聖女の眼
葉月 諄 hatsuki jun
ー 熱心で良い親
私のママは誰よりも熱心で良い親だった。
根性がなくて性格の悪い私がママの子供なんて申し訳なかった。
毎日のようにお説教されていた。
何時間も怒鳴られて叩かれて、泣き叫ぼうと謝ろうと許してもらえるまで何日も続く。
お説教の時間は必ず部屋の窓が開いている。
「虐待と勘違いされちゃ困るから!」と言う。ママは配慮のできる良い親なんだろなぁなんて思っていた。
近所の人達にもお説教の時間に窓を開けていることを話していたし、騒がしくてごめんなさいなんて謝っていたからママはやっぱり正しいんだなと思っていた。
だけどママへの良い親という気持ちは中学校に上がる頃には消え去っていた。
正直、ひとつの事件に対して何時間も何日もかけて、謝っても許してもらえなくて・・・なんてそんなの異常だと感じるようになった。許してもらえるまでは必要なこと以外は会話もなくて無視されるのが当たり前。許してもらえるまでが長過ぎて何を求められているのかさえ忘れてしまう。そもそも反省点を述べたところでママの機嫌が悪いならそれは正解じゃなくなる。タイミング次第で同じ答えでも正解か不正解かが変わる黒ひげ危機一髪のようなお説教だった。
そしてママのお説教は私が成人しても続いた。
結婚もして、30歳も目前になった夏の終わりのことだった。
私は久方ぶりに実家で過ごしていた。
遠方に暮らしている私の帰省がよほど嬉しいのかお酒が進むママ。「私はあんたよりもね!」という決まり文句から始まる娘へのマウントタイムが開催された。「もう朝になっちゃうよ。」「昼から約束があるんだけど。」そんな私の言葉はママにとっては関係ない。いいから、いいから、なんて理由にもならない接続詞で繋げようとする。
「いい加減にしてよ、ママも寝なよ。」と言った途端だった。
「何生意気なこと言ってんの?あんたね、良いからここに座ってママの話をちゃんと聞きなさい!寝るなんて許さないよ!無視して話を中断するって言うならママは一生あんたなんかと口きかないからね!」と血眼でママは捲し立てた。
何年かかっただろう。あんなものお説教でも何でもなかったんだ。毎日お説教されて自分はどうしてこんなにも出来損ないなんだろうと落ち込んでいた私が可哀想。物心ついた頃から自分が恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、生きていていいのかわからない気持ちだったのに。一族の出来損ないだと思って過ごしてきたのに。
「ここに座りなさい!」と金切り声を上げるママに背を向けて振り向かなかった。昼からの約束のために寝た。
この時、私は初めてママを悟った。
確か過ぎる悟りは、色々な理由を付けて誤魔化しても揺らぐことはなかった。ママがは誰よりも熱心で良い親だなんて食品偽装の表記ラベルよりも質が悪いなと思った。ママはお説教ではなくて脅迫をしていたんだ。
縁を切った今でもママは私に愛されていると疑っていない。
ホラー映画よりもホラーだ。
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