帝国魔導戦記

黒いたぬき

序章

第1話 ローゼンハイム帝国

 大陸統一まであと一歩まで迫った古代帝国。

 その原動力は神の奇跡である魔法であり、それを自在に操れる魔力持ちの存在であった。


 この魔力持ちがどこから来たのかは定かではないが、少なくとも古代帝国の覇道を支えたことは確かで、この魔力持ちが古代帝国の拡大と共に大陸各地へ進出していき、同化政策が推し進められたことで急速に魔力持ちが増加していった。


 しかし古代帝国が分裂、崩壊すると各地に散っていた魔力持ちたちは同化政策を止めて魔力主義――神の奇跡とされる魔法を行使するために必要な魔力持ちこそが支配者であるという思想――を展開、さらには魔力持ちは同族及び多大な功績を上げた平民以外とは結婚してはならない、魔力持ちが平民との間に子を設けてはならない、それに違反した場合は族滅に処すといった厳格な決まりを制定して魔力の独占を行い、平民への支配力を強め、この魔力主義の浸透によって貴族が誕生してさらなる厳格な身分制度である魔力血統制度が築かれることになった。


 しかしそんな魔力血統制度を厳格に採用している国は、もはや朽ちた大国と呼ばれるローゼンハイム帝国だけであった。

 古代帝国が果たせなかった大陸統一という夢に固執した帝国は、数多くの魔導騎士と魔導士を擁していたことでかつては大陸の覇者として君臨していたが、今やその栄光も過去のものとなっていた。

 帝国の侵攻に苦戦を強いられた周辺諸国が婚姻統制を解禁して魔力持ちを増やすと同時に、平民でも魔法が使えるように研究を積み重ねていき、魔石を使用した魔導具という道具を生み出したからである。


 周辺諸国が婚姻と魔導具によって戦力強化を果たしていく中、ローゼンハイム帝国だけが古臭い戦いに固執して取り残さる形になっていたのだ。さらには東方地域の独立や経済問題も加わり、国全体が混沌とした状況に陥っていた。


 そんな状況に帝国で最も力を持つ三つの公爵家が帝位簒奪に動き出す。皇帝を傀儡にして自らが権力を握るために娘を送り込み、帝国貴族たちを自身の派閥に引き込むために熾烈な権力闘争を展開し始めたのだ。


 しかしその状況下で思わぬ事態が発覚する。それは皇帝に隠し子がいたことが発覚したのである。

 皇帝が地方視察の際に恋に落ちて一夜を共にした地方の伯爵令嬢が、密かに皇帝の子供を出産していたのである。

 この事実が判明した直後、皇帝はすぐに認知して、正式に伯爵令嬢とその娘を皇妃と皇女として宮殿に迎え入れてしまったことで四つの派閥に分裂する。


 皇帝が後見するアーデルハイト皇妃とマリア第二皇女。


 エーデルシュタイン家が後見するカサンドラ皇妃とフリードリヒ第一皇子。


 ヴェーデル家が後見するロスヴィータ皇妃とシュテファニエ第一皇女。


 ラングハイム家が後見するマヌエラ皇妃とクリストフ第二皇子。


 そしてローゼンハイム帝国は、この四つの派閥による帝位継承権争いの時代へと突入していくことになる。



 ◆帝都ヘルムスドルフ◆


 宮廷にある普段は使われていない会議室に集まった三人の男たち。

 宰相を務めるヴィルヘルム・ザルツブルグ・フォン・エーデルシュタイン公爵。

 財務大臣を務めるギュンター・ラインベルク・フォン・ヴェーデル公爵。

 軍務大臣を務めるディートフリート・ルクセンベルク・フォン・ラングハイム公爵である。


「皇帝も愚かなことを」


 最初に口を開いたのはギュンターだった。

 彼は今年で五十歳を迎えるが未だ覇気に満ちていた。彼の発言には皇帝の愚行に対する怒りが込められている。


「第二皇女を次期皇帝に据えようなどとは……他の貴族が従うはずがないとなぜ気づかないのか」

「叶わぬ夢を見ておるだけだ」


 それに対して冷静に返すのは厳つい顔のヴィルヘルムだ。権威しか持たない皇帝がどのような夢を見ようとも、実現不可能だと理解しているからだ。


「皇帝よりも第四皇妃や第二皇女の方がよほど現実が見えておる。脅威になることは万に一つもあるまい」


 実際、馬鹿みたいに騒ぎまくる皇帝とは違い、第四皇妃は出しゃばることなく茶会などにも参加しない。それは第二皇女も同じで今のところ浮かれた様子もない。迂闊に動けば殺されると十分に理解しているのだろう。


「邪魔さえしなければ生かしておく。使い道は幾らでもあるからな。だが万が一にも帝位争いに加わるようなことがあれば……」


 そこで言葉を切ったヴィルヘルムは鋭い視線を二人に向けた。

「そうなれば仕方がありませんな」


 ギュンターはヴィルヘルムの意図を理解した。そして同様にヴィルヘルムと同じ考えを持っていたディートフリートも同意するように頷いた。


「では意見も一致したところで失礼しようか。本来ならば我々は仲良く集まる間柄ではないのだからな」

「そうですな。なにせ帝位争いを繰り広げる中ですからな」

「お手柔らかにお願いしたいものですな」

 三人は互いに嫌味を言い合いながら会議室を後にしたのだった。


 

 そんな会話がなされていた頃、貴族の令嬢ならば誰もが憧れる宮殿で生活を送っている第二皇女マリアは、心の中で盛大なため息を吐いていた。彼女にとって宮殿は最悪と呼べる場所であったからだ。


(皇帝も何を考えているのやら)


 マリアは心の中でそう愚痴をこぼす。


 宮殿は既に三公爵家から嫁いだ三人の皇妃とその子供たちが権勢を振るう場所となっている。そんな場所に自分のような存在がやって来ればまさに火に油を注ぐようなものだろう。


 事実、この一週間ほどの間、マリアは毎日のように皇族たちから嫌がらせを受けていた。もっとも、それはまだ可愛いもので、一番酷いものと言えば、食事に毒が入っていたり、就寝中に暗殺者が忍び込んで来たりといったものである。


 幸いにしてそれらは全て察知することができるため命に別状はなかったが、それでも鬱陶しいことに変わりはなかった。


(そもそも皇帝が私を後継者にしようとすること自体に無理がある)


 何故ならばマリアの母は辺境伯爵家の娘であり、実家が強力というわけでもなければ大貴族と強固に繋がっているわけではない。つまり他の皇族たちに比べれば遥かに劣る存在なのである。


 そんな自分を後継にするというのは明らかに帝位争いにおいて不利になる行為だ。にもかかわらずそれを強行するのは、皇帝が三公爵家に敵意を持っていることに他ならない。


(まったく……本当に厄介なことをしてくれたものだ)


 マリアが思わず溜息を吐くと、侍女が反応した。


「どうかなさいましたか?」

「……なんでもない」


 そう言ってマリアは窓の外へと視線を向けた。この侍女だって三公爵家のいずれかの息が掛かった人間であるのは間違いない。というよりも宮殿にいる侍女の殆どが三公爵家に関係がある者たちだ。唯一の例外は母親に仕えている侍女だけである。


(皇帝の地位など興味はないが……どうしたものか)


 生き残るだけならば難しくはない。三公爵家のどれかを選んで傘下に加わればいいだけだ。三公爵家としても皇女という存在は色々と利用しやすいだろう。配下の貴族へ報酬として下げ渡すもよし、自らの愛妾にしてもよし、政治の道具として他国へ使うもよしと使い道は様々だ。


(まぁ焦っても仕方がない。気長にやるとするか)


 そんなことを考えながらマリアは窓から見える空を眺めた。



 ◆帝国東部国境◆


 マリアが宮殿でそんなことを考えている頃、帝国東部国境地帯では今日も小競り合いが起こっていた。


「今日もご苦労さまでしたな、ハイドリヒ卿」


 前線から帰還した女性騎士を出迎えたのは初老の男性だった。彼女の名前はブリュンヒルデ・フォン・ハイドリヒ。ローゼンハイム帝国の魔導騎士である。


「グライスナー卿、何度も言うようですが元侯爵閣下にそのように出迎えられては困ります」

「はっはっは!何を言われる。私は既に魔導騎士以外の爵位を持たぬ身だ。故にハイドリヒ卿のような実力ある者を敬うのは当然のことだ」

「……そうですか」


 ブリュンヒルデとしては困ったものだったが、実際にそのお陰で助かっていることもあるため強くは出れなかった。

 まず騎士社会も戦場も圧倒的に男が多いという問題がある。そんな中で女というだけで周囲から舐められることもあるし、さらには彼女が魔導騎士というのも問題だった。

 魔導騎士とは帝国騎士の中でもエリート中のエリートであり、その数は五百人にも満たない。

 しかも運の悪いことに彼女は名門貴族出身で容姿も優れていた。選ばれなかった騎士たちは嫉妬心を隠すことなくぶつけてくる。中には在らぬ噂を流して失脚させようとする者もいるほどだ。

 そんな状況下で彼女の後ろ盾になっているのが目の前にいる男性――ガウェイン・フォン・グライスナー魔導騎士である。

 彼は元々帝都郊外の領地を治める侯爵だったが、早々に弟に家督を譲って魔導騎士として前線に復帰するという貴族の中でも変わった人物だった。


「ところでハイドリヒ卿は親衛隊に興味はあるか?」

「親衛隊?皇族警護の?」

「そうだ。実は帝都より知らせがきたのだ。親衛隊を新規で募集するとな」

「なるほど……」


 親衛隊とは皇帝や皇妃以外の皇族を守護するために組織される部隊で、皇族自らが選抜する私兵のような存在であると同時に、将来に直結する重要なポストでもある。なにせ親衛隊には側近選びという側面もあり、選んだ皇族が皇帝になれば将来は安泰だからだ。そのため多くの貴族たちはこの機会を逃すまいと必死である。

 ただし当然のことながら下手な皇族を選べば、待っているのは次の皇帝による粛清という名の処刑である。


「なぜ私を親衛隊に?」

「こんな戦場で燻っておるような者ではないからだ。それにハイドリヒ卿がどの皇族を選ぶか興味がある」

「……一晩考えさせて下さい」

「そうか。良い返事を期待しているぞ」


 そう言ってガウェインは豪快に笑うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る