ここではないどこかへ

@Deluca

プロローグ

うーーん。


俺はノートパソコンの前で低い唸り声をあげた。だめだ。いっこうに浮かばない。


まあ慣れてるけどね。


自分の才能のなさにほとほと呆れますよ。。。


はー。。。


唸り声につぐ溜息。これを誰かに聞かれたらさぞ意気消沈しているのだろうと思われるかもしれないが、落ち込んでいるわけではない。


何かが思いつかない時も唸り声や溜息は出てしまうのだ。


曲はできてるんだけどなぁ。詞を書くのにはいつも苦戦している気がする。


俺はしばらく天井を死んだように見つめていたが、やがてそれに飽きてゆっくりと座っている椅子から立ち上がった。


散歩にでも出かけよう。


詰まったときに気分転換をするのはとても大切だし、多くのミュージシャンが散歩中に歌詞を思いつくとも聞く。


服はどうしようか。着替えるべきか。。いや、このままでいいかな。


どうせこの小さな街では誰も俺のことなど知らない。


シンプルなTシャツに短パンという、いかにもおじさんのような服装のまま俺は家を出る。


9月の中旬なので、日中は少し蒸し暑さが残っているが夕方は程よく涼しい。

心地よくなびく風にあたりながら、いつもの散歩コースを歩く。


散歩コースといっても特別なものではなく、ただ家の周りを歩くだけなんだけどね。


散歩コースには小さな公園なども含まれており、そこのベンチで、遊んでいる子供達や家族連れを見るのはなかなか良い。


新たな歌詞を書いたり曲を作るインスピレーションをもらえることもある。


今日もかけっこをして遊んでいる子供たちがいた。大きな声を出して走り回っている。


ベンチに座って彼らを眺めているとあまりの元気さに笑みが溢れてきてしまう。


まだ20代なのにおじいさんになったような気分だ。


正直にいうと、以前は自分がこんな感情を持つことができるなんて想像ができなかった。


ミュージシャンとして絶頂の時、俺は多くの人を疑い、誰も信じられなくなっていた。


売れてない時は俺を虫けらのように扱ったくせにヒット曲が出た途端、手のひらを返すような奴らが大勢いた。


女性たちは金のため、名誉のため、俺のところにすり寄ってきた。


彼らは俺自身なんてまるで見ていなかった。


利用できるものとして見ていた。


別に気にせず、遊んでいればよかったかもしれない。


しかし、あいにくそれができるタイプの人間ではなかった。


少しだけでも人間への期待感があったからなのか、正義感があったからなのか、彼らの行動に心底失望してしまっていた。


人によっては俺自身を見て、友達になろう、助けようとしてくれようとしていた人達もいたかもしれないが、それを見分けることができなかった。


誰も信じれなかった。


どうにかなりそうだった。


心が荒んでいた。


今みたいな心穏やかな日々なんて存在していなかった。


ここではないどこかに逃げ出したかった。


ある日、一人の少女が現れるまでは。



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