齢を重ねることは

古田 いくむ

第1話 きっと、また会えたよね

 年を取るという事は、怖いことだと思っていた。


 波乱の中にいた20代前半の頃は、「可愛い」「キレイ」とチヤホヤされなくなって誰も見向きもしてくれなくなることが怖かったし、結婚して子を産んだあとは、子どもたちが独立して自分から離れていくことや、皺だらけのおばあさんになっても、変わらず主人は私を愛してくれるのかどうかが心配だった。


 そんな私も、もうすぐアラフィフと呼ばれる年齢になってしまう。もちろん主人も。


 若い時の面影は残っていると信じたい。後ろ指さされない程度の微妙な若作りに励み、慢性的になりつつある腰痛に鞭打って、5歳の末っ子の後を駆け足で追う毎日。


 念入りにメイクしたつもりでも、お昼を回る頃には目じりの皺にファンデーションが寄ってしまうのを「これは笑い皺だからいいの」と言い訳しながら直す。こういうのも悪くないと思う。


 そんな平和な毎日に、突然の訃報が舞い込んできたのは先日の事。


 認知症になり、長いこと寝たきりになっていた主人の祖母が、100歳という大往生の末この世を去った。こちらの地方では、曾祖母の事を「ピーちゃん」とか「おっぴさん」と呼ぶ。私は、子どもたちにとっての曾祖母である彼女の事を、いつも「ぴーちゃん」と呼んでいた。


 ちょうど赴任先から戻っていた主人は看取りに立ち会うことができ、親戚のみんなに「しょうちゃんが帰ってくるの、待ってたんださ~」と言われたと寂しく笑って見せた。


子どもたちと留守番をしていた私がピーちゃんに会えたのは、通夜の席だ。


 例のウイルス騒動で全然面会には行けなかった。最後に会ったのはもう昨年の事。まだご飯を食べられていて、血色も良くふっくらしている顔を見て安心したものだ。けれど、棺の中で眠っていたのは、げっそりと痩せこけてしまった姿だった。


 しっかりとエンバーミングされ、死に化粧を施された顔に、若干の違和感を覚えた。こんなにしっかりした化粧をしているピーちゃんを、私は見たことがない。


 初めて会った時「あら、めんこいお嫁さんだごと。しょうちゃん、よかったな。幸せにしてやんなさいよ~」と満面の笑みで言った。


 花が好きで、自宅の庭に沢山の花や木を植えて世話をしていた。柚子やみかんが生ると「ほら、持って行って食べなさい」と袋いっぱいに詰めて寄越した。


 妊娠中は「冬のお産は、冷やすといけないから」と手編みの靴下を何足も作ってくれたし、出産して赤ちゃんを見せに行ったときは「よく頑張ってくれたね。可愛い良い子だ。あんたも、赤ちゃんも。」と目を潤ませた。


 街中でばったり会った時には「右も左もわからないところに嫁いできたのに、きちんと一人で街まで出てこれるなんて、あんたは偉い。よく頑張ってるね」とポケットの中からお菓子を出して私の手に握らせてくれた。


 思い出が、沢山ある。


 思い出の中のピーちゃんは、いつもすっぴんでニコニコ笑っていた。


 何も飾らない美しさもあるのだと、教えてもらったような気がする。


 しっかりとした死に化粧を施されたピーちゃんに感じた違和感は、その「個人的な見解」にあるのだろうと思った。いや、そう腹に収めようとしたというのが正しい表現かもしれない。


 ぼんやりと考えながら、通夜の控室でお茶を汲みつつピーちゃんの昔話を聞いていた。元々は農家の出身だったせいなのか、常に飾り気のない素朴な人だったこと。お嫁に来てからの話。おじいさんととても仲が良く、評判のおしどり夫婦だったこと。おじいさんに先立たれた時、あまりの落ち込みぶりに心配して親戚みんなで日替わりで様子を見に行ったこと。


 大往生で、まるで眠るようにあの世へ旅立ったピーちゃん。死出の旅に、あんなに張り切った化粧しなくても、せめて普段のようにして穏やかに行かせることはできないものなのだろうか。彼女らしくないのではないか。


 大好きだっただけにモヤモヤして、つい主人にその思いを打ち明けた。あんなに飾らなくたっていい。普段のピーちゃんと程遠い姿で送り出すことに申し訳なさに近いものを感じる…と。


 「そうねぇ。でも、きっとまたあの世でじいちゃんに会うんだろうから、多少気合入っていた方が良いのかもよ」そう言って主人は微笑み、続けてこう言った。


 「じいちゃんと、本当に仲が良かったんだ。あんな夫婦になりたいって思ってたくらい。だから、久しぶりに会ってみたこともない化粧をしたピーちゃんに会ったら…二人で顔を見合わせて笑うか、じいちゃんが惚れ直すかどっちかだな。そう考えたら、あれはあれでいいじゃない?」


 その言葉を聞いて思った。


 そうか。会いたい人に会うんだからきっと、化粧くらいしたいし、おしゃれにして見せたいかも。


 若い時の私の方が、察するのが早かっただろうと多う。年齢を重ねた今は、すっぴんでいることや、目元の皺も「そういうものだから」と変に割り切ってしまっている部分が多いことに今更ながら気が付いた。


 飾らない美しさの方が尊いということを曲解して、自分に手をかけられない言い訳の一つにしていたかもしれない。大切なことは、大切な人の前で、どんな表情を見せるのかという事だったかもしれない。「あなたと一緒に居られてうれしい、会えて嬉しい」その気持ちを彩る表情は、飾るか飾らないかよりも重要なことなはずなのに。


 「もし、しょうちゃんが先に逝ったとして、よぼよぼの私がバッチリ化粧して行ったらどうする?」と聞いてみた。


 「うーん。俺だったらそれも可愛いよ、って惚れ直すかもね」とニヤリと笑いながらそう答える主人を、肘で小突いた。


 年を取れば死に近づくが、先に逝ってしまった会いたい人に会える時は近づいている。


 それも悪くないか、と空を見上げた。


 ふいに「お母さん!」と呼ぶ声がして視線を下ろすと、怪訝な表情を浮かべる末っ子がいた。


 「何してたの?考えてたの?悲しいの?」


 その可愛い問いに、何でもないよと微笑んで返す。


 …私は、まだまだ頑張らなきゃならない。けど、いつかそっちに行くからまた一緒にお茶っこのみしようね。ピーちゃん。


 きっと、今頃は大好きなじいちゃんに会えたかな?


 


 


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