優しさの線引き

よしだぶんぺい

第1話



ある日のことだ。



スーパーで買い物を終えた愛煙家のぼくは、待ちあぐむようにして、その敷地内に設(しつら)えてある喫煙所へと小走りで向かっていた。


煙草(たばこ)の煙を美味しそうに一服していると、そこに、妙齢の女性が現れて一服しはじめた。


そこにまた、初老の男性がやってきた。しばらく、三人で、煙草の煙を美味しそうに一服していた。


するとその男性が、突然、妙齢の女性に、こう話しかけた。


「あれ、おまえさん、妊婦さんじゃねえのかい。だったら、タバコなんか吸っちゃいけねえなあ」


ハッとして、ぼくは女性のお腹をチラ見した。なるほど、傍目に見ても、お腹がふっくらしているのがよくわかる。


へえ、とぼくは感心した。


他人事には、とかく、無関心な時代。


そんな中で、この男性は、生まれてくる赤ちゃんのことを慮(おもんばか)って、やがて母親になる女性に、他人ながら、注意喚起を促(うなが)したのだ。


こんな時代にも、他人に対してちゃんと道理のとける人がいる。素敵な男性だな、そう心の中でつぶやくと、暖かい満足の情が胸にあふれてくきた。だがーー。


ふん、大きなお世話よ。


彼女はそんな感じで、ふてくされたように灰皿に煙草を押しつけると、その男性に乾いた無表情な目をくれて、ぷいっとその場を去って行くのだった。


やれやれーーそのけしきを見ると、思わず切ない息が洩れてきた。と同時に、さっき、あふれてきた満足の情が、たちどころに、どこかへと消え去った。





その晩、食卓についたぼくは、奥さんに、昼間の一件を話して聞かせた。


それを聞いた彼女が、苦い笑みを浮かべて、言う。


「小さな親切大きなお世話って言うもんね」


そうなんだよなあ、とぼくはため息交じりにうなづいて、こう継ぐ。


「自分では良かれと思ってしたことが、相手にとっては、むしろ迷惑だったりすることがあるんだよね」


「そうなのよねえ」


彼女も、ため息を含みながらうなづいて、こうつづけた。


「でもさあ、その一方で、声をかけざるを得ない現実が横たわっているのもまた、事実だったりするのよね」


「え」


頬を打たれたような感じがして、ぼくは慌てて彼女の顔を見る。


ああ、そうだねーー少し間をおいて、小さく、うなずく。


孤独を余儀なくされている老人。七人に一人はいると言われる貧困に苦しむ子供たち。


寂しくないですか。ちゃんと食事していますか。


社会を見渡せば、そんなことばをかけてあげなければならない人たちが、たしかに、少なからずいる。


ただ、そうはいっても、声をかけてあげるべきかいなか、その線引きは一筋縄ではいかないらしい。


浮かない顔で、ぼくはひとりごとのようにつぶやく。


「なんだかややこしい時代になっちまったもんだよなあ……」


「ほんとうにねえ」


くしくも、そのとき、二人のやるせなさそうなため息が、ひときわ長く重なった。




おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

優しさの線引き よしだぶんぺい @03114885

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る