第2話 一難去って、また一難

 首を絞められながらも、僕は必死に過去を振りかえって考えてみた。

 どうしてこうなってしまったのか、と。


 わからない。

 これが答え。

 突然、そうなってしまったのだから……。


 いやいや、今は原因究明している場合ではない。

 命を繋ぐのが先だ。

 

 同じ死ぬなら現代世界で両親に看取られて死にたい。

 見知らぬ異世界で無縁仏むえんぼとけになるのはごめんだ。


 必死に手足をばたつかせて抵抗を試みる。

 体の大きさに加え、力の差は歴然で覆面男から逃れられない。

 

「く、苦しい……は、離せ」

 口から僕ではない誰かの声が発せられた。

「誰だ?」

 僕は言った。

 でも、僕じゃない別の誰かの声が言葉を口にしている。

 声は幼く、聞き覚えが全くない。

 

 そういえば、さっき覆面男が少年の首を絞められている現場を目撃した。

 僕もまた首を絞められている。

 ……覆面男に。

 

 背中に冷たい汗が流れる。

 短い手足に僕じゃない幼い声。

 少年と同じように覆面男に首を絞められている。

 これらがなにを指すのか。


 まさか、少年の体に憑依ひょういしたのか?

 もしそうなら、転生したのは僕の心——魂だけということになる。

 じゃあ、僕の体はどうなった?

 現代世界では、ベッドで寝たきり状態になっているのか⁉︎


「ぐっ」

 より一層強い力で首を絞められた。

 

 転生のことで悩んでいる場合じゃない。

 優先すべきは、この世界で生き残ることだ。


 手を伸ばし、覆面男の二の腕をつかむ。

 どれだけ力を込めようが、覆面男はびくともしない。

 それでも抵抗を続ける。

 力を入れすぎて手が滑り、覆面男の右の袖がめくれる。

「盗んだものを出せ」

 覆面男がドスの効いた声で言った。


 盗んだもの?

 僕が憑依した少年は盗人ぬすっとなのか?


「し、知らな……」

 答えるさなか、覆面男が一段と強く首を絞めた。

 

 本当に知らない。

 知らないものは教えられない。

 ……そう答えたところで覆面男は納得しないだろう。


 僕は盗人少年ではない。

 現代日本から転生してきたごく普通の十八歳、専門学校生だ。


「吐け!」

 覆面男が容赦なく僕の首を絞める。

 

 息ができない。

 このままでは酸欠になって危険だ。

 まさに一貫の終わり。

 死を覚悟した。

 転生先で死んだら元の世界に戻れる設定なら問題なし。

 でも、ここでの死がイコール現実の死である可能性がないとはいえない。


 どうしてこうなってしまった?

 思考が行き詰まると浮かんでくる疑問。

 何度も浮かんできては解決せずに流れていく。

 もういい加減、決着をつけたい。


 どうしても、こうしてもない。

 結果がすべて。

 僕がこの世に生まれた理由などない。

 だから、きっと転生に意味などない。

 そうなってしまった——。

 ただ、それだけ。


 本当にもう終わり。

 僕、死んだ。


 あきらめかけたとき——。

「やめろ!」

 薄れゆく意識のなか、少年の声が聞こえてきた。

 力強くて心地よい声。

 こんな声ならきっと売れっ子ボーカリストになるだろうなぁと思った。

 死ぬ直前でも音楽のことを考えている自分に笑えてくる。

 声質は生まれもったもので、努力ではどうしようもない。

 だから、歌手はあきらめた。

 その次の夢が作曲家。

 それもまたあきらめの境地にある。

 いやいや。

 それよりも人生の終わりが目前に迫っているのだから、命の心配を……。

 

「おい、大丈夫か⁉︎」

 誰かが僕の頬を叩き、呼びかけてくる。

 我に返った途端、急激に息苦しさを感じた。

 飢えを満たすように息を吸う。

 ところが、圧迫された首が痛んでうまくいかない。

 ひゅーひゅーと音がするばかり。

 肝心の酸素が取りこまれない。


「ゆっくり息を吸うんだ」

 誰かが優しく僕の背中をさすっている。

 ぼんやりとした意識を徐々に取りもどしていく。

 

 異世界へやってきて初めて出会った人物は覆面男。

 いきなり首を絞め、盗んだ物を出せと脅してきた。

 異世界の印象は最悪。

 でも、僕を助けて解放してくれた少年のおかげで悪印象は薄まった。

 どこの世界、時代にも悪人ばかりではない、善人もいるものだ。


 次第に意識がはっきりしはじめた。

 誰が助けてくれたのだろうか。

 顔を上げて真正面を向いた途端、僕は固まってしまった。


 真っ先に目についたは、綺麗なウェーブがかった金髪。

 それから大きな青い目。

 十歳くらいの絵に描いたような美少年が僕を見つめている。

 

 僕の目は少年に釘づけになった。

 彫りの深い顔立ち、全身から発せられるりんとした雰囲気。

 身につけたチュニックにズボン、それにマントル。

 歴史にうとい僕でも、この出立いでたちは中世ヨーロッパ風だと判断できる。

 ただ、少年が庶民なのか貴族なのかがわからない。

 身なりは質素とも華美かびとも違う。

 現代風に表現するなら小綺麗といった感じ。

 庶民にありがちな日々の生活に追われてる雰囲気は一切ない。

 かといって、貴族のような傲慢さや風格も感じられなかった。

 

「ほら、もう一度。ゆっくり吸って、吐いて」

 少年の声に合わせ、僕はゆっくりと息を整えた。

 彼の正体は不明だけど、面倒見の良い兄貴の風格がある。

 僕が息を吐くときに少年が背中をさすってくれる、その手が暖かい。

 異世界に転生しただけでなく、いきなり首を絞められて死にそうになった。

 心細いなんてものじゃない。

 それを少年が癒してくれた。


 僕が女なら確実に惚れる。

 優しさはもちろん、見た目も雰囲気も確実にイケメン。 

 少年に見惚みとれながら、僕は息を整えた。

 酸欠だった脳みそに酸素が行き渡り、徐々に思考が回復しはじめる。


 そういえば、さっきの覆面男はどこに行ったんだろう。

 慌てて辺りを見渡すが、どこにも姿が見当たらない。

「覆面男か? それなら逃げていったぞ」

 僕の行動の意図を察した少年が言った。

「おまえ、なんで襲われたんだ?」

 少年が聞いてくる。


 覆面男はなにか聞きだそうと僕を問い詰めた。

 首を絞め、脅すくらいだから相当なことだろうと思う。

 でも、いくら考えても覆面男がなにを知りたかったのか判然としない。


 わからない。

 そう答えようとした。

 ところが、肝心の声が出ない。

 金魚が餌を待つように口がぱくぱく動くだけで、発声できなかった。


 声がでない!?

 一難去って、また一難。

 転生は一筋縄ではいかないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る