第17話 戻る日常

 柊也が妖魔を浄化してから三日が経っていた。


 今日も鮮やかなオレンジ色が、大きな窓から差し込んでいる。

 目の前には、いつもと同じように広がるファイルや書類の海。


「俺がいない間にこんなに散らかしてんじゃねーよ! ちゃんと片付けろって何回言わせんだ! 聞いてんのか! おい、継!」


 相変わらずこれでもかというくらいに散らかされた事務所で、三日ぶりに出勤した柊也が腰に手を当て、怒鳴り散らす。


「……」


 そんな柊也の様子に、継は耳を両手で塞ぐと同時に目を閉じ、椅子ごと背中を向けた。どうにかやり過ごそうとしているらしい。


「まったく……」


 社長のくせに、と呆れたように大きく嘆息しながら、柊也がソファーに腰を下ろす。まだ継は背を向けたままだ。


 目の前のテーブルに置かれたマグカップを両手で包み込むように持つと、柊也は改めて口を開いた。


「で、依頼はどうなったんだよ」


 その一言で、継が両耳に当てていた手を外す。


(こいつやっぱり聞こえてんじゃねーか……っ!)


 柊也は少し苛立いらだたしく思うが、もう面倒になったので「後で覚えとけよ」と今は心の中だけで脅しておくことにして、片付けの話はまた後からすることにした。


「ああ、優海さんね。もう体調とかも良くなったってさ。君がちゃんと浄化できたからだね」


 継は柊也の方に顔を向け、「よかったね」と目を細める。


 優海の調子が良くなったのはいいことだし、浄化できたのも喜ばしいことである。

 柊也はほっと胸を撫で下ろしたが、まだ少々気にかかることがあって、小声でさらに言葉を紡いだ。


「……そっか。ところで、アンタの怪我は……?」

「おや、心配してくれるの?」


 珍しい、とでも言いたげに、継が目を見張る。


「うっさい! 俺が家で目が覚めた時にはもう元気そうにしてたから、ちょっと気になっただけで! どうやって帰ったか記憶もないし、不思議に思っただけだ!」


 柊也は思わず大声で返し、どことなく気まずそうにぷいと顔を背けた。


 あれだけの怪我を心配しない方がおかしい。だが、さすがに継に悟られるのは何となくしゃくなのである。


 それに、自分が倒れた後どうなったのか、どうやってあの公園から帰ってきたのか、ずっと気になっていたのだ。


「ああ。まあ怪我には慣れてるし、秘密兵器があったからね」

「怪我に慣れてるとか意味わかんねー。って、秘密兵器?」


 何だそれ、と柊也が顔を戻し、今度は不思議そうに首を捻る。


「そう、これ。できれば使いたくなかったんだけど」


 今回は仕方なくってさ、と継が机の引き出しから小さなプラスチックのケースを取り出して、柊也に見せる。


 柊也はテーブルの上にマグカップを置くと、ソファーの背もたれから身を乗り出し、それを覗き込んだ。


「これは、薬……か?」


 薄い紫色の、少し大きめの錠剤がいくつか入っている。色はとても可愛らしく、同級生の女子などが好みそうだ。


「治癒効果のある薬草で作ったものだよ」

「はぁ!? じゃあこれ飲んだら怪我が治るのかよ! そんなの聞いたことねーぞ! だったら俺の治癒術いらねーだろーが!」

「だって言ってないからね。これすごく不味まずいんだよ。大きいから喉に引っかかりそうだし、できれば飲みたくなくてさ」


 子供のようなことを言い出した目の前の男に、柊也は天井を仰ぎ、またも大きな溜息をつく。


 息を限界まで吐き切って顔を戻すと、険しい表情で継に詰め寄った。


「俺の力、無駄遣いすんじゃねーよ! それに薬が大きいからって子供か!?」

「だから緊急用なんだって」


 柊也の態度を意にかいする様子もなく、継はそう答えて苦笑する。


「うっ……」


 緊急用と言われてしまっては、そこで柊也は口をつぐむしかない。自分が気を失っていなければ、使われることのなかったはずのものだからだ。


 少しばかりではあるが、柊也の中に申し訳ない気持ちが湧いてくる。


 柊也の心中を察しているのかはわからないが、継は続けた。


「で、これで怪我をある程度治してから優海さんを送って、その後に君を家まで送り届けたんだよ」

「え? 優海さんは家近かったからわかるけど、俺はどうやって送られたんだ? 救急車?」


 確か車は持ってなかったよな、と柊也が首を傾げる。


「そんなの決まってるじゃない。ちゃんと背負って運んだよ。あ、お姫様抱っこの方がよかったかな?」


 笑顔でそんなことをしれっと言う継に、柊也は愕然とした。


「ちょ、待て! もっと違う運び方あんだろーが!」

「違う運び方……? ああ、タクシーは使ったよ」

「使ってんじゃねーか! それ先に言えよ!」


 徒歩で運ばれたと思ったじゃねーか! と柊也が顔を真っ赤にして慌てる。

 さすがに背負われたまま徒歩で運ばれていたら恥ずかしいし、もっと申し訳ない。


 しかし当の継は、特に気にしていないようだ。


「でも、君はもっとご飯食べた方がいいね。あまりにも軽くてびっくりしたよ。いっぱい食べないと大きくなれないよ?」

「俺の前で身長の話すんじゃねーよ!」

「いや、身長とは一言も言ってないんだけど?」


 継がいたずらっぽく目を細めると、


「あっ……」


 しまった、と柊也は慌てて口を両手で塞いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る