聖堂白蟻の会

mizunotori

ケイローンの踊り

 帝国暦1022年――太陽系外に進出した地球人類が、数多の星、数多の星間文明を切り従え、銀河帝国の成立を宣言してから、さらに10世紀が経過していた。


 科学技術の発展はとうの昔に停滞し、建国当初は国是とされていた領土拡大政策も放棄して久しい。しかし銀河の覇者となった帝国臣民たちは、そうした「文明の凪」に行き当たりながらも、ある意味では安定したその平穏に満足していた。


 行き場を失った帝国の情熱は、文化的発展に向けられることとなった。当代の皇帝は特にその傾向が強く、地球時代の絵画だの陶器だのを買い漁り、自らも筆を執って詩歌集を上梓するなど、巷間「芸術皇帝」と称されるほどに、あるいは密かに「文弱皇帝」と嘲笑されることもあったが、とかく芸術や娯楽のたぐいにのめりこんでいたのであった。


 ――


「なんと哀れな」


 偉大なる芸術皇帝はそう宣われた。


 彼が上奏を受けたところによれば、先年、新たに銀河帝国への臣従を申し出てきたケイローン星系の民には、聴覚器官、すなわち「耳」がなく、ゆえにそもそも「音」というものがわからないのだという。


「それでは、かのジィトゥイの大交響曲も、キュキターナの第11番も、彼らは楽しむことができぬのか」


 皇帝は大袈裟に嘆息した。


 銀河帝国は多種多様な星系人を内包しているが、彼らには総じて目があり、耳があり、鼻があり、口があった。二本の脚で歩行し、二本の腕を使って道具を作り出す。何百光年と離れた星系人であっても、見た目にはほとんど地球人類と変わらないことが、不思議と多いのだった。


 収斂進化……と呼ぶにしてもあまりに画一的であるが、星間文明を築くほどの知的生命体が誕生するための前提条件が厳しすぎるために、その条件を満たす生物はどれも似通ってしまうのだろう、と解されていた。


 しかるに、まったく音というものを捉えられない星系人は、皇帝の知るかぎりこれまでに存在しなかった。ケイローン星系人の「聴覚器官を持たない」という器質的特徴は、皇帝にとってはほとんど「文明人の条件を満たしていない」ということであり、そのあまりに哀れな事実だけで、彼の傲慢な慈悲心は十分に刺激されるのであった。


 皇帝の詔勅が下った。


「疾く帝国賢人会議に諮問せよ、我らが叡智にかけて、哀れなるケイローン星系人に音楽をもたらすのだ」


 ――


 帝国賢人会議。


 大仰な名称に反し、皇帝直属のこのシンクタンクの実態は、ただの老人会であった。古くは大聖堂だったという美しく荘厳な建物に、白髪の学者たちが引きこもって愚にもつかぬ議論を交わしているという。


 ゆえに聖堂白蟻の会――と、口さがない者たちは呼んだ。


 ――

 

 白い空間である。

 

 この建物は数百年前に建造されたものであるが、とは言ってもそのあいだの建築技術の進歩など微々たるものであり、去年竣工したばかりの新帝国劇場と並べても新古の区別はできないだろう。建材は防汚能力を持つ自己修復材料であり、いまでも一点の曇りもない純白を保っている。見た目にはまったく古さは感じられない。


 このなかでは、むしろ十人の賢人たちこそが、歴史に取り残された古びた存在であると言えるかもしれない。


「ケイローン星系人とて帝国共通語を読み書きすることはできるのであろう」


 最初に案を出したのはアーロン・ゴトー氏だった。


 かつては文壇の重鎮とみなされていた文学研究者であり実作者でもあったが、何十年も延命治療を繰り返した結果、いまではすっかり脳細胞が擦り切れてしまったと噂されている。


「この私が直々に、さまざまな音楽を聴いたときの情感を詩に詠んでやろう。それを読めばすなわち音楽を聴いたのと同じことである」


 ゴトー氏の詩は超光速通信によってすぐさまケイローン星系へと送られた。


 帝国からは辺境とみなされるケイローン星系だが、決して文明的に未成熟というわけではない。音声言語を持たないかわりに、独自の手話を用いたコミュニケーションが発達し、文字や記号による視覚的な芸術文化の発展はむしろ特筆すべきものがあった。


 とはいえゴトー氏の、その自由律を極めたような独特な、というか支離滅裂な、というか意味不明な詩は、ケイローン星系の文化人たちをして困惑せしめた。何らかの暗号なのではないかと真剣に検討されたほどであった。立ち会いの帝国役人に「音楽を理解したか」と問われた彼らは、やむなく「理解不能」と回答した。


 皇帝は賢人会議に再考を命じた。


 ――


「ゴトーのやつは音楽というものの本質を理解していない」


 そう言って嘲笑したのはニディカ・イジッチ氏であった。若かりしころには銀河にその名を轟かせた偉大な数学者であったが、いまでは見る影もなく、ときどき「かの難問をついに証明した」などと胡乱な発表をしては、嘲笑と憐憫の目で見られているのだった。


「神話的な時代、まだ我々の始祖たちが地球アースにいたころ、当代一の名手とされるピアニストがコンサートにおいて、四分三十三秒にわたって無音をつらぬいたという伝説がある。観客は喝采を送ったという。極まった音楽はもはや音を必要とせぬのだ」


 イジッチ氏は自信満々に四分三十三秒の無音のデータをケイローン星系へ送りつけた。「これこそが真なる音楽である」というメッセージを添えて。


 ケイローン星系人たちは最初、それを普通の音声データだと思って波形を解析しようとしたが、どんなにひっくり返してもただの無音のデータだとわかると、静かに困惑した。なにかのミスだろうか。それとも哲学的な意味があるのだろうか。立ち会いの帝国役人に「音楽を理解したか」と問われた彼らは、やむなく「理解不能」と回答した。


 皇帝は賢人会議に再考を命じた。


 ――


「シロアリどもがなにやってんだ」


 マヤタ・ヨウリは不機嫌そうに吐き捨てた。


 彼女は史上最年少の賢人だった。まったく授業に出席しなかったにもかかわらず、その才能を惜しんだ教授の尽力により、特例で帝国大学を卒業したという異形の天才。


 帝国大学を卒業した者には職を保証することが法律で義務づけられている。だがどの組織も彼女を持て余した。仕事をしない。出勤すらしない。口を開けば軋轢を招く。たまに動けば混乱をもたらす。さまざまな役職をたらい回しにされた末に、名誉ある閑職、学者の行き着く果て、頭脳の最終処分場――つまりは、聖堂白蟻の会へと放逐されたのだった。


 さすがのヨウリも、皇帝の命令とあらば引きこもってゲームをしているわけにはいかないので、嫌々ながら会議に出席するのだが、このケイローン星系人の問題では何度も何度も招集がかかるので、いいかげんうんざりしていた。


 ヨウリの悪態を聞きとがめ、他の賢人たちが一斉にヨウリに視線を向ける。


「また小娘が憎まれ口を叩きよる」


「なにか考えがあるのだろうな」


「では次は嬢ちゃんの番か」


 ヨウリは顔をしかめて賢人たちを睨みつけたが、やがて諦めたようにため息をついた。


 ――


 その日、ケイローン星系に届いたのは簡素な楽譜だった。四つほどの音で構成された極めて短いメロディが延々と繰り返されている。そして「皇帝の勅命であるのでこのとおりにするように」とのメッセージが添えられていた。


 楽譜どおりにその音楽が演奏される中で、何も聴こえていないであろうケイローン星系人たちは、しばらくのあいだ楽譜をまえに議論を交わしていた。だが、やがて一斉に立ち上がると、おもむろに身体を動かしはじめた。


 それは踊りであった。彼らは踊ったのである。ケイローン星系に音楽はないが独自の舞踊はある。ボディランゲージから発展したのであろう素朴な踊りは、この単純な音楽にぴったりと合っているように感じられた。少なくとも、立ち会いの帝国役人には、それは音楽に乗って踊っているものとしか思えなかった。


 驚いた帝国役人はすぐさま本国にメッセージを送った。


「ケイローン星系人、ついに音楽を理解せり」


 ――


 皇帝は狂喜した。


 すぐさま最年少の賢者を呼び出して褒め称えた。


「これほど簡素な音だけで蛮族さえも踊らせるとはいかなる魔術か」


「聴覚器官が無いとはいっても、そもそも音は空気の振動であり、肌でも感じられるものでございます。その場合、複雑な旋律などはむしろ邪魔で、単純な音を何度も繰り返し聴かせることで、それはメロディというよりリズムとして認識されるようになるのです。そしてリズムにあわせて身体を動かす、すなわち踊るというのは、生物に備わった本能的なものなのであり、いかなケイローン星系人といえどもその本能は残っていたのでございましょう」


 ヨウリがすらすらと述べる説明に皇帝は幾度もうなずいた。


「そなたこそまことの賢者というべきであろうな」


 そして皇帝は、褒美としてヨウリにいくつかの美術品を下賜して帰したのだった。


 ――


 聖堂白蟻の会にて。


 その顛末を報告したヨウリに、老人たちは尋ねた。


「それで、どういうカラクリなのだ?」


「なんてこたねえよ。あの楽譜で繰り返している音階はDACE。そして、その中央に強弱記号nニエンテを書き込んだ。つまりDANCE、DANCE、DANCE……ひたすら『踊れ』ってことさ」


 彼女はニヤリと笑って、どれほどの価値があるかもわからぬ恩賜の筆をくるくると指先で踊らせた。

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