たとえそれが偽物だったとしても

藍崎乃那華

ーーー


私の周りは今真っ暗だ。

周りを見渡しても闇しかない。なぜなら今は、押し入れに閉じ込められているから。

 

時を遡ること1時間前。私は学校から帰ってきて、夜ご飯の支度をしていた。今日はカボチャがスーパーで特売だったので、それを使ったスープを作ろう、なんて考えながら。

ちょうどその時帰ってきた母から

「なんで夜ご飯の支度が終わっていないの?罰として押し入れで反省していなさい。今日のあなたの夜ご飯は無いから」

と言われ、今に至る。

本来、学校から帰る→スーパーに買い出しに行く→夜ご飯を作るというこの一連の行動をどれだけ急いでやったとしても、母が帰ってくる時間までに終わらせることは不可能だと思う。けれど、それは私の行動が遅いせいであって、全員が全員不可能な訳では無いのだろう。だから全部私が悪い。それを母は私にわざわざ教えてくれたんだ。

明日からは、もっと早く家に帰らないと。そうしたらきっと母の帰りまでに夜ご飯が作れるはず。そう、もっと私が頑張れば母に喜んでもらえるはず。押し入れの中で私はそんなことを考えていた。


「出てきなさい」


 押し入れの外から母の声が聞こえる。それと同時に、明るさを感じた。先程まで闇に包まれていたので、光を感じた途端目の前が真っ白になった気がした。


「明日以降は、もっと早く夜ご飯の支度をしておくこと。わかった?」


「はい」


押し入れの中から解放されるときは基本母から反省したか問われる。けれど、その問いには「はい」としか答えてはいけない。それ以上のことを話したり、「いいえ」と答えれば更なるお仕置が待っているから。


「わかればいい。そういえば、今日考査の結果が返ってきたんだよね?見せなさい」


「……わかりました」


考査……。私はすごく憂鬱だった。現代文だけ100点を逃してしまったから。母は完璧を求める人だ。100点では無い教科が1個でもあれば納得しないだろう。それをわかっていたから、私はできる限り見せたくなかった。


「お待たせしました」


「……ねぇ、現代文が98点ってどういうこと?」

「申し訳ありません」


母の顔が怒りに染まっていくのがわかった。私はその様子を見つめることしか出来なかった。


「98点なんて……あなたは何を考えているの?!」


「っ……。ごめんなさい」


 母が私を殴り始める。もちろん、服で覆われている範囲だけしか殴らないので、目立った外傷になることはない。

けれどこの状態の母には、何を言っても通じなくなる。そのため、私は母に対して謝ることしか出来ないのだ。


「……次の考査までにみっちり復習しておくことね。今から半袖になり、今日はベランダで一夜を過ごしなさい」


「はい」


母は満足いくまで殴ることが出来たのか、次の指示が出た。私は急いで母親に言われた通り半袖の服を探しそれに着替え、ベランダに移動した。

今は真冬で、しかも夜。そんな中半袖でベランダにいたらどうなるか、想像に難くないだろう。

けれど、全て私が悪いんだ。母は私のためを思って日々教育してくれているのに、私はそれにこたえることが出来なかったのだから。同じ誤ちを犯さないためにも、もっと反省しなければいけないのは重々承知しているつもりだ。

私はとても幸せものだと思う。こんなふうに熱心に教育してくれる母がいて。きっと私をこんなに教育してくれるのは、母は私を愛してくれているからだと思う。なのに私は未熟者で、いつも母の理想にこたえることが出来ずにいる……。本当はもっともっと頑張らなきゃいけないのに、私はいつも何をしているのだろう。

真冬の夜空の下寒さに震えながら、私はずっとそんな事を考えていた。


あれから何時間経ったのだろうか。気がつくと、周りは明るくなっていた。もちろん寒いことに変わりはないのだけれど、水色の空を見て朝を迎えたことだけはわかった。


「約束通り一夜をここで過ごしたようね。今は7時だから、急いで学校に行く支度をしなさい。もちろん、朝ごはんも抜きだからね」


「わかりました」


部屋に入った途端、全身に血液が巡るのがわかる。それだけ私の体は冷えきっていたのだろう。

悴んだ体を必死に動かして学校に行く支度をする。ここから学校までは自転車で10分なので急がなくても始業時間には間に合うけれど、7時40分には学校が開く。なのでその時間までには学校に行き、始業時間まで勉強をする。自宅でしても、と思うのだけれど母の言うことは絶対に従わなければいけない。


「じゃあ、私は仕事に行くから。あなたも早く学校に行きなさい」


「はい」


早くしなければ。悴んだ体も少しずつ温まってきて、やっと学校へ行く支度を終えた。


「早くしないと……」


私はそう呟き、誰もいなくなった家に鍵をかける。


「はぁ、寒……」


やはり真冬の寒さは身に染みる、そんなことを自転車を漕ぎながら改めて感じた。夜の寒さもかなり厳しいが、朝の寒さは更に厳しい気がする。


「おはようございます。今日も早いのですね」


「おはようございます。勉強しないと、前回の考査の結果がよくなかったので」


校門にはいつも通り教員が1人立っている。毎日日替わりでいろいろな先生が立っているのだけれど、今日は私の担任の日だったらしい。


「よくなかった、って……。相川さん、あなた現代文以外100点でしたよね?それのどこがよくなかったのですか?」


私は先生の言葉に疑問を感じた。1つでも100点では無い時点でよくないはずなのに、先生は何を言っているのか私には理解できなかった。


「現代文が、100点ではなかったので。母にも怒られてしまいました。なので、私はもっと頑張らないといけないんです。もう時間になるので、行きますね!」


「?そう、ですか……」


学校中に7時40分のチャイムが鳴り響く。私はその音色に急かされる。早くしないと、勉強時間が失われてしまうから。私は不思議そうにしている先生を置いて、自転車置き場に向かった。


なぜだろう、さっきから頭が痛い。今はまだ二限なのだけれど、全く授業に集中出来ずにいた。

昨日の寒さのせいで風邪をひいた可能性を真っ先に考えたが、その程度で休んでる場合では無い。しかしそんな思いとは裏腹に、私の体は全く言うことを聞いてくれない。今も大事な授業中だというのに、ノートをとる手が震えて上手く文字を書くことが出来なかった。


「……今日の授業はここまでにします。後30秒でチャイムもなると思うので、各自解散としてください。それと相川さん、廊下に来てください」


……ノートをとっていなかったことに関して怒られてしまうのだろうか?私は少しビクビクしながら先生のいる廊下に向かう。


「相川さん、着いてきてください」


予想外の言葉に私は疑問を抱えながら先生について行く。一体先生は、どこに向かっているのだろうか私には想像ができなかった。


「体温測ってください」


着いたのは予想外にも保健室だった。


「は、はい」


「なぜノートをとることすら出来なくなるまで頑張り続けるのですか。考査での成績も日常生活においても素晴らしいですが、自己評価がかなり低い上に頑張りすぎる場面が多いです。時に自分を褒めながら休みをとるということを覚えてください」


先生は何を言っているのだろう。私に休んでいる暇などない。成績だって満足いくものでは無いし、毎日母から怒られているので日常生活においてもダメなことばかりなはずなのに。


「体温、やはり高いですよ。今日は早退してください」


「い、嫌です、!」


私は早退という言葉に過剰に反応する。早退なんてしてしまったら、母からなんて言われるか……。昨日のこともあるから、早退なんてする訳にはいかない。


「なぜですか?」


「私は、もっと頑張れます!授業受けさせてください」


先生に必死に訴える。私はもっと頑張らなければいけないのだから、早退なんてする訳にはいかないのだ。


「優等生のあなたが、そんなこと言うとは珍しいですね。どうしましょうか……」


「相川さん、服の下を見せてもらえますか。その間、先生は廊下にいてください」


今まで何も言わなかった保健の先生が口を挟む。なぜ服を……?昨日母に殴られたあとが服の下には広がっている。それをもし知られてしまったら、何を言われるだろうか。


「……その傷はどうしたのですか?」


「え、っと……」


服の下にできた傷の言い訳なんて、咄嗟にできる訳がない。私はそれでも必死に言い訳を考える。


「……転けました」


必死に考えたけれど結局、これしか思いつかなかった。なんて私は愚かなのだろう。


「絶対違うでしょ。見たいものは見れたから服着ていいよ、ありがとうね寒いのに」


「見たいもの、?」


私の服の下の見たいもの?想像がつかなかったけれど、今ので見れた、のだろう、か、?


「そう、見たいもの。あなた、お母さんに洗脳されてるね?その傷も、お母さんにつけられたものでしょ?」


「母に洗脳なんてされてないです!母はいつも私のことを思って教育してくれてます」


母から洗脳?そんなことはない。母は私のことを教育してくれているのに、この先生はなんてことを言うのだろう。母ほど優しい人はいないのに。母は私を傷つけているのでは無い、私が悪い子だから罰を与えてくれているんだ。そう、これは愛。それなのに……。


「……そっか。あなたはここにいなさい。少し、先生と話してくるから」

「母は!私を愛してくれてるんです、!」


「わかったから、そこにいて。大丈夫だから」


絶対わかってくれていない。何度私が訴えても、保健の先生は私を軽くあしらうだけだった。

保健の先生はきっと、私と母を何らかの方法で離そうとするだろう。以前ニュースで母からの愛を他人に理解されず引き離されている事例をみたことがある。ニュースキャスターは「虐待だ」なんて騒いでいたけれど、あれはれっきとした家族からの愛だと私は思う。虐待の定義が私はよくわからないけれど、なぜ愛しあっている家族を虐待だといって引き離そうとするのか、私には理解できなかった。

けれど、今の状況だと私の訴えは聞いてもらえない。どうすればいいのか……。私は上手く動かない頭で必死に考える。


「待たせたね。今から病院行くよ」

「病院……?」

「そう、病院。今校門にタクシー来たから」


病院?なぜ……。さっきの予想の斜め上の事態に私はついていくことができない。


「寝てていいよ。昨日あなた、かなり寒いところで一夜を過ごしたんじゃない?」


「なんで、」


「指先が凍傷を起こしている。ここまでなるってことは、昨日かなりの時間半袖のような格好で外にいたんじゃない?」


その言葉に衝撃を隠せない。けれど、昨日ベランダにいました、なんて言ったらきっと私と母は一緒にいることが出来なくなってしまう。


「なぜそうなったかは話さなくていい、ある程度わかっているから。あ、病院に着いたね。今車椅子持ってくるからちょっと待ってなさい」


「車椅子?!」


タクシーを急いでおりて病院の入口に走っていく先生に、私は戸惑いっぱなしだ。


「……電話で話してたのこの子です」

「わかりました」


保健の先生と誰かが近づいてくる声が聞こえる。けれど私はその声に反応することが出来なかった。

「相川さん?相川さん?!」

必死に私を呼ぶ声が聞こえる。そこで私の記憶は途絶えていた。


「……ん、」

「気がつきました?あなたの意識がなくなっている間に治療はほとんど終わりました。ですが、今日はここに入院してもらいますから」


いつの間にか私の横には担任の先生がいた。けれどそれ以上に、先生の発した言葉に私は驚いた。


「入院なんて出来ないです!私は大丈夫ですから、今すぐ退院させてください」


私のその言葉を聞き、先生は悲しそうな表情をみせた。私は、もっと頑張らなきゃいけないのに、なんでそんな悲しそうな顔するのだろう。


「それは出来ません。先程、相川さんのお母様は逮捕されました」


「た、いほ、?」


なんで。信じられない。

母はなんの罪を犯したの?

私は母に愛してもらえないの……?


「相川さんは、虐待されていたんですね。気づくことができなくて申し訳なかったです。ですが、もう大丈夫ですよ」


「……何が、何が大丈夫なんですか?!」

「え、?」

いきなり声を荒らげた私に、先生は明らかに動揺していた。

「母は私を愛してくれていました……!なのに、虐待?なんですかそれは!虐待なんて私はされてない!母はただ私に教育して、私をよりよくしようとしてくれていたんです!逮捕されるなんて、おかしいです!」


「……相川さん、それは愛ではありません。いかなる理由があれ、人に暴行を加えることは許されません」


「先生に、先生に、何がわかるんですか……!」


「相川さん、待ちなさい!」


私は腕についていた点滴を引き抜き、階段を探して走った。けれど、簡単に先生に追いつかれてしまった。


「何をしてるんですか?!」

「母を、返してください!」

気づくと私の目から涙が溢れていた。

愛する母が逮捕されたなんて、信じられなかった。

なんで、なんで、なんで……。その答えは、誰も教えてくれなかった。


「どうされました?」


ナース服を着た人……、その人が看護師と認識するのに少し時間がかかった。

私は看護師に促されるまま、先程までいた病室に戻った。


「今日は、休んでください。お願いですから」

先生はそう私に言って、去っていった。

私は先生が去って時間が経ったことを確認し、病室を抜け出した。

必死に階段を探す。ここが何階かわからないけれど、早く出口に向かわなければ。


……あった。階段。

私は笑顔で入口に向かって走った。


『母を奪ったやつを、後悔させてやる』


私は母から愛されていた。

けれど、先生が言うことも薄々感じていた。

でも、私にとってはそれが愛なの。

それを求めてしか生きられない。


偽物だとしても、それを求める方法しか知らないの。


だから私は……


病院を抜け出して

母がいる場所を求めて走った。


今日の夜も、昨日と同じ空が広がっていた。

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