第13話 夜会という名の暗闘

 帝国歴一八三七年五月、帝都にある帝国教会大聖堂において第一皇子フリードリヒと教皇猊下の孫娘エレオノーラの結婚式が執り行われ、中央貴族はもちろん皇帝を含めた皇族全てが参加する盛大なものとなった。


 そしてその日の夜、場所を宮廷に移して空前絶後の夜会が開催された。会場には煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人や貴公子達が集い、楽団の演奏に合わせて踊る者、食事を楽しむ者など様々いたが、当然ただの夜会ではない。

 今回の主役であるフリードリヒとエレオノーラが初夜のため退場している以上、派閥同士が互いの腹を探り合う政治の場であり、そして今回の政略結婚がどのような影響を齎すのか、それを見極める場となっていた。


「此度の婚姻……貴女はどう思って?」


 ロスヴィータ皇妃とシュテファニエ第一皇女は、自身の派閥を支える婦人たちとホールの一角に陣取りながら、話題の中心となっているエレオノーラについて話していた。


「少なくとも噂されていたような一方的な押し付けというわけではないのでしょう。ヴィルヘルム閣下とベネディクト教皇猊下は普通に談笑しているようですから」

「……そうね」


 ロスヴィータは扇子を口元に当てなが

 ら小さく息を吐く。噂通りではないとなると、ヴィルヘルムは帝国教会を派閥に取り込めたということになる。これでまた一つ、彼は派閥の勢力拡大に成功したということだ。


「どんな取引があったのかしらね?」

「それは分かりませんが、少なくとも教皇猊下は孫娘のエレオノーラを随分と可愛がっていたと聞いています。その彼女を嫁がせたのですから、それなりに大きな見返りがあったと考えるべきでしょうね」

「それなり、ねぇ……」

「ええ、それなりです」


 少なくとも金銭的な援助と布教活動後押しだけではないと考えるロスヴィータは、シュテファニエの言葉を聞いて考えを巡らせる。


(教皇猊下は何を欲したのかしらね?)


 フリードリヒとの結婚で得られるものと考えると、やはり次期皇妃の座であろう。


(確かに皇妃ともなれば外交政策にも口を挟むことは可能ね。ソフィア教会も簡単にはそれを邪魔はできない。聖王国と交渉でもするのかしら)


 ロスヴィータが扇子を閉じたり開いたりしながら思案していると、ふと視界の端に見覚えのある顔が映った。


「……あら、あれは……」


 ロスヴィータの視線を追うようにシュテファニエもその視線の先を見ると、そこにはマリアと護衛のブリュンヒルデが立っていた。


「皇族とはいえ、所詮は地方貴族の娘が堂々と。しかも何なのかしらあの破廉恥なドレスは……恥知らずもいいところだわ」


 基本的に帝国貴族の女性は帝国教会の教えもあってか肌をあまり露出させないドレスを着ることが多いのだが、マリアはその慣習を無視して胸元を大きく開けており、スリットからは太腿が覗いているという非常に目のやり場に困る格好をしていた。


「殿方でも漁りに来たのかしらね。まったく、これだから田舎者は品がないのよ」

「同感ですね。あれでは娼婦と変わらないでしょう。もう少し慎みを持った方が宜しいですわ」


 ロスヴィータの辛辣な言葉に同意するように、周囲からもクスクスと笑う声が聞こえてくる。

 しかしシュテファニエは同意しなかった。実際にマリアが着ていることによって下品さよりもむしろ上品さが際立っており、彼女の魅力を引き立てているように見える。

 現に周囲を見渡しても、彼女を見て笑っている貴族男性は少ない。いや、むしろ彼女に見惚れてしまっている者の方が多いくらいだ。


(どちらかというと羨ましい癖に、良くもまぁそんなことが言えるわね)


 実際に帝国教会の貞淑さと清楚さという教えに嫌気が差している貴族女性は多い。特にソフィア教会の影響力が強い南部――ディートフリート派閥でそれが顕著だ。

 マリアほどでは無いが背中が大胆に開いているドレスを着た貴婦人もいるし、中には胸を強調するようなデザインのドレスを着る貴婦人もいる。または脚に自信がある者は深いスリットの入ったドレスを着るなど、それぞれが自分らしさをアピールしていた。

 彼女たちに共通しているのはただ単にそのファッションを楽しんでいるのであって、単純に男を誘惑するためにやっている訳ではないということだ。

 尤もそれが保守的な者たちには理解されないのだが。


「……お母様」

「どうしたのかしら?」

「せっかくの機会です。第二皇女殿下をお誘いしても?」


 シュテファニエの言葉に周囲の者たちはざわつき、ロスヴィータはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。


「……下賤な者を呼ぶ理由が分からないわ。そもそも我が派閥に何の利益が?」

「実際に第二皇女殿下とお話されたことは?」

「ないわ。あんな小娘と話すことなどないもの」

「でしたら一度お話ししてみてはいかがでしょうか? 私は是非ともお二人の仲を取り持って差し上げたいのです」


 あまりにしつこく進めて来るシュテファニエに対して、ロスヴィータは訝しげな視線を向ける。


「……その価値があるとでも?」

「はい。少なくとも、私の知る限り最も聡明なお方かと」

「……いいでしょう。そこまで言うのであれば会ってあげましょう。ただし、少しでも私に不快な思いをさせたらすぐに追い出すわよ」

「では決まりですね」


 そう言ってシュテファニエは小さく頭を下げと、派閥の者にマリアを連れてくるよう指示を出したのだった。



 ◆◇◆◇


(孤立無援だな)


 心の中で呟いたマリアは、内心でため息を吐いた。隣に立つブリュンヒルデはいつも通り無表情だが、その内心は恐らく自分と似たようなものだろうと推察する。

 先程から他の婦人たちからの視線が痛いくらいに突き刺さってくる。そして同時に値踏みするような鋭い視線も感じる。特にロスヴィータは敵意剥き出しで睨み付けてくるのだから堪ったものではない。


「こうしてお話するのは初めてですね。

 皇妃殿下、マリア・フォン・クラウゼヴィッツ・ハルデンベルクです」

「随分とはしゃいでいるようね、第二皇女殿下」

 挨拶をしたマリアに対して、ロスヴィータは棘のある言葉を吐き出しながら続ける。

「貴女のような者がこの場にいるのは相応しくないのではないかしら?」

「それはどういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味よ。貴女のように教養のない者がこの夜会に参加する資格はないと言っているの」

「それを決めるのは主催者のヴィルヘルム閣下であって皇女殿下ではない。違います?」


 マリアはそう言うと堂々と脚を組んで招待状を指で摘まむと、それをヒラヒラさせながら言った。


「それとも何かご不満な点でもございましたか? もしそうであれば謝罪いたしますが」


 この挑発にロスヴィータの眉がピクリと動き、扇子を持つ手に力が入る。

 それを見たシュテファニエは苦笑いを浮かべながらマリアに声を掛けた。


「第二皇女殿下、その辺でお止めください。それとお母様、喧嘩をするためにお呼びしたわけではないのですから」

「……ふんっ」


 鼻を鳴らしたロスヴィータはそっぽを向いたが、席を立たないあたりまだ話を聞く気はあるようだ。それを見て安心したシュテファニエは話を続けた。


「第二皇女殿下をお呼びしたのは意見を伺いたいからです。此度の婚姻について」

「意見ですか?ヴィルヘルム閣下の派閥が盤石になりましたね」


 当然のことを言うマリアに婦人たちは嘲笑を浴びせるが、シュテファニエは睨みつけると彼女たちを黙らせた。

 そして一呼吸吐いたあと、真剣な表情で告げた。


「一度限り我が派閥の力をお貸ししましょう。如何です?」

「シュテファニエ!?」


 その言葉に真っ先に反応したのはロスヴィータだった。驚きの表情で娘を見つめ、言葉を理解した派閥の婦人たちが一斉にざわつき始める。


「そんな勝手は――」

「何が聞きたいんだ?」


 怒りを露わにしてシュテファニエに詰め寄ろうとするロスヴィータを遮って、マリアが口を開いた。

 そしてその言葉使いを聞いて、ロスヴィータたちはさらにざわつく。


「ヴィルヘルム閣下と帝国教会はどのような取引を行ったとお考えですか?」


 騒然とする周囲などお構いなしに尋ねるシュテファニエ。そんな彼女にマリアは不敵に笑いながら答えた。


「……派閥内ではどういう結論になったのだ?」

「最初は拗れていた以上、資金援助や布教活動の後押し以外にも見返りがあったのではと」

「なるほど……」


 シュテファニエの話を聞き終わったマリアは、テーブルに置かれた空いたグラスを手に取ると、彼女にワインを注ぐよう促した。当然、ロスヴィータは激昂したが、婦人の一人が代わりに注ぐことで事なきを得た。

 そして注がれたワインを口に含んだ後、マリアはゆっくりと口を開く。


「結婚式は見ただろう。エレオノーラは無理やり嫁がされたわけでは無さそうだった。本人も乗り気に見えたし、教皇猊下も納得しているように見えた」

「そうね、私もそう見えたわ」

「そもそもの話だが、ヴィルヘルム閣下はなぜ第一皇子殿下の婚姻を押し進めたのだろう」

「それは帝国教会の勢力を取り込むためでは?」

「最初はそうだろう。だが醜聞によって帝国教会は難色を示したぞ。それでも無理やり押し進めた。取り込むにしては稚拙だな。下手をすれば獅子身中の虫になりかねない行為だ」


 それを聞いて納得したのか、シュテファニエは顎に手を当てて考え始めた。言われてみれば確かにその通りだからだ。


「つまり婚姻を無理やりにでも押し進めた理由があると」

「……ヴィルヘルム閣下は第一皇子殿下に見切りをつけたのでは?」


 マリアの言葉に、その場の全員が言葉を失った。彼女は何を言っているのだろうかと思ったのだ。

 しかし彼女の言葉は続く。


「だが帝位争いを続けるならば担ぐ人間が必要だ。血の繋がった人間がな」

「まさか……第一皇子殿下の子供を担ぎ上げるために今回の縁談を進めたと?」


 信じられないと言った表情を浮かべるシュテファニエとは違い、ロスヴィータは納得がいかないのか反論する。


「それならなおさら帝国教会は受け入れないでしょうに!」

「ああ、だからこれはあくまで仮説に過ぎない」


 そう前置きをして、マリアはさらに続けた。


「まず一つ目はヴィルヘルム閣下の思惑に気づいていない可能性だ。見返り次第では受け入れる余地はあるだろう。もう一つは閣下の思惑に気づきながら受け入れた可能性だ。当然、閣下は帝国教会に大きな借りができるな」


 そこで一度区切ったマリアは再びワインを口にする。そして再び話し始めた。


「帝国教会の悲願はかつての威光を取り戻して、再び大陸に一大勢力を築くことだ。そうなると当然、ソフィア教会は邪魔だ。しかし資金援助と布教活動の後押しだけでは排除することは不可能だろう。何しろソフィア教会の後ろ盾はセフィア聖王国という国家だからな」

「まさか見返りというのは……」


 ここまで聞いたシュテファニエはもちろん、ロスヴィータも当然察した。マリアが言おうとしている強大な見返りを。


「国教認定、あるいはそれに準ずる地位の獲得だろうな」

「!!」


 その言葉に今度こそ皆が絶句した。仮にそんなことになれば、間違いなく宗教戦争が勃発するからだ。しかも規模としては過去に類を見ないほどのものになるだろう。そうなればこの帝国のみならず周辺諸国を巻き込んだ大戦になるのは必至だ。


「そ、そんなこと許されるはずがないわ!そんなことをすれば周辺諸国はもちろん、帝国内部でも戦わなければならないのよ!?ヴィルヘルム閣下も流石に――」

「ヴィルヘルム派閥が勝てば当然、エレオノーラは皇妃になり、産んだ子供が帝位に即けば偉大なる帝国の国母だ。帝国教会の権威は今の比ではないし、当然エレオノーラは皇帝に影響力を持っている。それにヴィルヘルム閣下もその時には亡くなっているか、人生も終わり間近であろう」

「……ッ!!」


 マリアの言葉に今度は誰もが息を飲んだ。皆、想像したのだろう。国母となったエレオノーラが我が子である皇帝を操り、帝国の力を使って帝国教会の影響力拡大を図る姿を。


(あり得るのかしら……いや、流石に宗教戦争など……でも)


 あり得ないとは言い切れない状況に困惑するシュテファニエたちを眺めていたマリアは、ワインを飲み干すと告げた。


「私はそろそろ失礼させてもらう」

「え……?」


 突然のことに驚くシュテファニエたちをよそに、マリアそのまま立ち上がろうとした。

 そんな彼女を呼び止めたのは、意外なことにロスヴィータだった。


「……お待ちなさい」

「何か?」


 呼び止められたマリアはロスヴィータに視線を送る。最初の不機嫌そうな表情とは違い、今は何やら思案しているようで閉じた扇子を何度も掌に叩きつけていた。やがて考えがまとまったのかゆっくりと口を開いた。


「……第二皇女殿下」

「はい」

「殿下の意見はとても興味深いものだったわ。感謝するわ」


 感謝の言葉を口にしたロスヴィータを見て、周囲の婦人たちは驚愕する。何しろ先程まで見下していた相手に、急に態度を軟化させたのだから無理もない。

 そんな周りの反応を無視して彼女は続けた。


「それとどうやら娘のシュテファニエとは仲が良いようね」

「そう見えるのならば一度宮廷医に目を診てもらった方がいいでしょう、皇妃殿下」


 嫌味を含んだ物言いをするマリアだったが、それに対してロスヴィータは最初とはまるで違う余裕のある笑みを浮かべた。


「ふふふ、まぁいいわ。シュテファニエが言った通り、一度だけ我が派閥は力を貸しましょう。それと――」


 そこまで言うと、ロスヴィータは扇子で口元を隠して言った。


「――個人的に一度だけ私自身も力をお貸ししましょう」


 この予想外の提案にはマリアだけではなく、シュテファニエを含む派閥全員が驚いたのだった。


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