第45話 キース森の異変④ —輝人の油断—

「私ができないと申し上げたのは、報告書の改編に関してです」

「……えっ? はっ? どういうことだい?」


 受付嬢が告げた言葉を、輝人てるひとは全く理解できていないようだった。

 彼だけではない。彼のパーティメンバー——というより取り巻きと言ったほうが良いかもしれないが——も、他の冒険者たちも、皆が一様に困惑した表情を浮かべていた。


 状況を飲み込み切れていないのは宗平そうへい——空也くうやも同じだった。

 確かに疑問の余地がないわけではないが、輝人の主張は筋が通っていたし、何より宗平たちが反論していないのだから、受付嬢が報告書を書き直せばこの一件は終わっていたはずだ。


「な、なぜ改編ができないんだい?」

「そちらの主張が正しいという決定的な証拠がないからです」

「しょ、証拠ならこの剣があるではないかっ。君は一体何を見ていたんだい?」


 焦った様子で輝人が先の折れた剣を示した。


「ええ、それは有力な証拠です。しかし同時に、スカイ・ビーストには無数の傷があるので、決定的な証拠にはなり得ません」

「こ、この私が信じられないというのか⁉︎ それに何より、もし彼の報告が虚偽でないなら、彼が何の反論もしてこないのはおかしいではないか! この状況で、私たちを疑う要素などないはずだ!」

佐伯さえきさんのことを疑っているわけではありません」

「な、ならっ!」

「しかし同時に、長年当ギルドに多大なる貢献をされてきた枝村えだむらさんが虚偽の報告をするとも思えませんから」

「なっ……⁉︎」


 輝人が絶句した。


 なるほど。

 宗平は納得した。

 受付嬢の頑とした態度は、まもるが理由だったのだ。それだけ彼は、ギルドにとっても重要な人物なのだろう。


「輝人様より枝村を信じるというのか⁉︎」

「不敬であるぞ⁉︎」


 言葉を失っている輝人に代わり、取り巻きから援護射撃が放たれる。が、そこには何の具体性もなかった。


「主張が食い違っているなら、安易にどちらかの主張を信じることはできません」

「ぐっ……!」


 それに対する受付嬢の対応も堂々としたもので、言葉に詰まったのは取り巻きのほうだった。


 その場に重苦しい沈黙が訪れる。

 しかし、もし擬音が実際に音となっていたなら、プチッという大きな音がその場に響いただろう。


「調子に乗るなよ、平民風情が……!」


 輝人の顔にそれまでのような穏やかさはなく、その両の目は射殺さんばかりに受付嬢のことを睨みつけていた、

 その表情こそが、仮面を取り払った家族としての彼の姿なのだろう。


「これだけの状況証拠があるというのに、どちらの主張も信じることはできません、だと?」


 輝人が受付嬢に近づいていく。


「ふざけるのも大概にしろ! 君のしていることは、貴族に対する立派な不敬罪になる。私の一存で、君の家を潰すこともできるんだよ……?」

「っ——!」


 受付嬢の顔に恐怖が混じった。輝人には本当にそれを実行するだけの権力があるし、そうでなくとも狂気さえ感じられる大人の男に詰め寄られるというのは、それだけで年頃の少女にとっては恐怖だろう。

 しかし、それでも彼女は屈しなかった。


「冷静になってください、佐伯さん。枝村さんや他の方々が戻ってきたら、双方から話を——」

「冷静になれ、だとっ?」


 輝人の顔が真っ赤に染まる。

 宗平は地面を蹴った。


「平民のメスガキが……ふざけるな!」

「っと」


 受付嬢に向かって振られた輝人の拳を、宗平は正面から受け止めた。


「主張が通らないからってすぐに手を上げるなよ。子供じゃねえんだから」

「き、貴様……!」


 輝人がもう片方の手で殴りかかってくるが、宗平はそれをあっさりと受け止めた。


「くっ……このっ!」


 必死に振り払おうとするが、【身体強化しんたいきょうか】で強化された宗平の握力から逃れられるような術を、輝人が持ち合わせているはずもなかった。


「なあ、お前」


 宗平は輝人を抑えたまま、受付嬢を振り返った。


「は、はい」

「あのままお前がこいつの言うことに従っていれば、全て丸く収まったはずだ。俺だって何も反論していなかったしな。なのにどうして、そうしなかった?」

「……誰かの手柄を横取りすることなど、あってはならないからです」


 受付嬢は、真っ直ぐに宗平の目を見ていた。


「私にはどちらの主張が真実なのかも、なぜ貴方が何も反論しなかったのかもわかりません。それでも、どちらかが嘘を吐いているのはわかります。ギルド職員である以上、不正を見過ごすわけにはいきません」

「……お前、馬鹿だな」


 宗平はため息混じりに言った。


「なっ⁉︎」


 受付嬢が目を吊り上げる。その口が開きかけたが——おそらくは反論しようとしたのだろう——、宗平が言葉を続けるほうが先だった。


「だが、嫌いじゃない」

「っ——!」


 受付嬢が息を呑んだ。


 嫌いじゃないという言葉は、宗平というより空也としての言葉だった。

 宗平としての今後を考えれば、受付嬢のしたことは決してプラスには働かないだろうが、それでもその正義感は好感を持てるものだったし、そんな彼女の意思に応えたいとも思った。


 だから宗平は、今にも爆発しそうなほどに青筋を浮かべている輝人に告げた。


「佐伯輝人。一つ、提案がある」

「提案……だと? ふざけるな! 今さら貴様に用はない! それより早く——」

「おい、何を焦っている?」

「何っ⁉︎」

「本当にお前がスカイ・ビーストを倒したのなら、もっと堂々としていれば良いだろう。それなのに、お前はさっきから強引すぎる。長引くと何か良くないことでもあるのか?」

「ふ、ふん、そんなわけがないだろう」


 輝人の口調がいきなり静かなものになった。


「私はただ、こうやって無意味な時間を過ごすのが嫌いなだけだ」

「なら、俺の提案を聞いてもらおうか。受けるか受けないかはそっち次第だし、ここで無意味な・・・・押し問答をしているよりは有意義だと思うが?」

「……良いだろう。言ってみろ」


 宗平があげ足を取るように挑発してやれば、輝人は不愉快さを前面に押し出しながらも頷いた。




◇ ◇ ◇




 宗平たちは冒険者ギルドに併設されている闘技場——と言っても、周囲に結界が張られているのを除けばただの空き地だが——に移動した。


「俺の提案は至ってシンプル。お互いの証言と死体の傷を照らし合わせていく。それだけだ」

「ふっ。そんなもの、どうとでも言えるだろう」


 輝人が鼻で笑った。


「そうでもない。俺とお前らでは人数も違えば戦術も違う。それら全てで辻褄つじつまを合わせるのはかなり難しいと思うが、どうだ?」


 宗平がギルド職員——事の発端とも言える受付嬢と、おそらくはその上司である男性——に目を向ければ、彼女らは頷いた。ギルドとしては問題ない、ということだろう。


 輝人は、すぐには答えなかった。

 しかし、宗平は輝人が乗ってくることを確信していた。なぜなら、宗平の提案は宗平にとって不利なものだからだ。


 そのことには、野次馬根性を発揮している周りの冒険者を気づいたようだ。


「確かに、その方法ならシンプルだよな」

「けど、細工しちゃえば何とでもならねえ? 傷跡だけじゃ、死ぬ前の傷なのか死んだ後の傷なのか見分けるのむずいぞ」

「ああ。だが、それで言うならあの宗平ってやつに細工は難しいはずだ。死体はずっと【黄金の剣クリューソス・スパシー】が持っていたんだからな」

「だよなぁ。それに、あいつはすぐにこっちに戻ってきたんだろ? 辻褄合わせるの相当ムズくね?」

「やっぱりあいつの言っていることは本当なんじゃないか? 第一、守さんと【黄金の剣】なら、圧倒的に守さんの方が信じられるし」

「間違いねえな」


 想定以上の反響・・に、宗平は内心でほくそ笑んだ。


「……良いだろう。その提案、乗ってやる」


 そして予想通り、輝人は乗ってきた。




◇ ◇ ◇




 ——馬鹿なやつらだ。

 輝人は内心で、宗平や他の冒険者のことを嘲笑あざわらった。

 今のような展開になることは容易に予想できたため、輝人は事前に対策をしていたのだ。


(ふっ、多少魔法の腕はあっても、所詮は平民のクソガキだ。私が策略で負けるはずがない)


 宗平のことを見下していた輝人は、この時点で自分の勝利を確信していた。


「私たちが先で良いかね?」

「ああ」


 余裕そうな表情を浮かべる宗平を見て、輝人は吹き出しそうになるのを堪えた。


「……そうか。ならば順番に説明していこう」

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