音楽と嘘と未来

万年一次落ち太郎

第1話

ざぁっという雨音で青年は目を覚ました。

急ぎ雨戸を閉めなければと起き上がった青年は違和感を覚える。

身を投げ布団で寝ていたはずなのだが今は土の上に身を投げている状態。

おかしいのはそれだけではない。今青年がいるのはくたびれた集合住宅ではなく大きな門の真下。

青年は自分が夢の中にいるのだろうとその場で胡坐をかいた。

雨脚は強まり門をざぁざぁと打ち付ける。

無論ただの大きな門故青年にも雨風が打ち付ける。けれど青年はまだ身を隠せそうな柱側に身を移すでもなくただじっと門の中央に陣取っていた。

ほどなくして止むだろうと思ったが雨雲も門の上から動く気配がない。

次第に青年はこれは夢ではないのもかしれないと思うようになった。

ならばここはどこなのか。青年の記憶の中にこんな門はない。

前髪から滴る雨粒が水たまりに波紋を作る。

もし。と声をかけられたのはそんな時だった。

青年が顔に張り付く髪を掻き上げ声のする方をみる。

そこには時代劇でみる狩衣姿の男がいた。

やはりここは夢か。そう思う青年を狩衣の男がじっとみつめる。

「唐の者ですかな。ここは前に比べて賊が出るようになった」

狩衣の男はそういった。

唐。確か日本が平安時代の時の呼び方だ。

青年は狩衣の男をみていえ。と答えた。

「そうか。物珍しい物を身に纏っていたのでな。ではそなたはどこから来たのだ?」

青年は迷った。迷った末に素直に答えることにした。

「未来です」

「未来?そのような名は聞いたことがない。どこあるのだ?」

「明日のその先ずっと、ずっと先が未来です」

青年はそこではじめて空を見上げた。

黒々とした曇天の空がどこまでも続いている。

狩衣の男も青年の視線を追って空を見上げた。

「そうか。貴殿は遠くからはるばる来たのだな。未来とはどのような所なのであろうか」

青年は何も答えなかった。

雨脚は強まりはしないが止みそうにもない。

青年が冷えた足を摩っていると狩衣の男が袂からなにやら取りだす。

それは竜笛だった。

狩衣の男はそっと竜笛を構え曲を奏でだす。

現代の今様ともいわれる曲とは違うが青年は吹いている曲が五常楽だとわかった。

狩衣の男が止め手を吹き鳴らすと再び雨音が二人を包み込んだ。

「貴殿に一つ聞きたいことがあるのだが。よいか」

青年はか細い声ではい。と答えた。

「この音は貴殿の未来でも響いているだろうか」

「――はい。この音は未来でも響いてます」

嘘も方便。今この時ほどこの言葉にありがたみを感じたことはない。

青年の頬を伝い一滴こぼれ落ち波紋を作る。

そうか。と狩衣の男は満足そうに一言いった。

「して、貴殿は吹けるのか」

その一言が青年を抉った。

吹けるか吹けないかで言えば青年は吹けるのだが吹きたくないというのが本音である。

だが、なぜだろうか。青年は生きてきてはじめて吹きたいという気持ちに駆られていた。

そんな青年の気持ちが狩衣の男にも伝わったのか狩衣の男はなにも言わず龍笛を青年の方へと差し出した。

青年はよろよろと立ち上がり狩衣の男から龍笛を受け取ると寒さ故かはたまた自分の未熟さ故から震える唇にそっと押し当てた。

はっきり言えば聞くにも堪えない演奏であった。それでも青年は一心に蘭陵王を奏で続けた。

いつしか雨は止みまるで龍が昇った後のように曇天の空から光が差し込む。

息も切れ切れに止め手を吹き鳴らす。

「見事」

その言葉と共に強く温かな光が青年を包み込んだ。

目を開けるとそこはいつもの部屋。

煎餅布団の上、西日に照らされた青年は深く息を吸っては吐いた。

夢見て上京して結局何もかも中途半端で。

青年は起き上がり受話器を取った。

「――あのさ、俺なんだけど。うん、連絡全然しなくてごめん。それと親父のことも」

青年は叱りながらも自分のことを心配してくれていた母親の話に耳を傾けた。

「それでさ親父の雅楽道具てまだそっちにある?うん、そう」

なかなか踏ん切りがつかず青年は頭を掻きむしった。

「あのさ。俺、雅楽やってみようと思うんだ。都合のいいこと言ってるのはわかる、わかってる。親父の雅楽継ぐのが嫌で嘘ついてまで家飛び出したの他でもない自分だから」

まわりがバンドをやるといってギターを買ってる中青年が買ってもらったのは篳篥だった。

馬鹿にされてる気分だった。それ以来親父とは口を利かなくなった。

そんな親父も最近亡くなった。もし親父が生きていたらこんなことを言う自分になんて言うのだろうか。

「うん、わかった。じゃあ荷物纏めてそっちに行くから。ありがとう」

青年は受話器を置き腰が抜けたように座り込んだ。

そして何とはなしに近くにあったラジオに手をかける。

古代の音楽特集と銘打って流れてきたのは五常楽だった。

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