1 違和感
私がバイセクシャルを自認したのは30歳の頃だ。
決定的な違和感を感じたのは14歳前後、中学生の頃。だが、それよりも前から腑に落ちないことはあった。
例えば、小学校低学年の頃。
休み時間は男子とサッカーやドッジボールをする事が多かった。3年生も半ばを過ぎると、
「なんで男の子と遊ぶの?」
「〇〇君と遊ばないで!!」
「〇〇くんが好きなの?」
なんてことを女子の一部から言われるようになった。私は『友達』として遊んでいるだけだったが、他の女子から見たら違った。
その男子を好きだから遊んでいる、と思われたのだ。
この頃には女子が集まって、
「▲▲ちゃんは〇〇くんが好き」
「近所のお兄さんが好き」
なんて話をするようになっていた。
女子は男子を好きになる。そして男子は女子を好きになる。当たり前のように話す周りに、なんとなくモヤモヤとしたものがあった。
先生にも、
「男の子ばかりではなく、もう少し女の子同士で遊んでみたら?」
なんて言われ、友達なのになんで?と思った。
親も、
「女の子と遊ぶ方がいいでしょ。女の子なんだし」
と言われた。
腑に落ちないことだらけだった。その頃は、モヤモヤする気持ちを口で上手く伝えることはできず、そういうものなんだ。と思うようになった。
そして男子と遊ぶことはなくなっていった。
女子の中で女子の話についていく。
そういうことを意識するようになっていった。
中学生になると、勉強以外はもっぱらマンガやアニメに走った。それ繋がりで友達も増えたし、なにより現実の女子が男子がなんて話をしなくて済むことが楽だった。
ヴィジュアル系ロックバンドに傾向していた時期でもある。濃いメイクをした男性の男でも女でもない雰囲気に惹かれた。倒錯的な歌詞にも惹かれた。
そういうことが好きな友達と、休み時間ごとに集まって話すのは楽しかった。その時は男子も女子もなく話した。
だが、女子だけで集まると必然的に恋愛話が出る。部活動の休憩中や宿泊学習なんてなると、休み時間のようにはいかない。ひとり外れる事もできず、
「3年生の⬜︎⬜︎先輩に告白する!」
「〇〇くんが好きだけど、好きな人いるのかな?」
「男の子のタイプは?好きな人は?」
といった話が始まる。苦手だった。
3年生の先輩や同級生の男子は、カッコいいと人気者だった。だが私は、カッコいいと思ったことがなかった。それどころか顔もよく知らなかった。
その輪に加わっているから必然的に話は回ってくる。すごく嫌だった。
好き=男子、という方式が納得できなかった。当たり前のように男子の名前を出せる子が理解できなかった。
《今の私に好きな人がいないからそう思うの?》
《小学校の時は、△△くんが好きだったけど、今は…違う》
そんな思いを抱えながら、いつも当たり障りなく答えていた。
だがある日、なんとなく、
「●●先輩、カッコいいよね」
と洩らした時、
「やだ〜、それ女子の先輩でしょ?確かに頭が良くてスポーツもできるけど、違うでしょ〜。本当に好きだったら、それレズじゃん!」
「マジでレズ!?」
「冗談でしょ?好きな人いるでしょ〜?」
と矢継ぎ早に言われた。
私は本当の事を言ったつもりだった。人として凄い、カッコいいと思っていたし、憧れていた。今思えば、恋心を抱いていたと思う。
当時、私の周りは『レズ』だけでなく、ゲイを『ホモ』と呼び、差別的で侮蔑的な意味で使っている人が多かった。
「〇〇くんホモなんでしょ、やだー」
「▲▲さんレズだって、キモい!」
と言った具合だ。
凄くショックだった。
純粋に素敵だと思ったから言っただけなのに、恋心ではなくとも好きだと思えたから言っただけなのに。そして、『レズ』と言われたこと。
けれど、それに対して抗議できるほど私は強くもなかったし知識も無かった。
「違うよ、女子でカッコいいって凄いなって。男子なら…××くんかなぁ」
咄嗟に、何とも想っていない男子の名前を出した。
周りはうんうん、わかる、などと笑っていた。私も笑っていたと思う。
だがその時、何かが違うのではないか?という感覚が私の中で明確になった。
確かな違和感だった。
その違和感が何なのか、何と呼ぶものなのかはまだ分からなかった。誰かに相談すべきなのか、していいものなのかも分からなかった。
今ならネットで検索、となるだろう。だが23、4年前。現在のようなインターネット環境はなかったし、スマホもタブレットも無かった。ましてや、中学生が自分用のパソコンを持つことは珍しかった。
パソコンといえば家族共用。リビングの片隅にデスクトップパソコンが置いてある家が多かった気がする。我が家はそうだった。
しかも自宅で自営業。常に家に大人がいる状態だった。必然的に、
「お母さん、インターネット使っていい?」
「何か調べるの?」
「うん。〇〇について…」
みたいな会話がされる。
こっそり調べるということは容易ではなかった。
友人にも聞けなかった。
自分の中でモヤモヤしているものが何なのか、違和感の正体は何なのかを考えることが増えた。
《もしかしてレズビアンなのだろうか?》
《女の子が好きなの?》
《女の子でも男の子でも、いいな、素敵だなって思ったりするのはいけないの?好きになるのはいけない事なの?》
確かに、女子の先輩を素敵だと思ったり、女性の先生がいいと思うことは多かった。しかし、小学生の時に好きになったのは男子だったし、男性の先生でカッコいいなと思う人もいた。
親に隠れて、夜中にこっそりネットで調べた。図書館で性についての本や心理学の本を辞書片手に読んだ事もあった。内容は殆ど理解できていなかったように思う。
ただそこで『バイセクシャル』という言葉を知ったが、自分がそうだとは思い至らなかった。
結局、中学生がひとりで納得のいく答えを見つけることはできなかった。
その時の私は自分は『レズビアン』かもしれない。もしそうなら、隠しておかなきゃいけないことなんだ。
そんなふうに思った。それと共に、恐怖心が生まれた。
当時の私は、同性愛というものに少なからず偏見があった。そういった話や噂が出ると、嫌悪や嘲笑の対象になっていたからだ。
自分もその対象になるのではないか。そう思うと怖かった。
まだ『LGBTQ』という言葉も無く、当時の子供たちにとっては未知の世界でしかなかった。
BL、GLなんてものも出ていたが、あくまでもフィクション。現実となると受け入れ難くなる。
男子は女子を好きになる。
女子は男子を好きになる。
いつか男女で結婚して、子供を産む。
それが当たり前で、私もそうすると思っていた。
しかし、自分は違うかもしれない。
これからの将来をどうやって生きていくのか、親は?友達は?どう思うのか。
確信した違和感は、恐怖や不安とともに私の心に居座ることになった。
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