第39話 剣士と巨人

 リウトたち村人の一行がマンサの谷を出て三日がたとうとしていた。脳みそは破裂しそうだった。これ以上、三百人近い村人を無事に避難させるのは無理だと思った。



 一日目、黒騎士の斥候の目を欺くために〈マンサ谷の盾〉と呼ばれる老けた剣士マソスと、村人の代表である農夫バイスに俺は話した。


「しばらく単独で動くが、俺の指示した道を使ってレイモン城を目指してほしい」と。農夫バイスが先頭でロバを引き、しんがりは巨体のジャガーがホロ馬車をひくことになった。


 単独行動で、俺が早馬を走らせる。木々をうまく利用できれば少数の黒騎士にわざと姿を見せて、逃げ帰ることも出来ると考えていた。


 敵に、村人たちは林道トレイルを散り散りに逃げたと思わせることが目的だ。馬に乗せた村人の服や雑貨をわざと〈鬼〉の見付けやすい場所に投げ捨ててくる算段だ。



「リウト、黒騎士を三人斬ったと聞いたが」馬を並べて剣士マソスが言った。ちょっと予定外の同伴だった。「どんな手を使ったんだ?」


 一人の方が確実だと言っても、この頑固な剣士は聞かずについてきたのだ。最近は目が悪くなってパンを千切るのにも苦労するといわれていた剣士が、リウトには恐ろしかった。


 細い眼光に厳格な皺の寄った眉。村長やマリッサ、ケーシーを救えなかったという後悔の念が、この剣士に対して後ろめたさになっていたのかもしれない。気難しい上官と話しているような気分だった。


「はい。暗かったし、丘に隠匿魔術が展開されていて有利だったんです。今度出くわして、また勝てるとは思っていません」


 敵のフィールド魔術がない場所で〈鬼〉と遭遇すれば、剣でも魔術でも歯が立たないだろう。刃先の軌道や魔術師の狙撃がよめたとしても、避ける技能がないのだから、まともに殺り合えば十中八九は殺される。


「だから俺をあてにしないでください、マソスさん。危険だと感じたらすぐに逃げてください。ちゃんと見えてないんですよね?」


「……」


 剣士が〈マンサ谷の盾〉と呼ばれているのには、それだけ厳格に村を守ってきた男であることは間違いない。おまけに食糧や着替えもしっかり持ってきて馬まで操っている。いや、はじめから俺にはちゃんと分かっていた。


 視線を意識する〈かくれんぼ〉の達人だから分かるのだ。マソスの視力がほとんど失われていることを。


 俺たちは林道で馬を休ませ、枝葉を押し退けながら逃げる村人の痕跡を演出するため靴や布切れをばら撒いた。マソスの動きは遅く、はっきりいって邪魔だとすら思っていた。


 疲れと恐怖、あるべき現実と壊れた現実に絶望していた。不満もあった。結果、俺はマソスに救われることになった。


「狙われてるぞ!」剣士マソスの怒鳴り声がした。「物陰に隠れろ!」


「!?」


 俺はその場に突っ立って、どうして敵がいるんだと凍りついたように木々を見上げていた。あのとき〈鬼〉と認識していない黒騎士がいるんだと悟った。


 探索部隊や斥候兵が別にいるのは当然のことなのに。魔法弓が空気を切り裂く音がしているなか、自分だけは不思議と安全な気がしていた。誰しも死ぬときは、多分そんな感覚だ。


 マソスに腕をつかまれ勢いよく木々の間に引きずり込まれた。周囲に油断なく目を光らせているように、となりに伏せた。見えているんじゃないかと思うほどに。


「気をつけろ、リウト。お前が棒立ちになっていたら、そのせいで全員が窮地に追われることになるんだぞ」


「は、はい」


 敵がどこから魔術弓を撃ってきているのか俺には分からなかった。でもマソスには分かっているらしい。こうなっては、じっと動かずに息を潜めるしかない。


 魔術弓が樹々をめがけ数発、吐き出されたあとは、長い静寂が訪れた。日が暮れ始めれば、闇雲に魔術弓を使うことは、自分の位置を教えることになると敵もわかっているのだろう。


「初めて見たとき……わたしは、君が嫌いだった」押し殺すような声でマソスが言った。


「まぁ、気付いてました」


「口先だけのお調子者に見えたからだ。それから、何日かたって状況が変化して、君のことを少しは理解しようと思った」


「そ、そうでしたか」


「印象は、変わらん。やはり好きにはなれない」うなずく俺にマソスはため息混じりに深刻な顔を見せた。


「でしょうね。分かります」


「だが、村人の命が失われ谷を離れることになって考え直したよ」


「なんです?」


「君は嫌いだが、そんな君が勇敢であれば、失われた命が少しは報われるのではないかと考えるようになった」


「き、嫌いなのはもう……いや、何でもありません。正直に、言わせて下さい。まさか黒騎士を倒してこいなんていわないですよね。俺は怖いんです、殺すのも、殺されるのも」


「行くべきだ、君は。そしてわたしに自慢させてくれ。誇らしい気持ちにさせてくれ。村人たちを救った英雄と共に戦ったと」


「……分かりました。もし、もし俺が戻らなかったら。俺が死んだら」


「安心しろ」マソスは力強く頷いた。「そう心配ばかりするな。女王陛下に謁見するわけじゃない」


「俺を、俺のことを信じてるんですね」


「いいや。君が死んでも村人たちは助かる」


「……ですよね」


 表情は読めなかったが声のトーンでマソスが本気なのが分かった。苦しいのや、怖いのは同じで、マリッサを含んだ村人を失った事実に心が追いつかないのだ。


 生き残った者は、俺のような逃げ隠れする人間じゃなく、もっと勇敢であるべきだ。


「冗談はそのくらいにして、わたしの戦い方をみておけ。くるぞ」


「……え?」


 薄闇が灰色のとばりで樹々を包み込み、しばらく眺めているうちに、あたりはすっかり影に沈んでいった。すると俺たちの耳に雑音が届き始めた。


 低い声につぶやき声。まるで俺たちを狩るために怪物が群がって、醜い声をたてているみたいだった。雑音は少しづつ大きくなり、人間の声になった。


 俺はショート・ソードをしっかりと握った。小刻みな震えは止まらず、いっそ大声をだして斬りこんでやろうかと思った。そんな俺を察したか、マソスがゆっくりと前に出た。


 足音をたてず、地面を滑るように樹々をすり抜けたかと思うと、黒の魔術師らしき男の頭部を跳ね飛ばしていた。


 切り離された頭が、くるくると宙に舞うなか、マソスは身軽に刃先を回転させ、別の黒騎士に光る刃紋を突き刺した。


 三人目は袈裟斬りにマソスに剣を振り抜いた。受けることなく、身をぴたりと寄せると黒騎士の背中をつかんで、一方の男に蹴りつけた。抱き合うようにバランスを崩した二人の黒騎士を背中から、いっきに串刺しにした。


「!!」


 四人の黒騎士が、一瞬のうちに死体となって樹々間に転がっていた。


「……す、すごい」


「油断していたんだろう。いっておくぞ、リウト」マソスは死体を指さした。「こいつらは、剣の腕もあったし魔術も使える。でもそれが役に立ったか?」


「いいえ」


「君は強さをはき違えている。出し抜くのは黒騎士でも、怪物でもない。自分の中の恐怖心や猜疑心を出し抜け、そして死を欺くのだ」


「はい、お見事です」


「……さっさと仕事を終わらせて、馬に戻ろう」


「そうしましょう。あ、さっきの格好いい剣術、俺にもできますかね。それと、足音が全然しなかったのは、なんか方法でもあるんですか。詳しく教えてもらえますか?」


「ふふ」マソスは照れたように笑った。「やっぱり君を好きになれそうもない」


「そんな、教えて下いよ、ははは」


「期待はしてない。でもどうだろうな、村人の主導権を握って、逃げ道を決め、少し生意気で……なんの罰ゲームか分からんが。いいぞ、教えてやろう。卑怯なモヤシ野郎」


「……ははは」


         ※



 三日目は農夫バイスと共に、村民の先頭を歩いた。馬には歩けなくなった老人や子供を乗せなければならなかった。夜通し歩いて、昼間に何度か休憩を挟んだ。


「あっちの馬車で少し寝たらどうだ。隣村までは、あと半分だ。もう大丈夫だろう」


「あ、ああ」


 レイモン城付近の村。俺たちは、小さいながらも堀に囲まれたレイモン城を目指していた。早馬を走らせればあと二日の距離だが、徒歩では最低でも四日はかかる。


 生返事をして前に進む。道はわだちがなければただのでこぼこした、草むらでしかなかった。


 しんがりを行くホロ付きの馬車を引いていたのは、巨漢のジャガーと呼ばれる男だった。十人か、もっと乗っている馬車をたった一人で引いている。


「凄いな、あんた。まさか三日間ずっと引いてたのか?」


「ジャガー!」


 歩けない者、疲れた者、捨てたくない荷物が一番後ろのホロ馬車に集まるわけだ。それを喋れないジャガーが全部押し付けられる。


「引いてたよ」返事をしたのは馬車に乗っていた少年だった。リウトは、驚嘆していた。


 二メートル近い巨体ではあるが、一睡もせずこの重量を運び続けることが、普通の人間に可能だろうか。


「な、なあ、あんた。たしか黒騎士との会合にも参加してたろ。まったく休んでないんじゃないか?」


「ジャガ、ジャガー!」


「……」


「あははは、何を言っても無駄だよ」農夫のバイスはリウトの肩を叩いた。「意味は分からないがジャガーはジャガーとしか喋らん。会合に行ったのは、ハッタリ効かす為だ」


 農夫はこめかみを指差して、くるくると回した。彼は頭が悪いというジェスチャーだった。


「ジャガーは馬鹿じゃないよ!」少年は農夫バイスに小石を投げて言った。「もとは、ジョナサン・ガーファンクルって立派な人なんだよ」


「……公爵の?」大学で名前だけは知っていた。ガーファンクル家は、ずっと南の〈血塗ブラッド・ゲート〉を黒騎士から守る名家のひとつだ。


 中年の女が笑った。「あははは。ジャガーはジャガーよ。馬鹿だけどオークの血が混じってて体は頑丈なのよ」


「……だからって、こんな無理したら死んじまうだろう」


 リウトは自分が馬鹿にされているようで、無性に腹がたった。「歩ける奴は馬車を降りろよっ! 老人と、赤ん坊以外は外を歩くんだ」


「なっ、なんだよ。急に怒りやがって」


 女や子供たちが愚痴を言ったが、構わなかった。リウトは、ジャガーと一緒になって馬車を引いた。


「体力のある奴は、老人や子供を担いで歩けよ! この人を見ろ」ジャガーの手からは血が滴り落ちていた。泥の跳ねた服はかさぶたのように固まり、ひび割れている。


「あんた、無理するなよ」


「……ジャガ……ジャガ」


「あんたら、自分たちが何をやってるのか分かってるのか? 最低だぞ。捕虜になっても生き残りたいとか……逃げるとなったら、ジャガーを馬鹿にしてに馬車を引かせるとか」


 すると何人かの農夫も、馬車の後ろを押し始めた。だが、ジャガーは休めという言葉を無視して、馬車を引き続けた。


「頼むよ、もう、もう、休んでくれ」


「ジャガ……ジャガー」


 巨人ジャガーは、どれだけボロボロになろうが、馬車を引き続けた。どれだけ馬鹿にされようが、ひた向きに馬車を引き続けた。


「ジャガ……ジャガー」






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