第一章 ~『追放を宣言された大賢者』~


 部屋から離れたリグゼたちは、庭先のガーデンベンチに腰掛ける。風で揺れる木々を眺めながら、隣のアリアが泣き止むのを待った。


「落ち着いたか?」

「はい……ありがとうございます……」

「気にするな。受けた恩に比べれば、たいしたことはしていない」

「私と面識があるのですか?」

「覚えてないだろうが、昔、命を助けられた。だからこそ忠告させてくれ。あの王子は止めとけ」

「…………」

「恋人よりメイドを信じる男だ。結婚して幸せになれるはずがない」

「リグゼ様、あなたは優しい人ですね……」

「お、俺は別に……」

「でも婚約を諦めません。あの人は私のような醜い女を愛してくれましたから」

「自分を卑下するなよ。男なんて星の数ほどいるんだ。きっと良い男が――」

「慰めは止めてください! 私は銀髪ですよ! 他に愛してくれる人なんているはずがありません!」


 声を張り上げた後、彼女は肩を落として俯く。やってしまったと、リグゼは後悔で頬を掻いた。


「あのさ、人は見た目がすべてじゃないぜ」

「でも……」

「俺は魔術研究が趣味でな。常識を疑うのがクセになっているから、銀髪でも醜いとは思わない。それどころか美人とすら思える」

「リグゼ様は優しいですが、変わった人ですね」

「友人からもよく言われるよ」

「でも嬉しいです。私を一人の女性として尊重してくれたのは、あなたで二人目ですから」

「一人目は王子か?」


 その問いに、アリアは首を縦に振ると、昔を思い出すように遠くを眺める。


「私は愛を知らずに育ってきました。お父様からは嫌われ、屋敷の使用人さんたちも私を無視するのです」

「…………」

「銀髪のブスだからと迫害されてきた私を、唯一愛してくれたのが王子でした。だからこそ私はあの人の傍にいたい。誤解されたくらいで諦めきれるほど、小さな愛ではありませんから」


 言葉の節々から強い意思を感じる。その想いの強さに、仕方ないと立ち上がる。


「一人より二人だ。一緒に誤解を解きに行こう」

「ふふ、あなたのような素敵な人と結婚できる女性は幸せ者ですね♪」

「か、揶揄うのは止めてくれ」


 頬を赤く染める彼が微笑ましくて、アリアの暗い顔もパッと明るくなった。


 二人は肩を並べて、部屋へと戻る。廊下は不気味なほどに静かで、部屋の扉も開いたままだった。


「王子たちはどこへ行ったんだ?」

「私を探してくれているのでしょうか?」

「そうだといいな」

「はい♪」


 王子の不在を前向きに捉えるアリアだが、そんな彼女の表情が深刻なものへと変化する。異変に気付いたのはリグゼも同じだった。


「なんだ、この不気味な魔力は……」


 大賢者の称号を持つ二人だからこそ、魔力に対して鋭敏だった。殺気を孕んだ魔力を感じ取り、ゴクリと息を呑む。


「トラブルが起きたようだな」

「助けに行きましょう」

「ああ」


 アーノルドが危険に巻き込まれたかもしれない。そう危惧した二人は、魔力の発生源へと向かう。


「この部屋だな」


 一際大きな扉は、王の間への入り口だった。物音はしない。だが微かに血の匂いが鼻腔を擽った。


「リグゼ様はここにいてください」

「待て、俺も行く」

「ですが……」

「俺は軍にいたことがあるし、それに、魔力ゼロでも性別は男だ。古臭い考えだが、女の子を一人で危険な場所へと送ったりできないさ」

「やっぱり、あなたは優しい人ですね」


 扉を僅かに開き、隙間から中の様子を伺う。薄暗くてはっきりとは見えないが、彼には考えがあった。


(偵察任務を思い出すな)


 視野が悪くとも問題はない。彼には《鑑定》の魔術があるからだ。


 王の間の状況が鑑定され、分解された情報が脳に流れ込む。床に国王と王妃、そして第一、第二王子の死体が転がっていた。


(王族を皆殺しか……)


 二人は恐る恐る王の間へと足を踏み入れる。流れる血を踏みつけながら、ゆっくりと進んでいく。


「アーノルド様、助けにきました!」

「アリア、そこにいるのか?」

「はい、私はここです!」


 暗い室内から声が届くが、どこにいるまでは掴み取れない。


(他の王族は全員殺されたのに、アーノルドだけが生きている……そんなことがありえるのか?)


 疑念を覚えた瞬間、それは既に手遅れだった。アリアの身体を黒い剣が貫き、血がリグゼの頬にかかる。


「ア、アーノルド様……」

「やはり化物はこれくらいで死なぬか」


 剣を引き抜くと、アリアに馬乗りになったアーノルドが、何度も剣を突き立てる。肉を裂く音と共に、血の匂いが強くなる。


「死ね、化物! 死ね!」

「わ……私……っ……尽くしてきたのに……どうして……」


 アリアは口から血を吐き出しながらも、アーノルドに縋るような眼を向ける。


「貴様の献身は役に立った。おかげで第三王子である俺が、次期国王の候補に選ばれた……だが父上は私を王の器でないと切り捨てた! 私の方が優秀なのにだ! だからな、アリア。貴様に王族殺しの罪を被ってもらうことにしたのだ」

「わ、私が……」

「おめでとう。歴史に残る大悪党だ」


 アーノルドは機嫌よく拍手を送る。そんな彼に対して、リグゼは怒りを我慢できなかった。自然に動いた拳が彼の頬を貫いていた。


「お前のようなクズにアリアを嫁にする資格はねぇ!」

「リ、リグゼ様……」

「待ってろ、いま助けてやるからな」


 床を転がるアーノルドを横目に、リグゼはアリアの身体から剣を抜く。血の勢いは止まらない。だが彼女は最強の魔術師だ。《回復》の魔術で傷は塞げるはずだ。


「傷が……治りません……」

「どういうことだ……」


 リグゼの刺すような視線に、アーノルドは喉を鳴らして笑う。


「その剣は魔術で治療できない不治の傷を与える。貴様の死は避けられぬ運命なのだ」

「ここまでやるのか……」

「私は常に万全を尽くすからな」

「褒めたわけじゃねぇよ……アリアはな、お前のことを愛していたんだ。その心を容赦なく利用する残酷さに、軽蔑しただけだ」

「愛とは人と人の間に生まれる感情だ。この醜い化物を愛したことは一度もない」


 致命的な一言に、アリアの顔色が変わる。涙を流しながら、嗚咽をあげる。


「……っ……私への愛はすべて嘘だったのですか?」

「もちろんだ」

「私の手料理や編み物を喜んでくれたのも……」

「クククッ、あのマズイ料理なら、食べた振りをして犬の餌だ。編み物も暖炉の薪代わりによく燃えたぞ」

「……ぅ……こ、こんなのあんまりです……私はただあなたのことが好きだっただけなのに……」

「ブスが人間のように愛を期待するな。反吐が出る……女はな、やはり黒髪の美人でないといけない」


 手をパチンと叩くと、部屋の影からパノラが姿を現す。だが身に纏う雰囲気が違っている。放つ魔力に殺気を孕んでいた。


「改めて紹介しよう。私の相棒であり、すべての計画の黒幕――パノラだ」

「ふふふ、よろしくお願いいたします」


 パノラの一挙手一投足が空気を重くする。只者ではないと再認識する。


「お前は帝国の魔術師か?」

「どうしてそうだと?」

「癒せない傷を与える剣に心当たりがあってな。帝国の所有する宝剣の一つだと聞いたことがある」

「博識ですね。そして、それは正解です。この計画を実現するために、皇帝より与えられたのですよ」

「……帝国には王国の大賢者に匹敵する魔術師がいると聞く。それがお前か?」

「私の事をご存知とは、光栄の至りです」

「知っているさ。なにせ俺はお前が召喚したドラゴンに殺されそうになったことがあるからな」


 パノラ本人とは初対面だが、帝国最強の魔術師――《龍の大賢者》によってリグゼは敗北を喫した過去がある。苦い結果を思い出し、眉根を寄せる。


「それで、帝国と手を組んで売国するつもりか?」

「継承権争いで敗れた王子として生きるより、属国の王となった方が幸せだと思わぬか?」

「ははは、清々しいほどのクズだな。俺を王宮魔術師として呼びつけた理由も察したよ。下手人のアリアを仕留めたことにして、俺を英雄にするつもりだな」

「ご明察。さすがは《零の大賢者様》だ」


 筋書きはこうだ。婚約破棄されたアリアは腹いせに王族を虐殺。それを知ったリグゼが、成敗するも、相打ちとなる。


 これは同じ大賢者だからこそ成り立つ話だ。本来、最強の魔術師である彼女に剣での傷は致命傷とならない。傷を癒せぬ宝剣があるからこそ、彼の刃は彼女に届いたのだ。


 だが宝剣の存在が露呈すれば、帝国の関与も知られることになる。だからこそ彼らは、真実味を出すために大賢者のリグゼを利用したのだ。


「これでリグゼ様は用済みですし、さっそく処分しますか?」

「優秀なら生かして仲間にしてもよかったが、知識だけの無能は私の配下に必要ないからな。この世から追放してやれ」

「承知いたしました」


 パノラの指先に魔力が集まり、電撃へと変換される。その照準はアリアへと向けられていた。


(クソッ、悪魔か、こいつら)


 狙いを定めながらもすぐに放たない理由を察する。傷を負い、瀕死のアリアが電撃を浴びては命にかかわる。彼が身を呈して、アリアを庇うと、予測していたのだ。


 電撃の矢がリグゼを貫く。身体を焼かれ、痺れて動けなくなった彼は、その場で倒れ込んだ。


「リグゼ様、どうして私なんかを庇って……」

「恩人だからな。それに、伝えたかったんだ。お前を大切に想ってくれる人はいる。俺がその一人目になってやる!」

「……っ……リ、リグゼ様……」


 血を流しすぎたせいかアリアの瞳は死んだ魚のように虚ろだが、その視線はアーノルドとパノラの二人を見据えている。


「リグゼ様、ごめんなさい。私、この世界を終わらせます」

「おう、どうせ死ぬんだ。盛大にやってやれ」


 ブツブツと小声を漏らしながら、アリアは詠唱を始める。膨大な魔力が消費され、強力な魔術の発動を予感させた。


「まさか、私を殺すつもりか! 馬鹿な真似は止せ! 私は次期国王だぞ!」

「違います、この魔術は……」

「パノラ、いったいアリアは何をするつもりなのだ⁉」

「分かりません。ですが……」


 込められた膨大な魔力と、詠唱による効力アップを狙うほどの大魔術。アリアが詠唱を終え、魔術の準備が完了した瞬間、彼女の口元に笑みが浮かぶ。


「さようなら、アーノルド様。私は新しい世界に望みを賭けます……リグゼ様も巻き込んで、ごめんなさい」

「気にするな。どうせ一度は捨てた命だ」

「ふふ、リグゼ様は優しいですね」


 アリアから白い閃光が放たれる。彼女の得意とするのは《時間魔術》だ。その奥義を使えば、時間逆行さえ可能にする。


(世界が巻き戻っていく……)


 薄れていく意識の中で、リグゼは願う。どうか新しい世界では最強の魔術師になれますようにと。そして今度こそアリアが幸せになれるようにと祈るのだった。


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