第6話 『作品』の条件
なぜ、あのストレートにこんなに早く対応できるんだ。
サードからボールを受け取る灰人を見ながら必死に思考を巡らせた。
バレていたとはいえ、コースは完璧だった。外角ビタビタの130キロ台後半だぞ。
強いチームにいたとはいえ、軟式野球上がりの若狭にとって未体験のスピードだったはずだ。
釈然としない思いを抱えたまま、再びホームベースの後ろに戻る。
試しに内角寄りに構えてみるが、灰人はセットポジションに入らない。
ああ、そうかよ。今のを見ても意思は変わらないかよ。
外角に移動して、4球目。全く同じコースに来たボールに若狭がバットを合わせると、打球はバックネットの端に当たった。金網の立てる音が心をざわざわと掻き乱す。
5球目。打球は三塁側のネットにライナーで突き刺さる。
まぐれじゃない。若狭は灰人の球に食らいつけている。いや、それどころか、打球がどんどん鋭くなっている。
「おい、なんであのボールが打てる」
思わず対戦相手である若狭に答えを求めてしまった。
「いや、確かに凄いボールだとは思うんだけどよ。慣れてきた」
「慣れてきた?」
「だって、機械みたいに正確に同じコースに来るんだぜ? 流石に3球も続いたら当てるのは難しくない。で、ファールで逃げられるようになったんだから、後はタイミングとコースを徐々に合わせていけばいい」
若狭はバットを両手で持って大きく伸びをした。
「そろそろ打てると思うぜ」
そうか、なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだ。
灰人のクロスファイヤーはあまりにも綺麗すぎる。
ストライクゾーン内の投げ分けがミスなくできる中学生はほとんどいない。
だから、意図せずに同じようなコースに同じ球種を投げてしまうことは何度もあった。
しかし、灰人の場合はその比ではない。『同じようなコース』ではなく『全く同じコース』にボールが来る。
若狭は「機械みたいに」と表現したが、灰人のクロスファイヤーの再現性はピッチングマシンを遥かに凌駕する。
ブルペンの3球と勝負の5球を合わせた8球に対して、広馬は一度もミットを動かしていない。
人間の適応力というものは馬鹿にできない。好投を続けていた先発投手が終盤に捕まる事例が後を絶たないのは、疲労だけが原因ではない。1打席、2打席と重ねるうちに、打者の目は球筋に慣れていくのだ。
バッティングセンターには、140キロに近いようなマシンを設置している店もある。最初は打席に立つのにも恐怖を感じるものだが、普段野球をやっている人間なら、1ゲームを終える頃には当てることくらいはできるようになるものだ。
僅か3球で灰人のクロスファイヤーにバットを合わせてくる若狭は少し特殊かもしれないが、2打席目、3打席目に攻略してくる高校球児は珍しくないだろう。
現段階ではっきりと分かることは一つ。このボールでは若狭を打ち取ることはできない。
サードからボールを受け取った灰人が広馬の準備が整うのを待っている。
こうなったら、やるしかない。
広馬は腰を落とすと、内角にミットを構えた。灰人が首を傾げ、グローブで外を指示する。それでも広馬は動かない。ミットを2度強く叩き、若狭の膝元に構え続けると、灰人が緩慢な動きでボールをセットした。
よし、覚悟を決めたか。
次の球は、ここまでの5球のように構えたところそのままには来ないかもしれない。
しかし、絶対に捕まえなければいけない。練習とはいえ実戦形式。後ろに逸らせば振り逃げが成立する。
灰人が脚を上げ、投球モーションに入る。外角を要求していたときと変わらず迷いなく振り切られた腕。そして、放たれたボールも全く同じ軌道を辿った。
「おわ!」
広馬は内野手のように横に跳ぶ。必死に出したミットの先で、バットの芯がボールを捉えた。
小気味の良い金属音を残し、打球はレフト方向に一直線。白線を引いていないから分かりづらい。フェアか、ファールか。
「ファール! ファール!」
左中間から勢いよく走り込んできた木戸がコールしながらボールを追いかける。
「あー、惜しい!」
一塁ベース手前で若狭が口惜しそうに腿を叩いた。
広馬は寝転がったまま安堵の息を漏らした。今の打球は肝が冷えた。スライス回転がかかっていた分、打球がギリギリファールゾーンに逃れただけだ。
次に湧き上がってきたのは怒りだ。あいつ、サインを無視しやがった。
強引に内角を押し通した自分にも責任はあるかもしれない。しかし、だからといって、キャッチャーなんていなかったかのように投げたいコースに放りこんでくるのは癪に障る。
マスクを外し、大股でマウンドに歩み寄った。
「おい、なんでサインを無視した。あのままだったら打たれるの、分かるだろうが」
「ご、ごめん!」
わがまま続きだった灰人も、広馬の剣幕に押されたのか、頭をヒョコリと下げた。素直に謝られるとは思わず、少しだけ申し訳ない気分になった。意識的に語気を弱める。
「んで? なんで外角しか投げない? 確かにサイドスローで左打者の身体の近くに投げるのは怖いかもしれないが、お前ほどの制球力があれば投げられるだろ」
「だって、2ストライクに追い込んでるし、それに僕、そもそも……」
「ん、待て待て」
広馬は右手を突き出し、話を制した。
「なんで追い込んだから外角なんだ? 別に打ち取れればどこでもいいだろ」
「だって、それじゃあ作品が完成しないし」
「作品? そういえば、勝負を始める前にもそんなこと言ってたな。その作品ってのはなんだ」
「僕の思い描いている作品っていうのは」
灰人は大好きなおもちゃを自慢する子どものように意気揚々と言った。なんとなく、嫌な予感がした。
「左打者を外角のストレートで見逃し三振にすることで完成するんだ」
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