2節 フリバー・ライヘルド1
――「フリバーくん。どうか僕の事を助けて欲しい」
まどろむ世界の中で、記憶に残る最後の断片を思い出しながら
重たい体を何とか起こして、痛む頭を押さえながら「ここは?」とあたりを見渡す。
――いや、本当に見覚えが無い場所だ。
そもそも自分は宿屋にいた筈なのに、今彼がいる場所はどう見ても古ぼけたお屋敷の中。
沢山の本が乱雑に床に放り出され、埃が積もった、人の気配がないお化けでも出そうな場所。その中心に倒れて、本に埋もれていた。
「……状況、状況整理だ」
そんな身に覚えがない中で、座ったまま、彼は冷静になって覚えている限りの事を頭から引っ張り出す。
まず、自身の事。
名前、フリバー・ライヘルド。
職業、盗賊。冒険者、ギルド『メレディス』の一員。
――記憶に問題は無い。
次に、最近の記憶。
数日前に「冒険者」として一つの
昨日それを解決し、仲間数人と共に街へと帰還、達成報告。
報酬を受け取って、そのまま宿屋へと直行。
飲み騒ぐ仲間を前に、疲れていたので先に自身の部屋に戻った。
――ここまでは問題ない。だが、この先が問題だ。
最後の記憶。
簡単にシャワーを浴び、寝ようとした時。
まさにその時、唐突に目の前に男が現れたのだ。
神も肌も異様に白い、神々しく淡く輝いていた見たこともない男に。
その男は自身に助けを求めて来た。
「フリバー・ライヘルド君だね。僕は異世界の神だ。――どうか、僕を助けて欲しい」と――。
何もかもが唐突なことでフリバーは勿論驚いた。
しかし、直ぐに我に返る。そして――。
――「は?嫌だ。神だろ人間に頼むな。自分で解決しろ」
と、拒絶した。――拒絶したはずだ。
「………俺、断ったはずだよな?ああ、確かに断った。絶対に断った!!」
確かに、絶対に断った筈なのに、気付けばフリバーはどう考えても見知らぬ場所にいる。
最後の瞬間に見たのはエルシューと名乗った神の今にも泣きそうな顔が、唐突に「てへぺろっ」と頭を叩いて「ごっめん、もう転移開始しちゃった」等と抜かしていた腹立たしい顔だった。
男にやられると心底が腹立つんだな。なんて――。
…うん。
これは異世界転移だ。
「ふざけんなよ。神…殺す。毎度毎度、頼んでも引き受けてもいないのに、いい加減なこと押し付けやがって――殺す。絶対に殺す――!!」
長考の末、フリバーは静かだが、恐ろしい殺意を全身に纏わせる結果となった。
「――MuraesakaeweDemuro??」
「――は?」
怒りで震えている時、わしゃわしゃと頭を掻きまわしていると、突如として後ろから声が一つ。
フリバーが後ろを振り向くと、そこには子供が一人。いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。
男か女かは分からない。
頭からフードを被っている。僅かに見えるのは青白い口元と、黒い髪。
背格好は何方かと言えば男。ダボダボな服装のせいで体格はハッキリわからないが、身長は少女にしたらデカ過ぎる。
――しかしだ、その声はどう聴いても少女そのもの。
異様なちぐはぐ感を漂わせていたが、とりあえずフリバーは“彼女”と見る事にした。
ああいや、それよりも。今、この子はなんと言った?
言語が全く聞き取れなかった。
“少女”がまた口を開く。
「……RamabayuruJimitoMuro?」
「――は?」
いや。聞き取れない、じゃない。何を言っているか全く分からない。
しかし、フリバーは直ぐに、混乱する頭を落ち着かせ、理解する。
ここは恐らくだが“異世界”なのだ。
「‴
フリバーは自身に魔法を一つ。何、初歩的な魔法。言わば翻訳魔法だ。
これで今まさに直面した問題は解決するだろう。――そう思っていた。
「…Wowo,OrokohowehaRo.‴トゥランズ‴?
WetohanonaNuleSotonaruDemuro?」
「――は?」
本日二回目、思わず声が漏れた。
翻訳魔法、効いてない。目の前の人物の言葉は相変わらずフリバーには意味をなさない。
“異世界”に来ての不具合か。しかし先ほど、魔法はしっかり発動した。それだけは確かに実感している。
なのに、どうして?異世界だから?
流石にフリバーもこれには困惑を隠しきれなかった。ただ唯一聞き取れた言葉はトゥランズ。
フリバー自身が使った呪文だけだ。
“少女”がフードの奥から「じっ」とフリバーを見下ろしている。
何かに気が付いたように、少しだけ俯いて、何やらもぞもぞと口を動かし始めたのは一分ほど経ってから。
――“彼女”は、ゆっくり口を開いた。
「…Ro…こ、コレデ、こ、コトバ、ツウジマスか?」
「!」
それは随分と、かなり片言だ。
しかし“彼女”が発した言葉は、先ほどと打って変わって、フリバーにも理解できる言葉になっていた。
目の前の人物の魔法か。何にしても良い。フリバーは小さく頷く。
彼の様子を見て、“少女”は小さく息を付いた。
「…よ、ヨカタ。…こ、コレ、コレ、ワタス、サガシテマシた。Omo……ココの、ま、マホー…?カカテル、サシアゲ…マス」
ポツリポツリ途切れた片言でありながら、“少女”が差し出してきたのは一枚の折りたたまれた大きな羊皮紙。
なにか裏があるのではとフリバーは一瞬考えたが、他に頼れそうな人も、頼る物もなく。仕方がなく、恐る恐ると羊皮紙を受け取った。
「‴
“彼女”には悪いが。念の為に、何かしらの
少なくともトラップは無いのが分かった。
漸く、折りたたまれた羊皮紙を恐る恐ると開く。
異様に大きい羊皮紙を開ききると、それは一枚の地図。
それは、どうやら『“街”』の地図。
もちろんフリバーの世界の物じゃない。こんな街は見たこともない。
――つまり、この“異世界”の地図。
「…言葉、もうわかりますか?」
「!」
地図に気を取られていたフリバーは思わず顔を上げる。
先ほどまで意味も分からない言葉を発し、必死に片言で喋っていたはずの“少女”の言葉が嘘のように理解できる。
フリバーはもう一度、地図に視線を落とす。
どう考えても
察するに、どうやらこの地図は“異世界”の言語が分かるようにする魔法が掛かっているようだ。
「ああ、分かる」
フリバーは目の前の“少女”を見て、小さく頷いた。
取り敢えず、目の前の“少女”の事については良く分からないが、この地図は役に立つのに違いない。
――くれる…と言う事で良いのだろうか?
「…
“少女”は小さく呟き、フードをさらに深く被った。
そして、用は済んだと言わんばかりにフリバーに背を向けた。
彼女が身体を向けた数メートル先には、扉が一つあった。どうやら、あそこが出口らしい。
そして、地図はくれるようだ。
――違う。そうじゃない。そこじゃない。我に返る。
「ちょっと待て!」
慌ててフリバーは声を掛け、膝を付いたまま、縋るように“彼女”の手を取る。
流石にと言うべきか、“少女”は静かに足を止めた。
何だって良い。名も知らない“少女”に縋る事になっても良い。
何せ今、現状頼れるのは“彼女”しかいない。
少しで良いから情報が欲しい。出来る限りの情報を。
「こ、ここは何処だ!俺は…多分異世界からやって来た!…えっと、そうだ確かエルシューとかいう神に無理やり連れて来られた!少しで良いから情報をくれ!」
「………」
“少女”は静かに見つめている。話を聞く気になってくれただろうか、おそるおそると、その手を離す。
“彼女”はその場から去ろうとはしない。――……どうやら、話を聞いてくれるらしい。安堵する。
“彼女”を前に、フリバーは漸く、立ち上げる。
改めて“彼女”を見る。思っていたよりでかい。自分より、小さいが、軽く170㎝は超えている。
それに、どう見ても、「少女」の体型では無いのだが。いいや、今はそんな事どうだって良い。
今はこの状況を少しでも打破しなくてはいけないのだ。
少なくとも、目の前の“彼女”はフリバーが『異世界人』と言う事は、知っているはず。
知っているからこそ
エルシューと名乗った神の仲間の可能性だってある。
だとすれば、出来る事なら、今すぐ元の世界に返してもらいたい。
“彼女”には無理だとしても、返しててくれるようにエルシューに頼んでくれれば。
――……少しして、“少女”は口を開く。
「………エルシューが迷惑を掛けました。おっしゃる通り、ここは貴方にとって異世界です。ですが私が貴方に出来る事は今しがた全て終えました。これ以降は手を貸すつもりはありません」
小さく頭を下げて。しかし、それだけ。
“少女”から返って来たのは肯定と、無情な言霊。
それで「はいそうですか」と終われるわけ無いのだが。
「い、いや待て!ここは何処だ、なんて世界だ。場所は?エルシューは何処にいる!?」
“彼女”がまた背を向ける前に、必死に食い下がる。今度は明確な問いかけを投げかける。
フードの人物は何も答えない。
いや答えないのではない。“少女”は何を説明するべきか、悩んでいる様子だった。
また、少しして漸く“少女”は口を開く。
「…この世界に……名前はありません。――地名でしたら、ここは『エルシュー街』。その空き家です。……後は御自分で確信してください」
白い指が、フリバーの持つ地図を指す。それ以上は何も言わない。
ああ、理解した。今、簡単な説明をした。ソレで終了。
地図を渡したので、後は好き勝手にやってくれと言う事だ。
本当に彼女は地図を渡しに来ただけらしい。
余りに、腹が立つほどに、いい加減だ。いい加減が過ぎる。
自分勝手に連れてきて、放り出して。後は好きにしてね。なんて。
そもそも
それなのに。居場所も教えないなんて…
「エルシューの野郎!!勝手に連れてきて地図一枚押し付けて全部投げやりじゃねぇか…!嗚呼!!神ってのは世界が変わっても全員くそだな!!頭イカかれた連中ばかりかよ!!」
「――――それは同意します。…けど、その地図は私個人からのプレゼントです。アイツは連れて来るだけ。それ以上は協力しません…。ついでに言えば、私は私の意思で貴方の前に出てきただけ。エルシューと同一と思われたくないので言っておきます。今日は此処で休むと如何ですか…?」
「もっとひどいな!!」
フリバーの渾身の叫び。
それに“少女”は冷たく返す。嫌
この様子だと、どうやら、“彼女”。エルシューに頼まれたとかそう言うことでは無かったらしい。
フードの下から確かな同情の視線が送られているし、更に、何より彼女の発言。
気遣われたうえに。言葉の端々に嫌悪が混ざっていた。
それ以前に何か最悪な事実を口にされた気がするが、絶対に気のせいじゃない。
立て続けに、フリバーに言い表せない怒りがこみ上げた。
今すぐこの怒りをぶつけてやりたい。
だがフリバーはぐっと我慢する。
さすがに目の前の“少女”に当たり散らかすことは出来ないからだ。
少なくとも、この“少女”は本当にエルシューなんて神とは関係が無いのだろう。
先ほどの“彼女”の言葉には、心からエルシューへの嫌悪感と、同時にフリバーに対しては哀れみが混ざっていたからだ。
“彼女”は哀れみから『異世界人』の自分の元に姿を現して、小さな手助けをしてくれた。それが先ほどの地図。
そんな“少女”を怒鳴りつける程、フリバーは愚かじゃない。
ただ、そうなれば、この手助けしてくれた“少女”は少なくとも「人間」じゃないとも推測できるのだが。
なにせ、つい先ほどまでは、手に持つこの地図はエルシューと言う神が送って来たものと、推測していたから。
それが違うとし、“彼女”からの贈り物となれば、おのずと答えが出る。
『異世界人』一人に言葉を立まわす程の力を持つ存在……と、言う事に。
「……もういい。…じゃあ、もう一つ。お前…お嬢ちゃん…?名前は?」
無理やり冷静にした頭でフリバーは“少女”に名前を聞く。
これはフリバーから“彼女”に対しての最後の質問。
エルシューとか言う存在は腹立たしいが、正直“彼女”には僅かながらに好感を覚えた。
それに何故だか分からないが、この子とは、これからも長い付き合いになりそうだと思えたから、名を聞いた。そう考えた結果、次に会った時も“お嬢ちゃん”呼びは失礼だと思えたからだ。
わざと「お嬢ちゃん」と聞いたのは。なんでも良い、目の前の人物の情報を少しでも欲しかったから。
ここで否定してくれれば、“彼女”は“彼”であった事になるが。
“少女”はフリバーの発言を否定することは無かった。
ただ、ローブの下から真っ黒な目を静かにフリバーに向けて、口を開く。
「…名乗りたくありません。どうしてもと言うのなら、『モルス』とでも『タナトス』とでも呼んでください」
フリバーは“彼女”の発言を聞いて息を呑んだ。
ただ、ほんの少しだけ。
“彼女”が名乗った名前があまりに久しぶりに聞いたものであったから、思わず驚いた。
そして、推測していた“彼女”の正体は正解であったからこそ、小さく声を漏らして笑う。
フリバーは地図を持つ手を上げる。皮肉じみた笑みを一つ。
「…そうかい。地図ありがとよ。――『死神様』」
その笑みのまま、皮肉じみた声色で、礼を口にするのだ。
“少女”は何も言わない。
ただ、フードの下で“少女”が怪訝そうな表情を浮かべたのが分かる。
怒らせたかと思わず身構えたが、“彼女”は直ぐにフリバーから視線を外した。
「――……神ではありません。私はただの”死”です」
まるで、訂正を一つ。そして。
「――私の邪魔だけはしないでくださいね、フリバーさん……」
最後に忠告を1つして。
“死”は何事も無かったかのように、フリバーに背を向けて出口へと歩んでいくのだった。
暫くして、扉が閉まる音がする。
フリバーはアレ以上、止める事はしなかった。
アノ背中からは、もう
「――……否定しないのね。……はぁ」
一人残されたフリバーは小さくため息を付く。
まあ、やっぱり『神様』だったのだな――と。それも“死の神”とは。
いや、それでもエルシューと名乗った神よりはマシであるのは違いないだろう。
今、こうして、“彼女”は。少なくともフリバーを気にかけ助けてくれたのだから。
態々ああして、自分から姿を露わにして。
何もしない、押し付けて来ただけのエルシューとか言う神よりは、ずっとまし。
いいや、と。フリバーは、己にため息を付く。
少し助けられたからって『神』に好感を覚えるなんて、自分ながらに愚かな事だ。ほとほと呆れる。
後から、あの“少女”が助けた見返りを要求してくる可能性も、捨てきれないと言うのに。
――……ああ、それ以上に、全く。
フリバーは自分自身に呆れかえる。
自身の
人生と言うものは最悪なことばかりだ。運がいいのか悪いのか実に奇妙な人生。
自身の事であるからこそ、心から、呆れかえる。
フリバーは片手で己の顔を覆う。
いや、全く。
「――……異世界転生。いや、今回は異世界転移か……?――普通さ、人生で2回も経験する?」
――嗚呼。
そんな、どうしようもない自分の運命に、彼は苦笑するのであった。
『冒険者は新天地に降り立つ』
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