貧乏長屋の国葬見物

鳥取の人

貧乏長屋の国葬見物

 長屋の朝は早い。熊五郎が犬の散歩に出て、安兵衛も犬の散歩に出て、鉢合わせした犬同士が喧嘩を始め、飼い主同士も喧嘩になるもんだから、犬がギャンギャン飼い主もギャンギャン、それで長屋中が起こされてしまう。

「何度注意してもああなんだからなぁ……」ご隠居は目をこすりながら起き上がった。

 朝の支度を済ませて近所のコンビニへ向かう。いかがわしい雑誌を買いに行くのだ。



 昼近く。玄関の戸を叩く音で読書を中断した。

「ご隠居ー。いらっしゃいまスカベンジャー?」長屋一のぐうたら者、八五郎の声である。凡人には到達不可能な低みを極めた男だ。

 ご隠居は雑誌を座布団の下に隠し、玄関に足を運ぶ。

「いらっしゃいまスカベンジャーってなんだいお前さん。

 …………なんだねそのチンパンジーは?」

 八五郎はぬいぐるみをご隠居に押し付けた。「こいつぁチンパンジーじゃなくてオランウータンですよ。ご隠居にそっくりでしょう。今ゲーセンで取ってきたんで。差し上げますよ」

「失礼な奴だね。まぁくれるってんなら貰っとくよ。それにしてもお前さん、ゲーセンで遊んでるカネがあったら家賃を払ってもらいたいもんだ」

「ところでご隠居。今日はちょっとお知恵を借りたくて来たんで。ご隠居は町一番、ことによっちゃ日本でも一二を争うくらいの物知りでらっしゃいますからね」こうしておだて上げればご隠居が家賃の取り立てを忘れることは長屋の全住民が心得ている。

「まったく大したゴマスリ屋だねぇお前さんは。フハハハ。まぁいい、上がんなさい。茶は出さないよ」

 二人がちゃぶ台を挟んで座ったところで八五郎が切り出した。

「今朝のことなんですがね、アタシがいい気分で『お父さんは心配症』読んでると、うちのカカァが尻を叩いて『ゴロゴロしてないでハローワークでも行ってこい。アンタはまず家計の心配をしな!』なんて言うんですよ。そんなこんなで追い出されて、仕方ないからゲーセンで時間を潰すことにしたんで」

「仕方ないから、じゃないよ。ハローワークに行きなさいよ。家賃滞納してんだから」

「いえね、ご隠居、そのゲーセンで聞いた話しついてね、日本一の博識でらっしゃるご隠居にぜひ教えを賜りたく……」

 ご隠居は途端に笑顔になった。「で、何だね。ゲーセンで聞いた話ってのは」

「クレーンゲームで遊んでたカップルがね、コクソウがどうとか話してるのを小耳に挟んだんですよ」

「コクソウ?」

「ええ、どうやら誰かの葬式の話らしいんですがね、どうにもよく分からなくて。ご隠居ならコクソウが何だか知ってるんじゃないかと思って訪ねてきた次第でして」

「コクソウねぇ……。うん、知ってるよ。コクソウってのはさ、ホラ、アレだよ。………………。

 知らないのかい八さん」

「知らないから来たんですよ」

「コクソウというのはね…………、ホラ…………。

 …………バスタブだよ」

「それは浴槽でしょう。アタシが訊いてるのはコクソウでして」

「ああ、そうそう、コクソウね、コクソウ。そう、コクソウってのはね……」知らないとは言えなくなってしまった。なんとかテキトーな説明をでっち上げねば。

 しばし頭をひねった末、ポンと膝を叩いて言い放った。

「コクソウというのはね、おくにさんの葬式だよ。お国さんの葬式だから国葬というのだ」

「はぁ、お国さんの葬式だから国葬……。

 それじゃ隣の熊五郎が死んだら熊葬くまそうですかい?」

「そうだ」

「それじゃ遠からずご隠居も隠葬いんそうですね」

「いちいち失礼だねお前さんは。だいたい私にも名前ってものがあるんだから隠葬ってこたないだろう」

「わかりますよご隠居。やっぱりアタシの葬式は盛大にやってもらいたいですからね」

「全然人の話聞いてないねお前さんは。

 だいたい葬式なんてのは少人数でささやかにやるのがいいんじゃないか。そもそも葬式というのは……」

「ところでご隠居、お国さんってどこの誰です?」

 一番訊かれたくない質問であった。

「誰って、…………お国さんはお国さんだよ」知るわけない。

「それじゃ分かりませんよ。有名な人なんでしょう?」

「うん、だからその、お国さんは……」

 そこでご隠居、ふと座布団の下に隠した雑誌に思い至る。あの雑誌に連載中の変態小説を元にお国さんの人生を創作すればいいじゃないか。

 こうして「長屋一の物知り」は、(よせばいいのに)お国さんの物語を語り始めた。

「お国さんは働き者の大工と結婚し、娘も生まれ、大変幸せに暮らしていた。ところがあるとき旅の生臭坊主と恋に落ちて、家族を捨てて出ていってしまったのさ」

「なるほど……つまり国倫こくりんですね」

「は?」

「だから、お国さんの不倫で国倫でしょう?」

「そうはならんだろう」ご隠居は自分のデマカセを棚に上げて言った。

 ご隠居が続ける。「その後、夫はお国さんが出ていったショックで病に伏せる。さほど時をおかずに死んでしまった。一人娘は親戚に引き取られたそうだ」

「そして今でもお国さんの夫の霊が……」

「出ないよ。

 で、生臭坊主と一緒に出ていったお国さんだが、お次はアメリカから来た白人と恋に落ち、坊主を捨てて出ていったのだ。節操のない人だったからね」

「そしてお国さんは“おネイションさん”に……」

「ならないよ。それじゃオネショみたいじゃないか」

「それで、ご隠居、お国さんはどうして亡くなったんです?男性遍歴の話はもういいですから」

「うむ、そ、そうだな、お国さんは……」ご隠居は無い頭脳を高速回転させた。と、隣に座らせたオランウータンのぬいぐるみが目に映る。

「そうだ!お国さんは、オランウータンに殺されたのだ」

「へえ、『モルグ街の殺人』みたいですね」

「お前さんサラッとネタバレするんだね」

「ご隠居なら読んでるでしょう?」

「まぁそうだが……」読んでない。

「しかしなんでまたオランウータンに?」

「オランウータンはね、白人のペットだったんだよ。ところがこの男はお国さんとオランウータンを捨てたんだ。しかもお国さんが大事にしてた壷を持ち逃げしてね。お国さんは、捨てられたショックと、壷を取られたショックとで寝込んでしまい、弱ってるところをオランウータンに殺されたのさ」

「可哀想に……。

 ねぇご隠居。今から国葬に行ってみませんか」

「バカなこと言うんじゃないよ。近親者でもないのに葬式に出て何するんだい」

「でもゲーセンで立ち聞きした話じゃ、随分評判になってるようですし。武道館でやるそうですよ。屋台も立つかもしれない」

「葬式で屋台が立つもんか」

「そう言わず行きましょうよ!ホラ、立って立って!」

 ご隠居の抵抗も虚しく、無職で体力が有り余っている八五郎によって強引に連れ出された。

 オランウータンを肩車したニート八五郎がエセ学者隠居を引きずるようにして歩く様子を、熊五郎のカミさんが不思議そうに見ていた。



 八五郎が考えた通り、国葬会場の周辺は縁日のような賑わいだった。

 屋台こそ出ていないものの、見渡す限り人の波である。

「いやぁ、すごい騒ぎですね、ご隠居」

「そうそう、葬式というのは盛大にやるのが良いのだ」

「さっきと言ってることが違うようですけど。

 しかしこれだけの葬式やるカネがあるんならアタシの家賃代わりに払ってくれたらいいのに」

「何を言ってんだい」

 その時、喧騒の中から、女の啜り泣く声が聞こえた。見ると、武道館に向かって手を合わせて泣いている。

「あれはもしかして、お国さんに捨てられた娘さんじゃないかな。お悔やみを言わなきゃ」

 八五郎が突然駆け出したものだから、ご隠居は慌てて追いかけた。

 八五郎、神妙な顔を作り(この男の顔はどうにも神妙になりきらないのだが)、泣く女に声をかける。

「私、貧乏長屋の八五郎。こっちはゲーセンで取ってきたオランウータン」

「なんですかそのキキみたいな自己紹介」女は不審げに八五郎を見る。

「この度のこと、お悔やみ申し上げます。捨てられたとはいえ、大事に思ってらっしゃったんですねぇ」

 女は顔を上げ、ひどく怒って答えた。「捨てられたなんて思ってませんよ!確かに統一教会と付き合ってたのはショックでしたけど、日本の為に尽くしてくれましたし。あなたには分からないでしょうけどね!」

 ノミの心臓の八五郎、女の態度に肝を潰し、早足で戻っていった。

「ちょっとご隠居、トーイツキョーカイって何です?それから今の女の人、お国さんがニッポンの為に尽くしたとか言ってましたけど」

 隠居生活で足の衰えた老人は、息を切らしつつ考えを巡らせた。

「うん、それは…………そう、トーイツキョーカイというのは、例の生臭坊主の名前だよ。ニッポンというのは…………お国さんの夫の名前だ」

 


 武道館の正面を目指して歩いていたとき、ひときわ輝くハゲ頭が、八五郎の視界に飛び込んできた。あれは例の坊主に違いない。

 八五郎はそちらに走り寄りながら大声で叫んだ。

「トーイツキョーカイさ〜〜〜ん!!!」

 驚愕の表情で立ち尽くすハゲおじさんに、八五郎がお悔やみの言葉をかける。

「この度のこと、お悔やみ申し上げます。トーイツキョーカイさん」



 ご隠居が喘ぎ喘ぎ足を動かしていると、八五郎がオデコに巨大なタンコブを拵えて戻ってきた。

「いやぁ、どうやら人違いだったようで」タンコブをさすりながら言う。

 ご隠居もほとほと呆れ果ててしまった。こんなことになるなら、あんな話をでっち上げるんじゃなかった。初めから国葬なんて知らないと正直に言っていれば……。



 武道館の正面入口近くに人だかりが出来ている。

「なんか集まってますね。あっちに行ってみましょう」

 八五郎とご隠居が人垣を掻き分け前に進んでみたところ、金髪の太った白人高齢男性が「フェイクニュース!フェイクニュース!」と喚きながら、イカつい男たちを引き連れて歩いている。

「あれはお国さんとオランウータンを捨てた白人の男に違いない。懲らしめてやらなきゃ」

 ご隠居が慌てて引き留めようとしたときには、八五郎はすでに突進を始めていた。

「この壷泥棒〜〜〜!!!」

 瞬間、イカつい男たちが拳銃を抜き、一斉に発砲した。

 八五郎の体が地面に倒れ込む。

 群衆のざわめきは一瞬にして消え去り、辺りに沈黙が降りた。

 駆けつけたご隠居に、蜂の巣になった八五郎が口を開いた。

「やっぱり八葬はちそうはささやかにやってください」

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