第2話 再会

 空也くうやが【流星メテオロ】を去った翌日の昼過ぎ。


「ただいまー」


【流星】の共用部屋の扉が開けられ、愛理あいりが顔をのぞかせる。


「おかえり」

「おかえりー」

「お疲れ」

「……あれ、空也は?」


 部屋に入ってすぐの愛理の問いに、高志たかしたちは一様に沈鬱ちんうつな表情を浮かべた。


「……何かあったの?」

「……ああ」


 不安そうな愛理のすっかりだまされている様子に満足感を覚えながら、高志は役に入った。

 愛理から若干視線をらしてみせる。


「愛理は……まだ何も聞いていないのか? 噂」

「噂って、何を? 空也に何かあったの⁉︎」

「まあ……」

「教えてっ」


 愛理の表情には余裕がなかった。

 高志はほのかをチラリと見てから続けた。


「空也は、自主的に俺らのパーティを抜けた」

「……はっ?」


 まるでそこだけ時間が停止したように、愛理は数秒間まばたき一つしなかった。


「……えっ、ど、どういうこと? 空也が抜けた?」

「落ち着け。今から事情を説明する」

「……はい」


 ショックを前面に押し出しながらも、愛理は高志の前に座った。

 癇癪かんしゃくを起こさなかったことに安堵あんどしながら、高志は話を続けた。


「事の発端は今朝だ。空也がほのかを呼び出した」

「空也がほのかを?」

「ああ。ここからそう遠くないカフェにな。そしてあいつは——ほのかに告白した」

「えっ?」


 愛理は再びフリーズした。


「空也が……告白? ほのかに?」

「信じられないかもしれないけど、本当なんだよ」


 ほのかが悲しげな表情で頷いた。


「空也はすごい真剣だった。けど、私は高志の彼女だから、空也のことは振るしかなかったんだ。そしたら【流星】をめるって言いだして……」

「居心地が悪くなったのだろう。宿に帰ってくると、俺らの制止に耳もかさずに荷物を持って、あいつは出ていってしまった」


 うつむくほのかの言葉をしげるが引き継いだ。


「嘘……」


 愛理は呆然と呟いた。顔から血の気が失せている。

 しかし、すぐに彼女は何かを決意した様子で立ち上がった。


「愛理? どこへ?」

「空也を探しに行く」


 茂の問いに、愛理は間髪入れずに答えた。

 茂の顔がゆがむが、さすがの彼もこの局面では自分をこらえたようだ。


「……今は、やめておけ」

「どうして?」


 茂の制止の言葉に、愛理が眉を釣り上げた。


「空也とほのかのことは、カフェにいた連中のせいですでに噂になっている。そんな状況で会いに行くことはお前にも、そして空也のためにも良くない」

「っ……」


 愛理は唇を噛むが、反論の言葉は出てこなかった。頭では茂の主張が正しいと理解しているのだろう。


「茂の言う通りだ」


 高志も愛理を引き留める立場で参戦した。


「今は俺らは空也と接触しない方が良い」

「……でも、じゃあどうするのっ?」

「俺らは普通でいよう」


 高志の真意を計りかねているのか、愛理は目をしばたかせた。


「ここで俺らが不可解な行動を起こせば、外野はきっとすぐに空也に結びつける。だから俺らは今まで通り依頼をこなして、大衆の関心が空也から逸れたら、そのときに会いに行こう。俺も聞きたいことはあるし」


 愛理はしばらく何も言葉を発さなかった。


 数秒か、数十秒か、数分か。

 重苦しい沈黙が続いたあと、愛理は一つ息を吐いた。


「……ごめん。今日は休ませてもらって良い?」

「ああ」

「ごめん」


 背中から悲壮感をただよわせながら、愛理は部屋を出ていった。

 彼女が姿を消して少し経ってから、茂も無言で部屋を去っていった。嫉妬深い彼の胸中が穏やかではないことは、想像に難くない。


 茂の手で扉が閉められると、高志とほのかは同時に息を吐いた。

 高志は扉へと歩いていき、内側から鍵をかけた。ニヤつきながらほのかを振り返る。


「ええー? こんなお昼から?」


 口では嫌がる素振りをみせても、それが本心ではないことは、ほのかの緩められた口元を見れば明らかだった。


「昼だから、さ」


 太陽光が差し込むその部屋で、二人の影が重なり合った。




◇ ◇ ◇




 ——僕、何かしたっけ?

 周囲からジロジロと視線を向けられていることに違和感と不快感を覚えつつ、空也は遅めの昼食を終えた。


 店を出て、冒険者ギルドへの近道を歩き出す。手持ちの多くない空也には、ゆっくりお茶をしている時間はないのだ。


 整備された道ではなく、森の中を突っ切っていく。

 その森、キース森は魔物の巣窟そうくつであるため普通は誰も通らないが、特に【索敵さくてき】を得意とする空也にとっては、そんなものは問題にはならない。


 結果として、この近道を使おうとしたことが、彼の運命を大きく変えた。


「キャッ……!」


 決して大きなものではなかったが、空也の耳ははっきりとその悲鳴を聞き取った。


 空也は【索敵】の範囲を広げた。

 悲鳴のした方角へ意識を集中させれば、複数の魔物と人の気配が見つかる。弱っているのは人間のほうだ。


 ——間違いない。人が魔物に襲われている。

 空也は腰に差した剣を一撫でしてから、その気配に向かって走り出した。




◇ ◇ ◇




 木々の間を走り抜ければ、ほどなくして現場に到着した。


「っ……」


 空也は息を呑んだ。


 そこは酷い有様だった。防具をつけた者たちが倒れており、血が周囲に飛び散っている。全員軽傷でないことは明らかだ。

 そして、その怪我人を守るように陣形を展開している者たちの中にも、無傷である者はいなかった。


 陣形に詰め寄るのは【ファング・ハント】――ライオンのような見た目の魔物――だ。

 長く鋭い牙を持つ魔物で、動きがすばやく牙の殺傷性も高い。ランクは個体でも上から二番目のAランクで、知能が高く連携も優れているため、複数でいる場合は一番危険度の高いSランクに分類される強敵だ。


 このキース森に生息しているなどという話は聞いたことがなかったが、実際にファング・ハントは空也の視線の先でうなり声をあげていた。その数は十体を超えている。


「左から来るぞ! 前衛で足止めしつつ、後衛は全力攻撃を叩き込め!」


 集団を指揮しているのは、その中心にいる坊主の長身の男だ。背後には怯えた表情を浮かべた、着飾った黒髪の少女を隠している。他の者たちの騎士然とした格好を見ても、彼女が護衛対象なのだろう。


 空也は迷わず助太刀すけだちに入った。

 無属性魔法【身体強化しんたいきょうか】により運動能力全般を引き上げ、草むらと木々を飛び越えてファング・ハントに殴りかかる。


 魔物の中でも有数のスピードと反射神経を誇るファング・ハントだが、人智を超えた速度での不意打ちには対応できず、一体が空也により殴り飛ばされた。


「ガゥ!」


 周囲のファング・ハントが突然の来訪者に襲いかかるも、それを予測していた空也に居合斬りで返り討ちに合い、一気に三体が地面に転がった。


「お、お前は⁉」

「何者だ!」


 その場にいた者たちが驚きの声を上げるが、空也はその声を無視して大声を出した。


「そのお嬢さんを連れて、皆さんは早くこの場を離れてください!」

「——わかった」


(えっ)


 最低でも二、三の問答くらいは覚悟していた空也は、予想外に潔い返事が返ってきたことに内心で驚いた。

 返事をしたのは、指示を出していた男の隣に立つ黄色髪の少女だった。


 この少女、沙希さきは空也の台詞をのでここまで素早く対応できたのだが、もちろん空也にそんなことを知るよしはない。むしろ、その素早すぎる判断に、空也はいぶかしさを覚えた。

 そして、彼女の判断に納得できていないのは、彼女の周囲も同じだった。


「沙希⁉︎」


 指示役だった坊主の男の声には、驚愕きょうがくと非難が混じっていた。

 しかし、沙希の判断は変わらなかった。


「皆は皐月さつき様と怪我人を連れて即刻ここから立ち去って」

「し、しかし——」

「これは命令」

「っ!」


 沙希はほとんど無表情で、声を張り上げることもしていなかった。それでも、その言葉には威厳と強制力があった。

 沙希のほうが立場が上であるかのような会話に空也は違和感を覚えていたが、その圧には彼の違和感を解消させるだけの説得力があった。


「——早く」


 前を向いたまま、沙希が無機質に告げた。


「りょ、了解!」

「ご武運を、副隊長・・・!」


 覚悟は決まったのか、沙希以外の者は怪我人と皐月を抱え、その場から走り出した。


「ガァ!」

「おっと」


 それを追おうとした魔物の前に、空也は立ち塞がった。


「ここは通さないよ」


 唸り声を上げつつも、ファング・ハントたちはそれ以上、去った者たちを追おうとはしなかった。空也を強引に突破できる相手ではない、と判断したのだろう。


「二人とも、気をつけて……!」


 背後から聞こえた沙希とは別の少女の声に対し、空也は手を上げて答えた。


「皐月お嬢様」


 無機質にその声の正体を告げながら、沙希が空也の隣に立った。

 二人の人間と魔物の群れが向かい合う形になる。


「僕は空也。ありがとう、沙希さん」


 目はファング・ハントを睨んだまま、空也は隣にいる少女にお礼を言った。


「君の素早い判断のお陰で、余計な犠牲が出ずに済んだ」

「違う」


 沙希も、同じく敵を見据えたまま返す。


「お礼を言うのはこっち。助けてもらっている」

「じゃあ、おあいこってことで」


 無理矢理まとめた空也に沙希は不満げな表情を浮かべるが、反論はなかった。

 それは空也の意見に反論できなかったからではなく、そんなくだらない議論をしている暇などなかったからだ。


 ――来る。

 二人は同時に直感した。


「後方支援をお願い!」

「ん」


 空也とファング・ハントは地面を蹴り、沙希は魔法を展開した。

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