第3話 廃墟村ルファーク
ルファーク湖周辺の森はマツやトウヒの枝が鬱然と垂れ下がり、袖を振っているようにうごめいていた。
真夜中。崩れかけた屋敷の二階に三人はいた。大窓から中庭を見下ろすと敵兵がぞろぞろと集められているのがわかる。
「上だ。この二階にいるぞ、火をかけろ」足音がどんどんと増えていく。
「
「さっさと全員をここに集めろ!」
「あちゃあ、まだ来るのかよ」青年は深呼吸をしてみるが恐怖は消えなかった。「なんてこったよ」
「すまん。状況は何一つ良くなっておらん」
「悪くなってるよ。ありゃ、ただの野盗じゃないぜ」
別の窓から階下を覗き込んでみる。真っ暗な闇にまっ黒いローブをまとった術師が魔法杖を持って構えている。
「つ、つまり」老騎士は強ばった顔で呟くように言った。「こちらは幼い解封師と、殺せない剣士と、数列の組めない魔術師というわけか。こんな頼りないパーティーは初めて見たわい」
「そして外にいるのは、本物の黒騎士だ」
※
数時間前。三人を乗せた馬車は、不気味な森を通って小さな村にたどり着いた。食料と装備を調達しようと考えていた。
老騎士は失敗だったかもしれんと言い、首を振って見せた。湖畔の村は焼き払われ、炭と灰に埋め尽くされ、どこにも食料は無かった。
夕暮れの薄暗い広場には何かが積み上げられ燃やされた痕があった。他の何者とも似ていない特別な異臭が漂っている。
若い二人は黒く焦げた痕がどんな理由のものか知りもしなかった。
「いやな臭い。気持ち悪いわ」とローズが言う。「耐えられない」焦げ跡の先を見て指を刺す。異臭はそちらから流れてくる。
「何だか知らないけど大きい薪や、小さい薪が適当に積んであるみたいだな」御者台の後ろからリウトは応えた。
「酷いことをする」老騎士は言葉を出すのが辛そうだった。「ありゃ大人と子供じゃよ」
「うっぷっ!」リウトは馬車の脇に顔を向けて唸り声を上げた。
「初めてじゃなかろうに」吐き気をもよおした若い騎士をダリルは鼻で笑った。「何か悪い物でも食ったかの」
「くそっ!」息をあらげて怒鳴る。「もう二日も食ってないから何もでねぇよ」
「まったく、残酷じゃわい。湖畔には沼地がある。明日になったら水鳥か魚でも探すかの」
「はぁあ~あっ」空気は重くのしかかってくるようで、息苦しささえ感じられた。
「何もかも略奪されとるとは」馬車を降りてダリルが言った。「あてが外れたわい」
腹ペコで死にそうだった。金貨なら幾らだってあるというのに。騎士たちの手が及ばない地区をえらんで進んだというのに。
「きっと村人がどこかにいるわよ」少女も馬車を降りて言った。「隠れているのよ」
「隠れているのは
青年はポカンと口を開けたまま、やる気のない表情を見せた。ローズは彼の口に小さな木の実を放り込んだ。
「うんぐっ……ゴク。うまい。ありがとう、日が暮れる前に、どこかの家を拝借しよう」
どこを見回しても、人の姿はおろか気配すら無かった。赤い屋根の家が何件か立ち並んでいたが、どの家のドアも破られた跡があった。
「こんな空しい景色は初めて見たわ」
三人は村で一番大きな領主の屋敷の二階にいた。荒らされていたが、運よく火はかけられていなかった。
リウトは全くラッキーだと言ったが、一時間もしないうちにその運は尽きたと訂正した。
すでに一階に野盗の姿が見えた。黒く染められた革の軽装備を着た男たちだ。
明かりを消して窓から庭を見下ろすと、四人の騎士が馬車を確認している。完全に日が暮れてしっかりと確認出来ない。
倍の人数がいる可能性もある。ここに突入されるのは時間の問題だった。
ふたりの後ろには魔法陣で冷凍保管された大きな白い宝箱が構えている。この箱の形状は主に食料や飲料の保管用だ。
箱を見ただけでヨダレがでそうになっていた三人は危険を顧みず、この場所に居すわってしまったのだ。
「しぃ。静かに」
リウトの声に老騎士は腰をあげ、使い込まれたショートソードを手に取った。
ギイイ……ギイイ……。
何者かが朽ちた階段を上ってくる足音だった。「ゴク……リウト、不意打ちでやる。上がってくるのは一人だ」
「ぬおおおおっ!」と叫びドアが開くと同時に老騎士は野盗に切りかかった。
リウトの位置からは、闇に紛れてよく見えなかったが男の頭部を叩き付ける大きな音が鳴ると、そのまま男の腹部へ前蹴りを入れる。
「!!」
野盗はゆっくりと後ろ倒しになり階段を転げ落ちていった。鎧か装備品のガシャガシャとした音が闇の中に響き渡った。
「こっちだ、こっちにいるぞ!」階下から怒声が響いた。
何より逃げることが最優先だ。ダリルとリウトの二人は階段側のドアの前に立ち剣を抜いて立ち尽くした。
「ローズ」ダリルが言った。「初めて組んだパーティーが儂らみたいに頼りなくてすまんかったの。お前さんまで死なす訳にはいかん。儂らが敵を抑える」
「ああ、その間に逆へ走って逃げろ。俺たちを待つ必要はないからな」
振り返ると、白塗りされた食料箱の前に座り込み、取り付けられた南京錠をピッキングしている姿が見えた。
「なっ、何しているんだ。もう解錠なんかしている場合じゃないんだよ!」
「うるさいわね、黙ってて」
少女は片膝をつき、ピックと指輪を使って白い箱を開けようとしていた。事態の緊急性を理解させようにも混乱を招くばかりだ。
「……」
「……」
まるで聞き分けの無い子供。まだ泣きわめいたりするよりはマシだと思ったが、彼女の扱いかたはさっぱり解らなかった。
「あんたが偉そうに仕事をさせるなんて言ったからだぞ」リウトは老騎士にいう。
「あいつ俺達がへっぽこ騎士だって知らないんだ。自分の仕事をしようなんて考えているぜ。これじゃ、俺達も逃げきれないぞ」
「マズいのぉ、こう逃げ道が塞がれてしまっては巻くことも出来ん。下手に動けば魔術師に狙い撃ちされるわい」
「さっきの黒騎士は死んだかな」リウトが小声で聞いた。「俺たちを見たはずだが」
老騎士は首を振った。「まさか、気絶させただけだ。見られちゃおらんだろうよ。儂がなんて呼ばれているか知っているだろ」
この老騎士は黒騎士を殺したことが一度もない。十四歳から騎士になって、幾度となく戦争に駆り出されてきたにもかかわらず、敵の命を奪うことを避けてきたのだ。
「殺さなきゃ、殺されるんだぞ。なんの自慢にもならないんだよ、この臆病くそ爺い!」
「分かっているわい、だが今まで出来なかった事が今になって出来るとは思わん。それより、お前が魔法を使ってくれれば助かるんじゃがね、魔術師リウト」
「そっ……それ」青年は驚いた顔をした。「ずっと、知っていたのか?」
「ちゃんと魔法大学を出ているのは知っているぞ。どうして剣士の格好をしている。アローグラスくらいは使えるんじゃろ?」
アローグラスとは、一般的な魔術師が使う半透明の防御壁である。魔術は主に中・長距離の攻撃で使用する弓や、投石器の代用という役割以外に、盾や回避などの防御という重要な役割を担っている。
「……期待しているのか。俺の何を知ってるっていうんだ?」
「ああ、期待して悪いか? 同行する人間の経歴くらい見るさ。今こそ、魔術で切り抜ける場面じゃろう」
「魔術は使えない」
「何じゃって?」
「大学じゃ、ずっと立たされていた。教室の一番後ろで。まともに座って授業を受けたことなんて一度もないんだ。一度もね」
「なんで、また。あの有能な大学に入れるだけでも大した物なのに」
「俺が何て呼ばれてるかは知ってるよな。一芸が見込まれて大学までは入れたけど、頭が無けりゃ魔法は使えない。簡単な術式ですら、俺には組めない。だから魔法は使えないんだ」
「馬鹿なのか? 一発芸って」
「知ってるだろ。ってか、一芸だよ」
「本物の馬鹿だったのか」
「何度も言わないでくれ。心に刺さる」
「じゃあ、つまり」老騎士は喉元に流れる汗を拭った。「こちらは幼い解封師と、殺せない剣士と、数列の組めない魔術師というわけか。こんな頼りないパーティーは初めて見たわい」
リウトの胃は、恐怖によって野兎が跳ね回るようにうねっていた。喉はカラカラに乾いて、上手く唾も飲み込めなかった。しかも空腹。剣を握る手は震えていた。
「二人共、来て」ずっと背後で解錠に集中していた少女が呼んでいる。「この箱を一階に放り出せる?」
「何いってやがる……やっと現実を見る気になったと思えば。お前は逃げる事だけ考えてりゃいいんだよ」リウトが言う。
「ふふっ、考えがあるの」少女は自信ありげに言った。「この箱に仕掛けられたトラップを連中にお見舞いしようっていうのよ」
「ほほう」老騎士はゆっくりとリウトの肩に手を掛ける。やがて意を決したように言った。「面白そうじゃないか」
青年は老騎士の手をそっとつまみ上げて汚いものでも扱うように離した。恐怖心を上回るアドレナリンが、胃袋の中でじわじわと氷のように溶け出し始めた。
「面白いなんてもんじゃないだろ!?」
(思いもよらなかった――起爆トラップの仕掛けられた
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