第1章 ピックケースはどこにある(4)

「え、いや、そうだけどそうじゃないっていうか、ロズィちゃんとか衣緒花いおかちゃんに比べたら、ホントおままごとみたいなもんで……」

「ロズィ、けっこうロックとか好きだよ! 聞きに行くね!」


「いやーいいよいいよ、ホントにさ、思い出作りっていうか、そういうやつだから」

「いいですね。私も聞いてみたいです」


弾む衣緒花いおかの声に、三雨みうの眉がぴくりと動いたのがわかった。


僕は人の関係に鈍いほうだという自覚はある。しかしそれでも、三雨みう衣緒花いおかのあいだにある微妙な雰囲気を、僕なりに感じ取ってはいた。衣緒花いおか三雨みうに対してごく自然に接しているのだが、三雨みう衣緒花いおかがいると、なんだか緊張している節がある。


それはティラノサウルスが闊歩する足元で穴に隠れる、小型哺乳類を思わせる。別に今は白亜紀というわけではないのだし、三雨みうが窮屈な思いをするのは本意ではないのだが、かといって衣緒花いおか三雨みうになにかを言うのも変な感じがする。


「それはそれとして、私たちも退散しますよ」

「ちぇ。はーい。ミウ、楽しみにしてるね!」


そして衣緒花いおか衣緒花いおかで、気を使っているのも伝わってきていた。周りの様子に頓着しないロズィはともかくとしても。


「はは……期待しないでおいてねー……」

「それでは有葉あるはくん、また放課後」

「うん。またあとで」


優雅に去っていく恐竜とそれに連れ立つ狼を見送ったあとで、僕は三雨みうを振り返る。

彼女はなんともいえない微妙な表情で、ふたりの背中を見つめていた。


「よっす。三雨みういる?」


なんと声をかけようか迷っているところで、ひとりの男子生徒に先を越される。


片方の目にかかるくらい重い前髪と、同じくらい重そうに垂れた目の端が印象的だ。見た目の雰囲気はちょっと暗い感じなのに、その声は軽快で飄々としている。背は高いが線が細くて、飛び出た犬歯が目立つ。


黒いケースに入ったギターを背負っていたが、よく見ると三雨みうのものよりちょっと大きい気がする。きっとベースというやつだ。背の低い三雨みうと並ぶと、なんだか妙に収まりがよかった。


なんとなく、サメみたいな人だな、と思った。


「あっ、ウミくん。ごめんごめん、机にピックケース忘れちゃってて」

「だーれがウミくんだ。俺が卒業するまでに、お前は俺を先輩とは呼ばないんだろうなぁ」


そう言って大げさに肩をすくめると、冗談めかした溜息をつく。どうも様子からすると、軽音楽部の先輩らしい。


「ロックに年功序列ないでしょ。それにカイ先輩だと、なんか海鮮丼みたいだし」

「そっちのほうがうまそうでいいけど。俺イクラ好き」


「誰も聞いてないよそんなこと」

「しっかし、そもそも河口かわぐちかいって、もうちょっと考えて名前つけてほしいよな。単なる地形だっての」


「雨よりいいじゃん。湿っぽくなくて」

「そう? あ、そういやさっきそこで衣緒花いおかちゃんとすれ違ったんだけどさ。やっぱかわいいよな。なんかいい匂いしたし」


「え、ウミくん気持ち悪」

「うるさいな。いいだろ別にファンなんだから」


僕はぽんぽんと繰り出される軽快な言葉を、まるでジャグリングでも眺めるかのように見つめていた。それを見ているうちに、なんだか納得する。バンドのメンバーらしい息の合い方だったから。


「いいから練習行くぞ、もう文化祭まで時間ねぇんだから。じゃ、お邪魔しましたー」

有葉あるは、またね!」

「うん。練習がんばって」


三雨みうに声はかけそびれてしまったが、そのまま見送る。様子は気になったが、もともと、なにかはっきり聞きたいことがあったわけでもない。


衣緒花いおか、ロズィ、三雨みう、カイ――ウミ先輩。いろいろな人が風のようにやってきて、落ち葉を巻き上げるようにして去っていく。


ひとり静けさとともに自分の席に残されると、ふう、と小さく息が漏れた。

机の上に置いたスマートフォンをなにげなく見ると、衣緒花いおかからいくつかのメッセージが届いていた。通知を見る限りは特に重要な用事ではなかったので、あとで返事をすることにする。


今までになかった情報量に少し疲れて、僕は椅子を後ろに傾け、天井を見上げる。衣緒花いおかと出会う前はどんなふうに過ごしていたのか思い出そうとしたけれど、うまく思い出せなかった。


「さて。放課後、か……」


そして僕は、この後に待っている、さらなるに、思いを馳せた。

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