第27話 離任教師

 星に照らされた屹立とした孤峰に黒騎士たちは立っていた。暗闇に散らばってはいるが二十人近くがその近辺をうろついている。


「……」


 目の前に居ながら、誰もリウトのことに気づいてはいなかった。そのまま、黒兜の連中は会話を始めたのだった。


「おい、もう五人位は捕虜にしたらしいぞ」黒兜の男はおもしろがるような表情を浮かべて一方の男にはなした。「見張りは犬の餌になったらしいぜ」


「交渉を持ちかけている間は、殺さないはずじゃないのか?」眉間にしわを寄せた男から投げ出された言葉を肯定する者は誰もいなかった。


「見せしめに何人かは殺すさ。そういう戦術トラップなんだから。連中を絶滅させなきゃ戦争は終わらないんだ。皆殺しにするさ。赤ん坊だって容赦するかよ」


 黒騎士は捕虜をとらない。労働力にしようなどとも考えない。かれらは互いに鼓舞するように残虐な意見をし、議論し、大声で話し合っていた。


「……」


 俺は目の前の黒騎士を殺してやりたい衝動に駆られた。はっきりとした殺意を持っていた。   

 

 恐怖という感情を隠してしまおうと思った。悲しみや苦しみという感情も隠してしまおうと思った。


 感情はいらなかった――。

 感情は邪魔だった――。



 ただ機械的にやるだけだ。ゆっくりと黒騎士の剣を掴んで、一方の手で黒騎士を押し倒す。自然に剣は抜きとられ、男の喉元を掻き切り、〈かくれんぼ〉で岩陰の仲間の背後にまわり、脳天に剣を突き刺してやる。


 その後、どうなろうと攻撃はすべて武術舞踊パゴ・ダンスでかわしてやる。


 俺はゆっくりと騎士の腰にあった剣に手を伸ばした。最初はゆっくりと、落ち着いた呼吸で。力は込めず、掴んだ剣を鞘から引き抜いた。


 軽くではなく力強く。一方の手で黒騎士を倒そうと押していた。力強くなんてものじゃなく、目いっぱいの力で押し込むように。

 

 黒騎士はビクともしなかった……次の瞬間、俺は黒騎士に体当たりをしていた。俺は跳ね上がり、尻もちをついた。すぐに立ち上がろうとしたが、足がもつれて、顔から地面に突っ伏した。頭がズキズキとして、吐き気がした。


『……駄目、 起きろ、起きろ、起きろ、起きろ、リウト』

 

 賢者の石が砕け散った時と同じ感覚があった。『戻ってこられないよ!』


 ローズの声に呼び戻された日と、まったく同じ感覚があった。


 今回ばかりは頬を引っ叩いてくれる相手はここに居なかった。俺はまさぐるように、息を吸い込み、目の焦点を合わせることに集中した。

 

 黒騎士は――まだそこに居た。俺は、はっきりと見た。月のない夜、岩場、雷光の指輪、武器の無い状況、殺意と殺意。


 敵には俺が見えなかった。俺の見えない〈かくれんぼ〉と消したい感情の相互作用なのだろうか。


(姿を消す、感情を消す、事実を、未来を?)


 何がどう作用したのかは、分からない。あるいは俺は、マリッサの家のベッドで夢を見ているだけなのか。色々な可能性を探っても、答えは出なかった。


 俺は、ただの一歩も動いてはいなかった――。


 回避能力の究極系は未来を予知する能力。ローズの言葉が頭をよぎったが、俺が見ていたものは未来ですらなかった。


 動けないままだった。黒騎士たちは、いつの間にか、岩場から引き揚げて行った。


 それを何もせず、ただ……眺めていただけだった。俺は、ゆっくりと雷光の指輪を外した。胸に抑え込んでいた空気が一気に解放されたように、呼吸が楽になった。


 

         ※  



「みんな聞いてくれ」重苦しい声で村長は言った。「村は包囲されたが、ある条件を満たした者には手を出さないと黒騎士のリーダーは言っている」


 日が昇ると、交渉を終えた村長はできる限りの人を集め、同じ場所で演説を始めた。


「つまり――黒騎士は諜報員や補給係りとして使えるような、優秀な人間には食事と安全を約束すると言っているんだ」

 

 村中の男達がザワめきだした。村長の孫娘マリッサもそこにいた。村長が咳払いをすると、村人たちは黙って目を向けた。


「……難しい条件ではない」

 

 その条件とは『簡単な魔法数列が理解できるもの』だった。ケーシーはマリッサに言った。


「魔法数列だったら、僕が教えたね」既に村人の半数はケーシーの野外授業によって数列を理解していた。丘から降りてきたばかりのリウトは、手を揚げる。

 

「はぁ……はぁ……はぁ」まだ、息がきれていた。「黒騎士に連れ去られて、戻った人間はいない。それは連中の罠だ」


「君は――」村長はリウトを見て言った。「この村の人間じゃあない。我々のことは我々で解決する。口出しはせんでもらいたい」


「いや、言わせてくれ。これでも俺は白騎士だ。たった一年半だけど、それくらいは分かるつもりだ」

 

 村長は目を細めて孫娘を見た。マリッサの顔色を伺うと、両肩を持ち上げて仕方ないといったふうに口を開いた。「では白騎士の意見を聞こう」


「今すぐ吊り橋を渡って逃げるんです。なりふり構わず」


「はあ!? なんだって」今度はケーシーの長い腕が伸び、遮った。「ふざけるな。村人は四百人以上いるんだぞ、逃げるって何処に逃げるんだ」


「ケーシー、あなたが居れば少しは戦えるだろ?」


「たっ、戦うだと」遮っていたケーシーの腕は小刻みに震えていた。


「いや、戦いながら逃げる。俺は逃げたり隠れたりするのは得意なんだ」


「ふん、駄目だ駄目だ。逃げ隠れなどしてなんになる。僕は村人を危険な目に合わせる訳にはいかない」


「生徒たちも魔法弓と魔法盾くらいは作れるだろう?」リウトはあたりを必死にみまわして言った。「簡易トラッップや火炎球だっていい」


「……」マリッサと何人かの心ある生徒たちは顔を見合わせていたが、誰一人として口を出そうとはしなかった。


「連中の本隊は丘の上にいるんだ」リウトは丘に手を向け続けた。「何らかの方法で、ここからは見えないけど、実際に行って見てきたんだから間違いない」


「なんだって!? 待てよ。待て、待て。きみは嘘をついてる」


 ケーシーはゆっくりと首を振った。確かに目くらましの術や部隊をカモフラージュする魔法はある。だが、実際にその場にいって本隊と出くわさなければ、その魔術の存在は証明のしようがない。


「武器も持たずに丘までいって見てきたというのか。なら、黒騎士の一人でも始末してきたのか? 冗談も休み休み言ってくれ。大多数の村人は数列が解けるんだ。この僕が教えてきたんだからね」


「俺も、俺も、あなたの授業を受けられれば良かったよ。だけど、だけど黒騎士はあなた達を殺すことにかわりない」


「現実的になれといってるんだ!」ケーシーはピシャリと言った。「我々は生き残って援軍の助けを待つべきだ」


「そうだ、そうだ!」村人たちはケーシーを信頼していた。リウトへ口々に挑発的な言葉が飛んでくる。


「他所者は黙っていろ。嫌ならさっさと出て行けばいいだろ!」


「この嘘つき野郎。自分が馬鹿だからって、俺たちまで道連れにしようっていうのか。とんだ屑を拾ったもんだな。村長さんのところも」


「儂らは逃げも隠れもせん。卑怯な手を使ってまで生きながらえたくはない」


「……」


「誰も君のことを信用しない」ケーシーは落ち着こうと冷静に目を瞑った。


「信じたくても、信じられない。君の大学時代を知っていれば尚更だ」出来の悪い生徒をあざ笑うような、冷たい言い方だった。


「考え直してくれ、あの時の俺じゃない。俺より黒騎士を信じるのか?」


「君は魔法数列が解けないから、村人を巻き込んで逃げたいだけだ」


「違う……違う。違うんだ。どうして俺が命の恩人のあなたを騙すなんて考える」ケーシーは地面に向けていた目を上げると、黙ってこの場を離れようとした。


「話は終わってないぞ、ケーシー」


「君は村の住人じゃない。勝手に逃げて生き延びればいい。誰も止めはしないよ」


「生徒を死なせたくないのは分かる」リウトは小さくため息をついて言った。「自分だけ助かったのは、あんたのほうだったよな」


「……なっ!!」ケーシーの悲痛な目が向けられた。『その話は絶対にするな』と、その目は言っていた。村人たちは足を止め、張り詰めた空気で二人を見つめた。


「言いたくなかったが、そこまでいうなら、はっきりいおう」ケーシーは怒りで顔を赤らめていた。首筋に青い血管が浮き出し、甲高い声を上げた。


「君の忠告は、聞かない。その理由は、お前が底抜けの馬鹿だからさ。お前は大学の恥さらしだ。ここへ来たのだって、とんでもない馬鹿をやらかしたからに決まっている。誰だって、こう思うのじゃないかね。お前の考えに従うほど馬鹿じゃないと!」


「……」


 リウトは返す言葉を失った。忘れていた訳ではない。うっかり忘れてしまう瞬間はあったかもしれない。自分が正真正銘の馬鹿だったということを。


 だが、いっとき忘れたからといって、現実は直ぐに引き戻しにやってくる。自分が、どんなに浮かれようが、調子にのろうが、その言葉は決して忘れてはならないとリウトの臓腑を抉り取りにやってくる。


 お前が馬鹿だから――。


 俺が馬鹿だから。






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