第6話 芽生え


 

 今日の仕事はなかなかに捗った。上機嫌で帰り道を歩いていると、露店を出している商人がいた。並べられている商品の中には、色とりどりの組み紐がある。セシリアの長い髪を結うのに丁度よさそうな紐だ。質素な格好ばかりをさせているが、この紐はセシリアの美しい銀髪に良く似合うだろう。じっと見つめること、数秒。


「お兄さん、組み紐に興味があるのかい?」


 商人から話しかけられてしまった。曖昧に首を縦に振ると、商人は機嫌がよさそうに組み紐を何本か手に取る。


「お兄さんほど美しい髪の持ち主なら、この紐も映えるってもんさ! 革の紐は保ちがいいけれど、たまには洒落っ気があってもいいってもんだ。安くしとくよ」


 自分の髪に巻くものは、別に質素でも構いやしないのだが。


 だが、セシリアはこの贈り物を喜ぶだろうか。乙女なのだ、人間ならば、身目にも気遣いを始める歳の頃だ。一つや二つ飾りを与えてもいいかもしれない。


「……二本ください。赤が入っているものを」


「赤ね。これなんかどうだい」


 商人が差し出したのは、セシリアのために誂えられたのだと錯覚してしまいそうなほどの、銀の飾りがついた組み紐だった。


 飾り物がついている分安くはないが、高い値段でもなかった。紙袋に入れてもらったそれを懐に入れて家に帰ると、相変わらずセシリアはレナトの腰に抱き着いてくる。


「レナト、おかえり」


「ただいま、セシリア」


 頭を撫でると、滑らかな糸のようにさらりとした感触が手に届く。


「セシリア、お土産があるよ」


「たべもの?」


「残念だけど食べ物じゃないな。ほら、リビングで椅子に座って」


「うん」


 セシリアはてこてことリビングに向かい、大人しく椅子に座った。レナトはその後ろに立ち、櫛でセシリアの髪を梳く。そうして先ほど買った組み紐を懐から取り出し、セシリアの髪を二つに結い上げる。レナトは指先が器用なほうなので、三つ編みに結った髪をくるりと丸めて組み紐でまとめてやると、やはり銀色の髪に赤い組み紐が良く映えた。


 たらいに水を張り、姿を映してやると、セシリアは結いあげた髪を右から左からとじっと見て、それからレナトにまた抱き着いた。


「レナト! これ、かわいい!」


 セシリアが身じろぎするたび、銀飾りがしゃらりと音を鳴らす。それは、なんとも耳に心地良い音だった。


「気に入った?」


「うん! レナト、ありがとう!」


「どういたしまして」


 セシリアは森の育ちだ。飾りなど身に着けたことがなかったのだろうということは容易に想像がつく。セシリアは口元を緩めては水鏡を眺めている。そんなに飾りが嬉しかったのだろうか。矢張り、彼女も乙女だということだろう。


「大事にするね!」


「うん。女性の髪形にも流行り廃りがあるというから……定期的に違う髪型に結ってあげるよ」


「ほんとに? ありがとう!」


 セシリアは手を合わせて笑う。この手を合わせるのは人狼の常識なのだろうか、それとも癖なのだろうか。そんなことはどうでもいい。レナトが感じたのは、安心だった。セシリアが笑顔を浮かべていることに、なぜか安心してしまったのだ。


 アンヘルが作った資料によって、人狼はいたずらに人間を害する存在ではないとわかったのも、その一因なのだろうが。それよりも。セシリアが初めてレナトに向かって心からの笑みをみせたことに、言いようのない安らぎを感じたのだ。やっと、心を許してくれた。それがどうにもレナトにはむず痒く、妙に恥ずかしくなってしまい。その顔を見られたくなくて、レナトは急いで食事の支度を始めたのだった。


 

 セシリアと共に暮らし始めてから三週間。彼女の体内時計は少しずつ人間に寄り始めていた。レナトが毎日セシリアを朝早く叩き起こし、昼に少しうとうとする時間を与え、夜は十一時頃に眠るよう教育を施している。レナトが仕事に行っている間セシリアがどう過ごしているかは分かったものではないが、少なくとも最近は夜十一時には眠そうに目をこすっている。躾の甲斐があったというものだろう。


「さぁセシリア、寝る時間だよ」


「うん」


 セシリアがこの家に来た初日の朝、セシリアが廊下で寝ているところを目撃してしまってからと言うものの、レナトはセシリアの寝かしつけもしている。幸いセシリアは寝つきがいいので、そんなに手間がかかることはない。手を繋いで背中を軽く撫でてやると、数分以内に心地よさそうな寝息が聞こえる。


 こうして寝かしつけをしていると、自分が子供の頃同じように自分を寝かしつけてくれた両親の愛を思い出す。両親は末っ子のレナトに無償の愛を与えてくれた。眠れないとぐずれば、こうして背中を撫でてくれた。


 自分は、セシリアに愛を与えているのだろうか? と疑問が湧いてくる。レナトの中で、寝かしつけというのは両親からの愛の象徴だった。自分の寝る時間を削ってまで、寝付くまでずっと背中を撫で、時には優しく唄ってくれる。それを愛と呼ぶのならば。レナトは自問する。自分がセシリアに与えているこの数分は、やはり愛と呼ぶものなのだろうか。


 セシリアは「トモダチ」と言った。けれど、ただの友達をこうして自分の寝る時間を割いてまで面倒は見ない。最初こそこの時間を面倒だと思っていたが、今ではセシリアの寝顔を見つめて時間を過ごしてしまうこともある。穏やかに眠るセシリアの姿が、どうにもかわいく見えてきたのだから困りものだ。


 レナトは禁欲主義のため、女性というものを良く知らない。スペイン人にしては珍しい方だ。だからこそ、セシリアの寝顔を見つめているだけの時間を過ごしてしまう自分に疑問を覚える。自分は、セシリアを何だと思っているのだろう。友達。それはさっき否定した。なら、家族? 数週間共に過ごしているのだ。それだ。きっとそうだ。まるで子供のセシリアに対して庇護欲を抱いているのだ。そう思えば納得がいく。父とは、こんな心持ちだったのだろう。レナトはそう断じて、自分のベッドに戻った。

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