椅子と間にある机、そして机の上にある水晶玉くらいのものだった。


 しかし、二人は周囲を気にする様子もなく会話を続ける。


「そう、あの死に戻りちゃん。また死んじゃったわ」

「まあ、今回は今までで一番ヤバかったし、仕方ないっしょ。次頑張ってもらえば——」

「その次がマズいのよ」


 女は額に手を置いた。


「どういうことっすか?」

「仲間やご両親のあんなむごい殺され方を見て、あの子の心は壊れてしまった。死に戻りは記憶や精神状態も引き継ぐから、次のループはまず間違いなく放心状態で始まるわ」

「まあ……普通はそうっすよね。俺も初めて見たときは、自分のことじゃないのに気が狂いそうになったっすもん。けどまあ、あの子なら大丈夫なんじゃないっすか? 次がダメでも、何回目かのループで正気に戻ってくれればいけるでしょ」


 男は楽観的な意見を述べた。

 しかし、女の表情は暗くなるばかりだった。


「……どうしたんすか?」


 男は笑みを消し、女の顔を覗き込んだ。


「あの子のことはアンタも高く評価していたじゃないすか。大丈夫っすよ。たとえ心が壊れても、彼女はいつか必ず立ち上がりますから」

「いつかじゃ……」


 女はポツリと呟いた。


「えっ、なんすか?」

「いつかじゃ、ダメなのよ……」


 どういうことすか、と男は眉を顰めた。

 女は絞り出すような声で答えた。


「……あの子の死に戻りは、一つのターニングポイントにつき一回までしかできないの」

「なっ……⁉︎」


 男は目を見開いた。


「……じゃ、じゃあ、次もしあの子が死んじゃったら——」

「正真正銘、死ぬわ」

「何すか、それ……」


 鬼畜すぎるでしょ、と男は呟いた。


 女は、男からさりげなく視線を逸らした。


「……これで、お別れかもしれないわね」

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