第25話 がんばらない生き方
がんばりましょう♪
がんばろうね。
がんばるよ。
世には、かくも多くの「がんばる」が存在している。
そして、男は「がんばる」という言葉が嫌いになってしまった人種の一人だ。
◇ ◇ ◇
熊本震災が、男の人生を一変させてしまった。
世の中には、自分で頑張っても、どうする事も出来ない現実がある。
本人は一生懸命頑張った挙げ句、疲れ果ててへたり込んでしまう。
しかし、他人は冷ややかに男を眺めていく。
「がんばりが足りない!」と。
「もっとがんばれよ!」と肩を叩く。
一体、何を頑張れというのか?
『こっちは、八方塞がりでどうにもならないんだ!』
と心のなかで叫んでいるが…誰の耳にも届かない。
届くわけがない。
心の叫びは、ついに口から溢れ出すこともなく、掠れた息遣いだけが漏れる。
だから、「がんばれ!」という言葉は使いたくない。
必死に頑張って、どうしようもなく疲れた人に、「がんばれ」と言えるだろうか?
優しく肩に手を置き、「お疲れ様、少し休むといいよ。」と言えば、どれだけ人が救われるのだろうか?
我々は、マヤカシのような言葉「がんばれ」に、どれだけ翻弄されていたのだろうか?
あるいは、「がんばる=成功に繋がる」という暗黙の不文律が我々の心に根付いているからなのだろうか?
「成功」という言葉も、実に不可解な言葉だ。
実体を持たないくせに、人の心を虜にしてしまう。
人の…人生の成功とは何なのだろうか?
お金持ちになることか?
それが事実なら、なぜ世の中の金持ちは満たされない日々をおくるのだろうか。
人のために尽くすことか?
「誰に尽くしたか?」という皮肉が込められた瞬間に、尽くすという行為が虚しく評価されてしまう。
つまるところ、人生の成功を決定できるのは、自分自身であって、他人の評価は、外面に現れた一つの事象に過ぎない。
マヤカシの言葉に踊らされ、不確かなくせに人々を惑わす言葉で虜にされる。
そんな生き方が、バカバカしく思えてきた男。
がんばるんじゃない、自己の目的を達成するために、目標を立てて努力するのだ。
がんばれないんじゃない、今は小休止して、心身の安寧と未来への英気を充電しているのだと思うんだ。
そして、がんばれじゃない、あなたが目的を達成出来るよう、無理をしないよう応援するんだ。
そして、男は明日も程々に日々をおくろうと目論んでいるのだ。
何か、取止めがなくなってしまいました。
晩秋の戯言と許してやってくださいね。
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