第40話 猟犬の群れ

 五日目の夜、ジャガーは歩けなくなった。手や足のマメは潰れ、その下にできたマメがまた潰れていた。かかとはひび割れ、くるぶしまで肉が裂けていた。


 歩けなくなったジャガーを置いて、村人たちは先に進むことになった。空っぽになった馬車にジャガーを寝かせると、村人たちは代わる代わる口々にお礼を言った。


「昨日はごめんよ」


「本当に、ごめんね」


「……ジャガ、ジャガ」


 農夫バイスの奥さんや彼を笑った村娘たちがジャガーの脇に立ち、彼に謝っていた。


 リウトとジャガー、そして剣士マソスの三人が馬車に残ることになった。黒騎士の追っ手がくるとすれば、必ずこの馬車を見つけることは分かっていた。


 この場所で時間を稼げば、村の連中は城まで無事に着くことが出来る。リウトは〈マンサ谷の盾〉剣士マソスと〈マンサ谷の槍〉ジャガーを見た。


 辺りには誰も居なくなり、静寂が訪れた。最後列の村人たちも、夕闇のなかに去って行った。どこかで何かの遠吠えが聞こえた。


 動いているものに魔術を発動させることはリウトには出来ない。だが、立ち止まり詠唱や詠唱の失敗による魔力の逆流を引き起こすことは可能である。


 まずリウトは荒涼とした平地にポツンと残ったホロ馬車に、魔術盾を何重にも仕掛けた。これにはさほど時間はかからなかった。


 次にジャガーだ。やったこともない回復魔術ヒールを使う。竜麟の腕輪で大学図書館にアクセスし教本どおりに複雑な数列を唱えていけば出来るはずだった。


 一瞬は発動するが、繰り返すのはデカい計算機でも発明しない限り、頭のほうが追い付かないと分かった。


 仕方なく別の方法でやる。周期数列をランダム数字にして精霊魔術フェアリーエイドを唱えておく。回復の度合いは低いが時間をかけて少しずつなら、確実に回復するからだ。


 ジャガーはイビキをかいて眠りだした。月が顔をだし、見張りに立ってくれていた剣士マソスがホロの中を覗きにきた。


「馬車の周辺なら、魔術弓の攻撃は避けられるわけだな」マソスは言った。「つまり外側からの魔術や狙撃にだけ有効というわけか」


「そうです。せいぜい五、六発のマジックアローを弾くだけですけど」


「まあ、弾くと分かれば黒騎士もそれ以上は射ってこまい。そう願う他ないな」


「はい」


 だが黒騎士は姿を現さなかった。煙のように消えたマンサ谷の村人に、黒騎士は犬を放ったのだ。雲が避けて月明かりが草むらを照らすと、馬車は野犬に囲まれていた。


 黒い毛並みに赤い眼がそころじゅうで、こちらを見ていた。リウトは馬車の中でピクリともしないジャガーを揺すった。


「ホロの上に登ってやり過ごせないだろうか。三十匹はいるみたいだけど」


「野犬ならせいぜい十匹で彷徨うろつくが、あれはもっと多い」マソスには嫌な予感があった。「あの遠吠えは、猟犬ガルムだ」


「が、猟犬ガルム……血塗ブラッド・ゲートでは千匹の猟犬が放たれたっていうけど、あの猟犬なんですか?」


「だとすると、せっかく教えた剣技が何の役にもたたないな」


「ははは。どのみち、使いこなせない技でしたけどね。すみません」


 マソス流剣技、その一〈雷の剣〉。リウトでも、つばぜり合いで勝てる方法。剣と剣がかち合う瞬間に雷光の指輪を使って電撃を流す。


 魔法数列を誤れば電流は自分に跳ね返るわけだが、こちらがゴム革の手袋をして急いで剣を引けば、相手にだけダメージを与えることが出来るという技だ。


 魔法数列を間違える前提という、誰しもが出来る技ではないのが凄い。更に唯一の魔術、トリック・ハンドを使えばつばぜり合いで、一瞬でも敵を麻痺させることが可能だ。


 ちなみにマソスさんは〈水の剣〉なので、敵の剣を滑らせたり、敵の手から剣をすっぽ抜くことに使うそうだ。俺のインチキ魔術とは全然ちがう。


 滑りながら自分の足音を消したりもする。なかなかの策士だったわけだ。


 マソス流剣技、その二〈二重の盾〉。リウトでも敵を吹き飛ばす方法。立ち止まり詠唱でまず、魔術盾アローグラスをひとつあらかじめ造っておく。


 こいつを隠匿魔術で見えないようにしておけば、ひとまず完成というインチキ剣技だ。


 更に、前方は弾き、後ろからは移動できる魔術盾の特性を生かして、二枚を重ねるように造っておく。間の空間にマジック・フロートを出せば、弾力性の高い魔術盾が完成する。


 突っ込んできた敵がボヨヨンと弾き返されるのだ。これもマソスさんの氷と水を使った〈氷の盾〉のように格好いいものではない。俺のはインチキを隠匿術で補っているだけのような気がしてならない。


 マソス流剣技、その三〈水鏡みかがみの術〉。リウトでも敵の背後をとれる方法。これこそマソスの奥義と呼べる、蒸気と鏡面蜃気楼を使った魔術剣。相手に自分の幻影を見せるという最高に格好いい技だ。


 なんと目の前のマソスに斬り掛かったら、そいつはバチャっと水になって床に落ちるというのだから、堪らなくクールだ。


 是非とも覚えたいと思ったが、仕込みに何時間もかかるので、もはやマジックなのかトリックなのか分からないのが難点だ。


 俺の場合、自分の汗を一リットル位溜め置かないと出来ない。ちょっと格好いいだけの為に、アホほど運動量がいる。


 あらかじめ祭壇に魔法陣を用意して、汗が一リットル溜まったら、発動出来るようにセットすることは可能だが、俺が試すことが出来るのは早くて一ヶ月後になるだろう。


 それも口でいうほど簡単にはいかない。マソスのような、ほとんど魔力を持たない剣士が、努力と根性と血の滲むような訓練を重ねて、はじめて生まれた剣技の数々。


 それを三流の俺が使おうとすれば、ただのおふざけのようになってしまうのだ。


「まあいいさ」剣士マソスは言った。「わたしの剣技を誰かに残すことが出来たのなら、それだけでも充分だ」


 マソスはホロ馬車から飛び降りると、まっすぐに猟犬の群れに向けて剣を抜いた。「リウト。そこからなら、立ち止まり詠唱で魔術弓は撃てるな。援護してくれ」


「……はい」


 低い唸り声と咆哮と共に、暗く遠い大地から数匹の猟犬が駆け出した。暗さで遠近感がおかしくなったのかと自分の目を疑った。


 猟犬の大きさは、さまざまだった。野犬のサイズのものから、馬ほどの大きさのやつまでいたのだ。


 真っ黒な体に真っ赤な目を光らせ、信じられないほど大きく開けた口には、鋭く尖った牙が並んでいる。


 剣士マソスは突進してくる猟犬めがけ、斜めに斬りあげた。剣尖が猟犬の首から肩にかけ、鮮やかに切り裂いた。


 ほとんど同時に飛びかかって来た猟犬を危ういところで横に身をひねりつつ、足元に喰らいつこうと迫る一匹の背中を斬りつけた。


 二匹の猟犬が、よろよろと血を流し突っ伏すように倒れると、群れはすっとあとずさった。


 グルルルルルッ――。


 猟犬の群れは距離を測っていた。そして仲間が集まってくると、マソスを囲むように唸り声をあげ、品定めをするように黒い塊となってがうごめいた。


「まずい、数が多すぎる……追い詰められるぞ」


 闇雲に魔術弓を撃ってみるが、一向に当たる気配がなかった。援護にすらならない攻撃で魔力消費するくらいなら、いっそ魔術盾を持ってマソスの後ろに行くべきかと迷った。


「!!」


 そのとき、目を覚ましたジャガーが馬車から飛び出した。「おい! やめろよっ。二人とも死ぬぞ」


「……ジャガ……ジャガー!」


「くっそお、何を言っても無駄か? この馬鹿野郎!」


 俺はハッとした。ここで、この場所で猟犬ガルムは始末しなければならないのではないか。そのために自分はここに残ったのだ。


(二人とも死ぬぞだって。まるで自分だけは生き残るつもりか)


 ジャガーを馬鹿にして馬車をひかせた連中。昨日、自分が村人たちに怒鳴った言葉がこうも、あっさり自分に返ってくるとは。


「くっ、何を怖じけづいてるんだ、俺は」


 やっぱり自分は本物の馬鹿だ。猟犬は、ジャガーの攻撃をかわして腕に喰らいついた。深く食い込んだ牙は、簡単には離れない。


 無理に引き離せば、自分の腕の肉をねこそぎ、持っていかれる。


「……ジョガアァ!」


 猟犬はまとめて宙に舞った。喰らいついた猟犬を振り回し、足元に這いよる別の猟犬にブチ当てる。


「俺も……俺も、行くぞ!」


 俺は馬車から飛び降りた。ショートソードを抜き、迫りくる猟犬に構えた。疲労がたまっていたせいで、片足がガクッとよろけた。


 素早く牙を剥き出した猟犬の顔が目の前に迫った。両手で握りしめた剣が相手の顎に突き刺さる。そのまま俺の剣は深々と猟犬の脳まで貫き、首の後ろから突き出した。が、そのまま勢いに乗った猟犬に、体が押しつぶされる。


 背中を地面に叩きつけたまま後ずさる俺に、息を付く間もなく二匹の猟犬が猛然と突進してくる。だが、飛んできたのは猟犬の頭だけだった。マソスは右に、左にと器用に身を翻し、猟犬を斬りつけていた。


「起き上がれ、リウト」息を乱し、マソスは言った。「死んだ英雄などいらん。お前は、ここで死んではいけない」


「ハァ……ハァ……ッ痛」


 肺の空気が絞り出されたようで、返事もろくに出来なかった。本気の言葉とは思えなかったが、なんて勇気が湧くんだ。


 足がもつれ、武術舞踊パゴ・ダンスもままならない。紙一重でよけ続けるのがやっとだった。マソスの援護をするつもりが、すっかりお荷物になっていた。


「……ジャガアアアァ!」


 巨漢は猟犬を掴み上げ首をへし折った。だが、既に彼の体には無数の引っ掻き傷と噛まれた傷があり、殺されるのは時間の問題だった。


「ハァ……ハァ……駄目だ。こいつら、精霊魔術で操られてる。最後の一匹まで襲ってくるぞ」


 俺は腕に喰らいついた猟犬に無意識に〈雷の剣〉を使った。俺でも、つばぜり合いで勝てる方法。雷光が閃いた瞬間、バチンと焼けたような匂いがし、猟犬が怯んだ。俺は突き立てた剣を力いっぱい横に捻った。


「つ、使える。避雷針になるからか」


「……ジャガ……ジャ…ッガ」


 巨体の猟犬がそこにいた。その口をジャガーが両手で上下に止めたいた。


 俺は膠着したジャガーの巨体に群がる猟犬を、何度も、何度も、更に何度も剣で突き刺した。マソスは馬のような猟犬のびくともしない体の下に滑り込み、腹部を切り裂いた。


 激昂した唸り声が月に響いた。マソスは密着したまま肉を斬り、吹き出した熱い血に溺れかかった。ジャガーは、猟犬の口を捩じ切って放り投げた。


「ジャッッガアアアアーーッッ!!」


 

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