第一章 ~『記憶の中で憧れた最強』~
人生の始まりは戦場だった。
リグゼには十五歳より前の記憶がない。両親や兄弟の顔も覚えていないし、生まれ故郷すらどこか知らない。
だが任務だけは与えられていた。世界に二人といない《鑑定》の魔術。低レベルな魔術に限定されているが、視認するだけで魔術をコピーできる。
彼は多くの術式を解き明かし、王国の軍備を強化した。命懸けで戦場を駆け抜けたのだ。
そして時を重ね三年が経過した頃、彼は戦友に囲まれるようになっていた。
家族のいない彼にとって戦友たちは宝物だった。王国のために、敵対する帝国と戦うことに誇りさえ感じるようになっていた。
「今日も俺たちの勝利だ」
逃げ去る帝国兵たちの背中を馬上で見つめながら、勝鬨をあげる。連戦連勝は日常となっていたが、それでも勝利は嬉しいものだ。
「これもすべてリグゼ殿のおかげですな」
馬上で並ぶ副官のリスタが声をかけてくる。馬に乗れるのは指揮官の特権だ。彼はこの小隊でリグゼに次ぐ地位にあり、軍人歴三十年の大ベテランである。
クマのように毛深く獰猛なため、部下からは恐れられているが、使命感のある熱い心根の持ち主である。
「俺だけじゃない。皆の働きのおかげだ」
「ご謙遜を」
「事実さ。そして頑張りには報酬で応えないとな」
「部下たちを休ませますか?」
「油断しない範囲でな――もちろん俺たちは別だ。警戒を怠るわけにはいかないからな」
「指揮官は大変ですなー」
「相手に魔術師がいれば簡単に戦況がひっくり返る。死んでから後悔するより、生きている内に苦労したいだろ」
「ですがリグゼ殿なら魔術師相手でも後れを取らないのでは?」
「相手が初級魔術師なら楽勝だ。中級なら……皆の力を借りて、数の暴力に頼るとするよ。だが上級なら逃げるしかないな」
「超級なら?」
「安らかな死を祈るさ」
魔術師は初級、中級、上級、超級と実力で区別されている。魔力ゼロのリグゼでは、上級以上とまともに衝突すれば死を逃れることはできない。
「まぁ、帝国には超級魔術師は一人しかいない。滅多に遭遇することもない」
「それは不安ですなぁ……運のなさにかけては自信がありますから……」
「戦争に巻き込まれている時点で俺も変わらないくらい不運だ。だが戦略的にも超級には超級をぶつけるはずだ。王国の大賢者様の活躍に期待しよう」
超級はネームドとも呼ばれ、大賢者の称号を与えられている。その中でも一際有名な《銀の大賢者》について思い出す。
「そういや聞いたか。《銀の大賢者》は、歴代でも最強の力を持っているそうだぞ」
「噂のブス姫ですな」
「こらっ、相手は英雄だぞ……俺たちの代わりに帝国の超級魔術師と戦ってくれているんだ。感謝しないでどうする」
「実感が湧かんのですよ……噂では超級は怪物だと聞きますが、なにせ会ったことがないもので」
「例えば帝国の超級はドラゴンを操るそうだぞ」
「ドラゴンとはあの御伽噺の?」
「現実の生き物だ。ダンジョンの最下層に住んでいるそうだぞ」
「私は見たことがないものは信じない主義なので」
「なら幽霊も信じない主義なのか?」
「もちろん。死んでいる人間より生きている人間の方が恐ろしいですから」
「それに関しては同意だな」
苦笑を漏らしていると、馬が嘶き、足を止める。
「リスタ、気を引き締めろ。緊急事態だ」
遠くの空から影が近づいてくる。鳥ではない。サイズがあまりに規格外だからだ。接近したことで、その影の正体を知る。赤い鱗に覆われた怪物は、口から牙を生やし、雄大な姿で空を覆っていた。
その正体に心当たりがあった。御伽噺に登場するドラゴンである。
「緊急命令だ! 散り散りになって、ここから逃げろ!」
部下たちに檄を飛ばし、逃走を命じる。まとまって逃げては一瞬で蹂躙される。助かる可能性を少しでもあげるための命令だが、無慈悲にもドラゴンは火球を放つ。
すべてを台無しにする一撃が歩兵たちを炎で焼く。雲一つない青空に煙が昇り、人の焼ける匂いが立ち込めた。
「俺は夢でも見ているのか……」
ドラゴンの襲撃は止まらない。命懸けで守った村が、口から発した閃光で吹き飛ばされる。
一国の軍事力に匹敵するドラゴンへの抵抗は、蟻が象に挑むより愚かである。せめて楽に死ねるようにと願った瞬間、頬に鋭い痛みが奔る。
「いてっ、なにをするんだ⁉」
「リグゼ殿の《鑑定》の力は王国の宝です! ここで死んではいけません! 私が時間を稼ぎますから、その間に逃げてください!」
リスタはそれだけ言い残して走り出すが、彼が炎に焼かれるまでに時間はさほど必要としなかった。
共に過ごした三年間の思い出が脳裏を巡る。永遠の別れに、手が震えた。
「俺は無力な人間だな……」
戦友を救うこともできず、村を守る責務さえ果たせない。
悔しいと下唇を噛み締める。彼にできることはドラゴンを睨み付けることだけ。そんな最後の抵抗も放たれた火球によって終わろうとしていた。
短い人生だったと目を閉じる。炎で身を焼かれる覚悟をするが、痛みや熱さを感じない。恐る恐る瞼を開けると、銀髪の少女が立っていた。
「どこも怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
「なら良かった。あとは私に任せてください」
銀髪の少女はドラゴンに闘いを挑む。牙を剥き出しにして、業火を放つ怪物の猛攻を躱し、雷の魔術による反撃を行う。
まるで神話の世界の闘いだった。人の枠組みを外れた怪物たちは衝突を繰り返す。
実力が拮抗していると悟ったのか、ドラゴンは村を襲うのを止めて、遠くの空へと消えていく。
残されたのは銀髪の少女とリグゼだけ。。燃える地獄の中で彼は彼女を見据える。
「ありがとう……あんたは俺の命の恩人だ」
「ふふ、どういたしまして♪」
醜いはずの銀髪が気にならないくらい魅力的な笑顔に、リグゼは心臓を高鳴らせる。
この日を境にリグゼは最強を追い求めた。彼の願いは唯一つ。彼女の隣に立てる魔術師に成長すること。そして、この時の想いが初恋だったとは、リグゼ本人さえも自覚していなかった。
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