第28話 選択

 急に静かになり、辺りは薄暗くなった。


 周りを見るとみんな止まっている。メーティルレシュアショーも途中で止まっていて動いていない。


 え?


 不意に俺は手に力を入れた。すると柔らかく温かな手が俺の手を握っている。


 そこにいたのはラクアピネスだ。黄金の仮面をして、そこからのぞく目はとても澄んでいる。


「いやー、ご苦労ご苦労」


 パチパチと手を叩きながら少女の声が聞こえてきた。


 そして、その声の主。天使が俺たちの前に現れた。


「お前は、天使」


 俺が言うと天使は何度も頷いて返した。


「ああ、よく幸運の女神ラクアピネスを見つけ出して手を繋いでくれたな。よくやってくれた」


 この状況でよくやったと言えるのだろうか。


「君はラクアピネスを手に入れた。君は運の取り戻しに成功したのだ。喜べ」

「いやあ……これから俺はどうなるんだ?」

「君はこれから元の世界に帰る。そこで再び人として生活をすることになる」

「え? じゃあ、運を持ったまま死んだところから生き返るってこと?」


 そこで天使は俺に背中を向けながら言った。


「……いや。君は前の生活には戻れない。残念だがな」

「戻れない?」

「そうだ、君は新たに生まれ変わって生き返る。つまり、赤ちゃんからやり直しだ。どこかの家庭でな」

「赤ちゃんから」

「そうだ、それで君の記憶はすべて消える。今までのことがすべてな。何も覚えていない状態で産まれるのだ」


 俺が黙っていると天使が言った。


「君は運を手に入れたんだ。それで前の世界に戻って生活をしたいんだろ? そうだろ?」

「でも、みんなは?」


 俺は周囲を指さした。天使は周りの光景を眺めながら言った。


「ああ、そこにあるのはもう過去の出来事だ。気にすることはない」

「でも、このままじゃ」

「ははん、さては情が移ったか。わかった。じゃあ君に選択肢を与えよう」

「せんたくし?」


 こちらに向き直り、ひとつ咳をすると天使は切り出した。


「ひとつはこのまま元の世界に帰り、赤ちゃんとして産まれてどこかの家庭で生活をするか。もうひとつは、ここに残りこの世界で生活をするかだ」


 そのどちらかを選べというのか。


「わたしはどちらでも構わないぞ。君が選びたいほうを選べばいい。ただし、言っておくことがある」


 天使は再び俺に背中を向けて周りの光景を眺めた。


「どちらを選んでも、もう二度とわたしは君の前には現われない。君がどちらの世界で死んだとしてもな。そうなるのは、わたしがパラメーターを管理している者だからだ。今度は別の天使が君の前に現れるだろう」


 それから振り返って俺の顔をのぞき込むように見た。


「まあ、ゆっくりと考えるんだな。ここでは時間が存在しない。いつまでも考えることができる。どちらかの生活を選んだ瞬間から時間が存在するようになる。寿命という時間がな」


 正直言うと前にいた世界での記憶が段々と薄れてきている。


 この世界で生活するうちに、もう元の世界には戻れないんじゃないのかって、何となく思っていた。


 それは、俺が死ぬ前の生活に戻れないということ。


 この世界にいて、様々な物を見たり聞いたりしているうちにそういった感情が生まれた。


 ここで生活できるなら、それはそれでいいんじゃないのかって。


 前の世界では順風満帆で幸せ過ぎていつ死んでもいいとさえ思っていたんだ。


 普段の生活をしていて、今ここで死んだとしても幸せだったと思えるように生きていた。


 だから病気で死が迫ったときも家族や恋人、友達に囲まれながら死ねることができるのは幸せなことなんだって。


 死ぬ前の生活に未練がないかって言ったら嘘になるけど。でも、俺の人生は短かったかもしれないけど、精いっぱい生きていた気がするんだ。


 俺は周りの光景を見た。


 みんながいる。この異世界に、リッピットラト星に来て出会った仲間。


 そのみんなは俺のことをどう思っているのだろう。


 よくわからないが、オーガミッドの手によって操られているのか、それとも本心なのか。


 俺に対して言った言葉が本心だったとしても、今までよくしてもらってきた記憶は消えないし消さない。


 嘘でも本当でももうどっちでもいい。


 このままでは帰れない。


 こんな感情のまま帰れない。天使は言っていた。記憶はすべて消えるからと。


 でも、今の感情を無視するわけにはいかない、できない。そうすることができないんだ。


 たとえここで生活してきた記憶がすべて消えるとしても、俺にはできない。


 ふと、隣にいるラクアピネスを見た。彼女は俺を見ている。


 彼女は自分の胸に片手を当てて頷いて見せた。俺も何となく同じ行動を取った。


 片手を俺の胸に当てて……胸辺りに何か違和感があった。何か挟んである。


 俺はそれを取り出してみた。


 写真だ。


 飛行船に乗っていたときに撮った仲間たちとの集合写真だ。


 ここにみんないる。


 みんな……。


「決めたよ」


 俺は天使に言った。


 周りの光景を眺めていた天使は振り返って俺を見た。


「決めたか。で、どちらを選ぶんだ?」


 俺は下を向き再び写真を見る。それから顔上げて言った。


「この世界に残る」


 天使は一瞬目を丸くして驚いた表情をしたが、すぐににこやかになった。


「そうか。本当にそれでいいんだな」

「ああ」

「わかった。君は今からこの世界の住人になる。そこにいるラクアピネスと共にな」

「彼女も一緒に?」

「そうだ、ただし、その手を離すな。言い替えると、彼女をずっと君のそばに置いてやるのだ。大事にしてやるのだ。そうしないと君の運はなくなる。せいぜい嫌われんようにな」


 俺はラクアピネスの手を固く握り彼女を見た。彼女は俺の目を見つめる。それから向き直り天使に頷いて言った。


「わかった」

「よろしい。では、わたしが指を鳴らした瞬間、この世界でのさっきの続きに戻る。覚悟はいいか?」

「うん」


 天使は俺のほうに寄って来て握手を求めてきた。


「さよならだ」


 俺は手を伸ばして天使の手を握った。小さく温かな柔らかい手に力強さを感じる。


「ああ」


 それから天使は手を離すと指を鳴らした。途端に周りが動き出した。

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