第10話

 陽はまだまだ高く、眩しい光に目を細めながら、ゆっくり歩き始めた。

 今日の予定は映画以外に何も決まっていなかった。


「どうします? 帰ります?」

「帰りたいアピール全開すぎない? 泣くよ? あと少しなら涙流せるよ?」


 さっきあれほど泣いたというのに、まだ泣けるのか……。先輩の涙が枯渇する瞬間はあるのだろうか。

 僕だって本心で言ったわけではなく、冗談のつもりだったのだが、想像していた以上に先輩が肩を落としてしまったので、お詫びとして本心を少し見せてあげようと思った。


「帰りたいわけではないですよ。先輩といると楽しいですし」

「え? そ、そうなの?」


 先輩は瞬きの回数が多くなり、動揺した様子でこちらを見てくる。


「はい。いきなり告白してきたときは、ヤバい人かと思いましたけど、今は一緒にいて気楽な先輩って感じです」


 そもそも気疲れしてしまうような人なら、こうして何ヶ月も遊んでいないだろう。毎回遊ぶ前は、それなりに楽しみにしていることを言いかけたが、からかわれそうなので伝えないことにした。


「そうなんだ……それは、きっといいことだよね?」


 先輩はこちらの様子を窺うような表情で、訊いてきた。


「まあ、そうだと思います。あくまで僕にとってですけど」

「私も君といるのは楽しいし、これからも一緒に遊んでいたいなーって思ってるよ? これからもいっぱい思い出作りたいね」

「そうですね」


 僕が同意すると、先輩は屈託のない笑みを見せた。


「よし、じゃあ、思い出作りのために、あそこのゲーセンに行こ!」


 先輩はそう言いながら、少し先に見えてきたゲームセンターにスキップでかけていった。少し不格好なスキップだけど、子どものようにはしゃぐ先輩を見ているだけで、自然と笑みが溢れた。置いていかれないように、早足でついていった。


 ゲームセンターの中に入ると、少し寒いくらいの温度感だった。とりあえず、僕らはどんな台があるのか見て回るためにも、ぐるっと一周することにした。僕はサブカルに疎いので、景品になっているフィギュアやぬいぐるみを見ても、いまいちピンと来なかった。お菓子が景品になっている台を見つけたときの方がテンションは上がった。


 先輩は、UFOキャッチャーで景品を獲得した人を見て、「すげー」と呟き、こちらを見てくる。『取ってほしい』と目で訴えかけてきているように感じた。

 僕はゲーセンに来たことなんてほとんどないし、取れる気が全くしなかった。ここは先輩からの視線に気づかなかったフリをしよう。


 僕は先輩と目が合わないように気をつけながら、「こんなのもあるんですねぇ」と彼女とは反対側の台を見ながら言った。


「ねえねえ、あれ取ってよ!」


 せっかく気づかないフリをしたというのに、話しかけられては無視することなんてできなくなってしまった。いや、ゲームセンター内はかなり騒がしく、声も聞き取りづらい。聞こえなかったフリをすれば、なんとかなるのでは……? 実際はめちゃくちゃはっきり聞こえているんだけど。


「おーい」と言いながら、肩をぽんぽんと叩かれた。さすがにここまでされて気づかないフリは無理があるな……。僕が気づかなかったら、気づくまでアクションを起こすのが先輩だということを失念していた。観念した僕は、振り返った。


「おっ、綺麗にひっかかった」


 先輩の人差し指が頬に当たっていた。出会ったばかりの頃に同じようなことをされて、反応が薄いだの文句を言われたことがふと思い出された。


「び、びっくりしましたー」


 僕なりに驚いてみた。が、先輩の表情を見れば、望まれていたリアクションが取れなかったことがよくわかった。


「もしかして、驚いたつもり?」

「そうですけど? 文句がおありですか?」

「はぁ〜。ないよ、何もない。夏樹くんからいいリアクションが見れるとは思ってないから、大丈夫! そんなことより、あれ取ってよ!」


 なんだか諦められているというか、呆れられているというか、仕掛けられた側のはずなのに、申し訳なくなってくるな……。毎度のことながら僕は先輩の理想を叶えてあげられないようだ。


「ああいうのって取れるものなんですか?」

「さっきの人取ってたよ?」

「じゃあ、僕らのために取ってもらいましょう。上手そうですし」


 他力本願。甘美な響きだ。


「どうしてそうなるかなー。他人に取ってもらうんじゃ、意味ないでしょ。ほら、がんばれ!」背中をポンと押された。


 僕だって他人だけど、と言いかけて、やめた。先輩の中の僕の存在というのは、他人とは違うものになったのかもしれない。おそらく、他人よりは関係性が濃いもの。わざわざ先輩の機嫌を損ねそうなことを言う必要もないと思い、口から言葉が飛び出る一歩手前で押し戻した。


 どうやら透明な一枚のしきりの向こうに囚われた、ウサギをモチーフにしたであろうぬいぐるみを救い出さないといけないようだ。


「取れなくても文句言わないでくださいね。僕ほとんどやったことないんですから」

「夏樹くんはこういうの苦手そうだよね」


 はははっ、と笑う先輩を見返してやりたくなった。


 財布の中を確認すると、百円玉が四枚。四回以内で決める。ちゃんと自分の中でルールを決めておかないと、沼にハマったようにいつまでも抜け出せなくなる。

 お金を入れると、アームを操作できるようになった。やるからには真剣だ。僕のお金がかかっているのと、先輩を見返してやりたいという気持ちに突き動かされ、僕は慎重にアームを横に動かす。次は奥側に少し動かし、狙いを定め、アームをおろす。隣の先輩はずっと無言で、アームの先、一点を見つめている。思っていたよりも速いスピードでアームはおりていき、ぬいぐるみを掴んだ。が、ピクリともせず、無残にもアームだけが帰ってきた。


「……先輩」

「うん。言いたいことはよくわかる。これは──」

「無理ですね」


 意外と素直に引き下がってくれた先輩だったが、移動中にはずっとアームに対して文句を言っていた。中には、「あのアーム、絶対夏樹くんより力ないよねー」と比較対象で僕を使われるのは誠に遺憾だったが、実際ひ弱そうで、筋骨隆々な体格はしていなかったのであまり強く言い返すことができなかった。


「あ! これなら取れそうじゃない?」


 先輩が指さしたのは、掌サイズくらいの小さなぬいぐるみが山のように積まれている小さな台だった。確かにこれなら僕にも取れそうな気がする。


「私も隣でするから、勝負ね!」


 先輩はハンドバッグから財布を取り出した。


「いいですよ。受けて立ちます」

「おっ、意外とやる気じゃん」


 さっき取れなかった悔しさと直接対決で先輩に勝てるチャンスが巡ってきたのだから、勝負するに決まっている。先輩との勝負というより、自分との勝負に近いのかもしれない。


 僕らは同時に台にお金を入れて、アームを動かした。今回の台は自由に操作できるタイプのやつらしい。慣れない手つきで僕は、山のように積まれたぬいぐるみのてっぺんを狙った。掴めなくても山が崩れて、穴に落ちてくれるんじゃないかと思った。


 先輩との勝負ということもあり、先ほどまでの丁寧さはなく、大体でアームをおろした。僕の見立て通り、アームのツメで掴むことはできなかったけれど、山から転げ落ちた一体が綺麗に穴に入ってくれた。


「先輩、どうでした?」


 僕が訊ねると、目を細めて、僕を睨んできた。その表情を見ただけで、先輩が取れなかったことを察した。睨まれる筋合いはないんだけどなぁ……。


「これ、あげますよ」


 僕は手に持った小さなぬいぐるみを先輩に渡した。


「いいの?」

「はい。プレゼントってことで」


 きっと、僕の手元にいるよりも先輩のところにいた方が小さなぬいぐるみも幸せだろう。


「ありがとっ! めちゃくちゃ嬉しいかもしんない」


 ご満悦そうな顔には嘘偽りがなさそうだった。そんなに嬉しがってくれるなら、取った甲斐があったというものだ。


「そんなに嬉しいんですか?」

「うん! 君からの初めてのプレゼントだよ? そりゃあ、嬉しいよー」


 確かに僕は一度もプレゼントをあげたことがなかった。基本的に数ヶ月も付き合っていれば、一度くらいプレゼントを渡したことがあるのが普通なのかもしれない。関係上は付き合っているとはいえ、僕の中ではまだ、先輩を恋人として見ることができなかった。付き合っている意識が薄いからこそ、恋人らしい行為をする気になれなかったのだ。


 先輩は僕のことをどう思っているのだろう? 嬉しいという気持ちに嘘はないだろうし、嫌われているわけではないと思う。けれど、それは友人としての気持ちではないのだろうか? 僕らの関係は、『恋人』というよりも『友人』という方が相応しい気がした。


 実際のところはわからない。僕は超能力者ではないので、先輩の気持ちを正確に推し量ることなんてできなかった。

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