長寿猫クスダマの秘密

さあめ4号🦈

第1話 春


『続いてのニュースです。地球への接近が懸念されていた小惑星メロスですが、昨晩突如としてその姿を消しました。周辺に破片が浮遊していることからNASAは軌道を逸れて他の天体にぶつかったのではとの見解を示していますが、その真相は謎です。NASAでは地球外生命体などの痕跡を巡って破片の調査に乗り出しており——』



連日報道していた小惑星のニュースもついにクライマックスを迎えたらしい。あとは桜の満開予想やら芸能人の不祥事やらの取り止めない話題ばかり。それ程この世は平和なんだろう。


朝食のお供に何となくつけていたテレビを消すと、食後のストレッチをしたり顔を洗ったり出発の準備に勤しむ。


私は楓子。

芸術系の大学に通う2年生。

親の反対を押し切ってはるばる田舎から上京してちょうど1年が経った。やっと東京にも朝5分で仕上げるメイクにも慣れてきたところだ。


今は幼い頃からの夢である画家を目指し、画材代を稼ぐためにバイトを掛け持ちして勉強に描画に明け暮れる毎日。

彼氏はいないし友達も少なくおまけにお金もない。あるのは夢への推進力のみ。


だけど1つだけ癒しがあった。

それはアパートを出るとすぐに出会える。


「……いた、クスダマ!」


隣の公園で見つけた嬉しさに思わずにやけ顔でその名を呼んでしまった。

そう。癒しとは、八分咲きの巨大な桜の木の下で身体を丸めて雨宿りしている1匹の野良猫なのだ。


見た目はちょっと顔が丸いごく普通の三毛猫だが、実はかなりの長寿らしく噂では近所の焼き鳥屋さんのおばあちゃん店主が子供の頃から既にいたとかいないとか。


本当かはさておき。とにかくまったりとして可愛らしく近所の皆から愛されているマスコット的存在だ。

クスダマという名前も彼女がつけたものらしい。


「おはよう。まだまだ寒いねー!雨だし」

「にゃー」


いつものように頭の後ろを撫でると喉を鳴らして喜んだ。尻尾もふりふりと動いていて相変わらず可愛らしい。


「よしよし……ねえ前にクスダマの絵を描かせてもらったでしょ?あれ1年最後の課題で提出したら先生に褒められたんだよ!躍動感があって生き生きしてるって」

「にゃーにゃ」

「何度も描かせてくれたクスダマのおかげだよ!モデルさんありがとう。でも2年からもっとレベルが上がるから頑張らないと。バイトも増やさないとだし。そだ、これ朝ごはん」


トートバッグからキューブチーズをあげると、クンクンと何度か匂いを嗅いだ後嬉しそうに食べ出した。何度もあげてるのに一応警戒するのは警戒心の強い猫っぽいのかな。


私にとってこの子はただの癒しというだけでなく、良いことも辛いことも打ち明けられるカウンセラーみたいな存在だった。


時々拍子に私を見つめる鋭いグリーンの瞳に全て見透かされてる気がした。


「いつも美味しそうに食べるね……ん?」


やっぱり今日もだ。

クスダマには不思議な点がもう1つあった。

会うたびに身体のどこかに傷や汚れが必ずあるのだ。

気づいた近所の皆で手当てしてあげてるけど、だいたい最初に気づくのは私か店主の増渕さん。いったいどこでそんなことが。野生も大変なのかな。


「今日は耳の後ろに傷があるね。待ってて」


ガーゼと消毒液を取り出すと濡らしてゆっくりと傷口に充てる。かなり痛むはずだがこの子はいつも大人しく処置を受けてくれる。


「その子どうしたの?」

「わっ!」


突然の背後からの声に肩を震わせながら振り向くと、背の高い女性が傘片手に困り顔でこっちを見ていた。

20代後半ぐらいだろうか。切り揃えられた短い黒髪は艶やかで色白の整った顔は美しく、月並みな例えだが宝塚にいそうな感じ。ヒールを履いているせいもあるだろうがスタイルもスラっとしている。


「ごめんね驚かせて。その猫ちゃんケガしてるの?」

「はい。なんか引っ掻かれた後があって。会う度どこかケガしてるんです」

「そっか。猫って縄張り意識が高いからね。外から来た他の猫と戦った傷かも」

「そうなんですかね」


こんなに大人しい子に壮絶な戦いがあるなんて思うと胸が痛む。

お姉さんは私の横に屈むと、私より遥かに慣れた手つきでクスダマを優しく撫でる。


「雨なのに処置してあげて偉いね。この辺に住んでるの?」

「はい。すぐ横のアパートに」

「えっ私も同じ!先週越してきたんだ。203」

「真上!私103です」

「ご近所さんじゃん!私、雪って言うの」

「私は楓子です」

「見た目通り名前も可愛いらしいね」

「ありがとう、ございます」


初対面のそれも同性にストレートに褒められるのは照れる。


「大学生?」

「一応」


雪さんは口の空いた私のトートバッグを覗くと口元をニンマリさせる。


「もしかして楓子ちゃん芸術系?それパレットとか絵具でしょ。水彩画かな。私も同じだったから」

「え、雪さんも?てことは画家さんですか?」


雪さんは寂しげな笑みで頭を振る。


「全然。イラストレーターしてるんだ。元々はフリーだったけど食べてけないから広告会社に入ったの。今日が初出勤!」

「へぇ。なんかかっこいい」

「楓子ちゃんは画家志望?」

「はい!」

「そっか。……いいね」

「?」


首を傾げる私をみて含み笑いを浮かべる雪さん。その視線はどこか遠い。


「私も昔は画家を目指してたんだ。自分の好きな絵を描いて、いつかは大規模な画廊を開くってね」

「素敵ですね」

「でも才能がなくってね。ただの絵が上手い人で終わっちゃったの。結局芸術家っていうのは天才だけに許された職業なんだなって」

「……」

「だから、人に依頼されたものを綺麗に描くイラストレーターになったの。最初はなんでこんな事にって自分を責めたけど、今はもちろん誇りを持って働いてる」

「凄いじゃないですか。ちゃんと自分の武器を仕事にできてる。素敵ですよ」

「……楓子ちゃんって聞き上手」


雪さんはそう言ってクスダマに視線を戻す。

クスダマは気持ちよさそうに身体を伸ばすと、立ち上がって木の周りをウロウロ歩き始めた。せっかく木の下は濡れないスポットなのに、あまり気にしないみたい。


「この猫ちゃん名前は?」

「クスダマ」

「可愛い名前。よくみたら顔の形もちょっとくす玉っぽいね。楓子ちゃんがつけたの?」

「いえ、突き当たりの角にある焼き鳥屋さんの店主さんが」

「あーあの美味しそうな。ちょっと気になってたんだよね。確かその場で予約しないとなかなか買えないんでしょ?」

「人気ですよ。私も時々バイト終わりに寄ります。ハツが絶品です」

「そうなんだ〜私のんべえだから今夜ビールと合わせて買っちゃおうかな。ご当地ビールもあるっぽいの」

「いいですね。そういえば雪さん猫の扱い慣れた感じですけど、以前飼ってたり?」

「死んじゃったけど実家でね。あと彼氏が家でアメショとロシアンブルー飼ってるから」

「すごい」


見た目も仕草も話も全てが、〈大人の女性〉という感じがして凄く眩しい。


沈黙を知ってか知らずが、散歩を終えたクスダマがまた戻ってきて私たちの前に腰掛ける。自然と2人で撫でていた。


やがて突然雨音が止んだかと思えば雲が消え、この一帯に日差しをもたらす。


「……晴れたね。1日雨予報だったのに」

「そうですね。急に明るくなりました」


傘を閉じにこやかに笑い合うと、雪さんはハッとしたように時計を見た。


「やっば夢中になってたら時間!初日から遅刻しちゃう」

「それは大変!早く行ったほうが」

「だねありがとう楓子ちゃん!なんか引き寄せられるみたいに偶然寄ったけどよかった。話合いそうだし元気でたよ。今度飲みにでもいこー!」

「ぜひ!」

「じゃあねー!楓子ちゃん心が綺麗だから、きっと凄い画家になれるよ!」


褒め言葉を残すと、ハイヒールをカツカツ鳴らして足早に去っていく彼女の背中を見ながら思わず笑みが溢れた。


「にゃーん」

「……凄く良い人だったね。クスダマのおかげでいい友達に出会えたかも。ありがとう」


まるでどういたしましたとでも言うように身体をスリスリさせるクスダマ。


「もしかして晴れたのも君のおかげ?」

「にゃー」


この子は素敵な出会いすら産む天使かもしれない。そんな風にすら思えてしまった。

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