第7話


「リア!」

「エセル!」


朝からばたばたと買付室を出入りし、工場の職人にも今回の件でリアが動き出しているという姿を見せていたころ。やっとのことで昼休憩がとれ、大きなサンドイッチを手にして、天気のいい中庭でかぶりついていたとき、木陰の向こうからこちらに駆けてきたのは幼馴染のエセルだった。


来てくれてほっとした、というリアとは反対に、エセルは腰に手を当てて怒っている。


「急に劇場に行くって言ってたの、そういうことだったのね。聞いたわよ。お祝いしたかった」

「成功したらお祝いしてもらう」

「いや。決まったことすら祝いたい。わかるでしょ?」


真面目な顔でそう返されて、リアは思わず吹き出した。ああ、彼女がいてくれてよかった。


幼馴染のエセルは、村で一番人気の食堂の娘で、リアとは幼い頃からずっと一緒だ。並んで街の学校に行って、そのあと首都へ進学は目指さず、そのままそれぞれ家の仕事についた。喧嘩も仲直りもこれまで何十回もこなし、親友だと思っている。ともにまだ結婚はしておらず、村としては相当遅い方なのだが、見目もきれいなエセルが引く手あまたなことも、リアはよく知っていた。



首都に向かう日、リアがあわてて服装の相談をした時には、細かいところまで話すいとまがなかった。


リアの仕事のことは、おそらく食堂で工場の誰かがでかい声で話していたのだろう。どんな言い方だったかは邪推したくないが、どちらにせよそれを聞いて駆けつけてくれたことが嬉しかった。そうなれば、昨日の出来事を黙っていられもしまい。


実はこういうことがあって、という話を続けたところ、物語の核心につく前にエセルは大きい声をあげた。




「レオ・ヴィラージオに会った!?」




まずい。彼女は一般的な村の人間程度には、噂話が好きなのだ。











職人たちはまだいいが、近くに彼のファンのお嬢さんでもいたらややこしくなる。

人差し指をたて、声が大きい、と言ったところ、エセルはごめんと言ってトーンを下げたが、まだ目はきらきらしている。それもそうだ。娯楽のないこの村では、この話は彼自身が新聞から抜け出してきたように魅惑的だ。


それでも、他の人に言いふらされても困る。よもや紹介してくれなどと言われたら大変に面倒だし、工場の職人たちも、リアがレオに会ったというのは限られた者しか知らない。エセルにも絶対に黙っていてくれと言うと、彼女はかわいらしい太めの眉を下げて頷いた。



「姉さんに拷問でもされない限り言わないけど」



彼女は姉と兄が一人ずついるが、兄はこの妹に滅法甘いので例に出す必要もなかったようだ。

それでも、エセルは心配そうに続けた。



「大丈夫なの? 呼び出されるなんて」



レオから受けた相談の内容までは言っていないが、普通に考えれば、観劇の後に呼びつけられることなどない。変わった人で、こちらを確認したかったらしい、と説明した。どうせ本当のことを言った方が嘘くさい。


曖昧な説明にも関わらず、エセルがこちらを案じてくれているのがわかったので、リアは甘えることにした。



「困ったことがあったらまた、相談させてくれる? やれることならやってみたい。どうせ断ったらずっと後悔する」



素直な心境を吐露すると、エセルは呆れたように腰に手を当てつつも、優しい目で笑った。「わかった」この状況で、一人でないことの幸福をリアは噛みしめた。








エセルと交わした約束が、まさかこんなにすぐに叶うとは。


リアは、幼馴染と四苦八苦して再度自室の服をひっかきまわしながら、もしこの訪問に次があるなら、もう履いていくスカートが無い、と思っていた。



エセルの応援を受けてから数日、ずいぶん御大層な真っ白の封筒が工場に届いたのは、観劇から幾日も空かないころだった。

リアは受け取った手紙をしげしげと眺める。昔のように紙がない国ではもはやないとはいえ、このような分厚い、質のよい紙は高級品だ。


ということは、とほぼわかり切っている送り主を確かめるためにリアが送り主を見ると、美しく大変に読み取りやすい字で、ヴィラージオと書かれていた。まあ坊ちゃんが自筆などしないから、お付きの誰かの字だろうが。



中身は、簡単な礼から始まり、たっぷりと含みをもたせて書いてあるが、はっきり言えば「この日に屋敷に来い」とのことだった。


それでは口実がないが、坊ちゃんは品よく誤魔化していた。居合わせたオータムだけはしたり顔でにやにやしながら、すぐに行けと言ってくる。



『女性の目線で、よい加工の職人を紹介してもらえないか』


村の言葉で翻訳すれば「女にやる贈り物に目新しいものが欲しい。知り合いの工房を紹介させてやってもいい」という意味である。



上手い、とリアは手紙をひらひらさせた。これであれば、リアを呼び出す違和感もない。

リアだけは、これがどうでもいい口実であることはわかっていたが、女たらしの噂も役に立つのだなと、と思いながら、勲章の話題であろうと胃を痛めた。




今回は劇場ですらない。まさかこんな豪奢な屋敷に来ることがあるなど思っていなかったので、かろうじて黒のスカートと白の上着を合わせることで服装はしのいだ。

なんだか喪服のようだが、色のある服は如実に金額の差が現れるのが悲しいところだというリアの意見はエセルと一致した。


簡単な地図に沿って、首都の一角にたどり着く。ヴィラージオ家の、まさか坊ちゃまが住まわれている屋敷ではないのだろうが、来賓などが招かれる建物なのだろう。劇場にほど近い建物は、豪奢ではないが、その小さな佇まいをあえて無装飾にすることで、余計に貧乏人を近づけないようなデザインだった。



守衛と呼ぶべきなのか、軒先の小さな緑地に建っている男に名前を告げると、建物の中に通された。


小さいがきれいな庭を進み、大きな入口の前に、あの日劇場でリアを呼び止めた男がまた出迎えに立っていた。ようこそお越しくださいました、などと、あの日の一部始終を見ていたくせに白々しい。



扉を開ければ、鈍い赤と金を基調とした品のいい内装の室内だった。小さくはあるが開かれ、窓から明るい陽射しの指すホールに招かれる。


応接室か、と思うと、理由もなく緊張し始める。美しいソファに腰かけ待つように告げられるが、扉のない構造なので、思わず帰りたい気持ちで入ってきた方向に目をやってしまう。


「すぐにお呼びします」と言われたが、1分だって長い時間のようだった。すると、入れ違いに屋敷から出ていくように、別の部屋から女性が玄関まで歩く姿が見えた。リアを迎えた彼とは別の使用人らしき男性にエスコートされている。


リアが特別そちらを見てしまったのは、その女性が大層美しかったからだ。引き絞られたウエスト、小さな足。小さな顔。そうしてなぜか彼女も、こちらに目をやったように思われた。が、ほんのかすめるような一瞬であったので、それはすぐにそらされる。


その視線の動きに違和感はあったが、リアは通された部屋で待ち続けるしかなかった。なんだかこの仕事、どんどん変な方向に進み始めていると眉を下げた直感は正しかった。



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王国一の語り部は縞々(ストライプ)が嫌い!? 式田 @shikida22

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