第15話
早朝5時。目を覚ますと隣に彼が眠っていた。
起こさないように、ベッドから起き上がり、部屋着を来てベランダの外に出た。
南から吹く風が冷たく身体をまといながら去ってはまた身体にまとわりついた。和馬が話していたスカイツリーが霞かかって見える。
西の空には右下の部分が欠けた月が朧げに見えた。寒気が出たのかあくびが止まらない。
部屋の中に入り、キッチンへ行き、コーヒー豆とミルを出して挽いた。お湯が沸騰し、ドリッパーを敷いた中に湯を注いでコーヒーをマグカップに入れた。口に含み喉に流していくと次第に覚醒していた。
「おはよう」
「おはよう。先にコーヒーもらった。飲む?」
「ああ。1杯飲みたい」
寝ぼけ眼の彼の表情が子どものようで愛らしく思えた。
コーヒーの入ったマグカップを渡すと、ゆっくりと味わうように飲んでいた。
「今日は午後から仕事だっけ?」
「ああ。読み合わせがある。その後にナレーション撮りだ」
「何時までかかる?」
「どうして?」
「俺の家に来る時間ありそうかなと」
「夜にならないと分からない」
「連絡してほしいな」
「分かった」
衣服に着替えて玄関で靴を履いていると、彼に呼び止められた。
「スケジュール確認したんだが、やっぱり今日は無理そうだ。また今度にしよう」
「分かった。またメールする。じゃあまたな」
家を出て、商店街沿いの道を歩いていた。
久々に地下鉄でも乗ってみようかと、20分程歩いた所の地下鉄に続く階段を降りて、改札口を通りプラットフォームの壁沿いに寄りかかって待っていた。
やがて電車が来て、乗車すると、既に満席の状態になっていた。ドア口に寄りかかりながら、車内ビジョンに写る天気を見ていた。
これから明日にかけて勢力の強い台風が来るのか。あまり天気など気にしないたちだが、どことなく胸騒ぎがしている感じにもなった。
目的の駅で下車し、出入り口の階段を登り出ると、小雨がちらつかせていた。
自宅のマンションに着いて、キッチンでトーストや惣菜類を適当に食べて朝食を済ませた。
仕事場の机に向かって締切の近づいている原稿に目を通していった。次に書きかけの原稿の続きを読み返して、残りの箇所からパソコンで打ち続けていった。
数時間が経ち、いつしか眠気が襲ってきた。
我慢して椅子に座ろうとしたが、それでも身体が言う事を聞いてくれまいと睡魔が背中にのしかかってきた。30分ほどであればと思い、ベッドから掛け布団を持ってきて、ソファの上で仮眠を取った。
しばらくして耳に窓の外から当たる雨音に気が付き、目を覚ますと2時間が経過していた。
台風が近づいている分、強風と共に大粒の雨が窓を叩きつけていた。
14時。少し腹が空いてきたので、知人から差し入れとしてもらった高級店が製造しているというレトルトのビーフシチューを食べた。
スマートフォンに着信が来ていたので出てみると仲間の1人からだった。
「しばらく店に顔出してないけど、仕事忙しいのか?」
「ああ。締切が近いものもあって、なかなか外に出れないんだ」
「和馬さんとはどうなっているんだ?」
「付き合っているよ。彼、奥さんと離婚する事になって、今手続き中なんだ。」
「やるじゃねぇかよ。真翔、次会える時和馬さんも連れてこい。盛大に祝ってやる」
「オーバーだな。とりあえず一緒になる事を前提に付き合える事になったから…奪えるものは奪いたい」
「恐ろしい奴。まぁ、仲良くやれよ。また連絡する。」
奪えるなら奪いたいなんて、またしても臆病な自我が出てきた。
そんな事を考えなくても、彼は僕を選んでくれた。家族がいるのに僕を選んでくれた。
本当にこれは正しい選択なのだろうか。僕に会う前から凛と一緒になりたくて、家族になり陸も産まれて幸せな日々を過ごしながら、声優としても人気を博して今もなおその熱は冷めやまない。
彼のバイタリティは自分の自信と強さで満ち溢れる存在。その幸せを僕と出会った事で、家族の歯車が狂い出し、構築された幸福という名の物体は爆破するように散っていってしまった。そのかけらを拾い集めて離別してからも、家族でいる事に変わりはないと永く見守っていきたいという彼らの信念は、どこから沸き立たせているのだろうか。
僕にも家族はいるが、両親は僕が何を考えているかはほとんどと言っていいくらい知らない。少しだけ、家族の事を気にかけてきていた。スマートフォンから母に電話をかけた。
「三が日以来ね、元気?」
「うん。母さん、仕事忙しい?」
「今日は一日中家で仕事をしている。真翔は執筆の方はどうなの?」
「なんとか仕事は続いている。たまに友達と会ってご飯とか食べているよ」
「1人じゃなくて楽しそうね。」
「父さんは?」
「勤務中よ。真翔に会いたいかって聞いたら嫌だって答えていたわ」
「わがままにいるから、余計そうなんだと思う。近いうちにそっちに会いに行っても良い?」
「ええ。待っている。また連絡して」
母は相変わらず気丈に振る舞っていた。本当は帰ってきて欲しいのだ。今の仕事もいつまで続くか分からないから、内心心配しているのだ。
僕には兄がいて父の会社で執行役員として在籍している。僕より出来がよく、誰からも信頼を置かれている。その反面周りから比べものにされてきたこともあり、大学院を卒業した後、実家を出て今に至るのだった。
17時。外の雨風が強さを増して窓が揺れているのが明らかに見えた。カーテンを閉めてリビングのテーブルにパソコンを移して作業に取り掛かった。
20時。一旦手を止めて、夕食を取ろうとデリバリーを注文した。雨の影響もあり予定より1時間近く到着に要すると告げられた。その間に和馬にメールを送った。やがてデリバリーの配達員が到着し品物を受け取って夕食を済ませた。
テレビをつけると、画面の枠に台風情報が映し出されていた。ちょうど東海地方に台風が近づいているようで、明朝には上陸するとの事だった。すると、和馬から電話がきた。
「電話出れなくて申し訳ない」
「何かあったの?」
「凛が陸を車で連れてどこかに行ってしまった」
「どうして?」
「分からない。今、雨風が凄いだろう。何かに巻き込まれていなければいいのだが…」
「とにかく待つしかないな。お前、大丈夫か?」
「何が起きたのか分からなくてさ。少し落ち着かない」
「また何かあったら連絡してくれ」
僕も凛に電話をかけた。
「おかけになった電話番号は、お客様の都合によりお繋ぎできません…」
着信の拒否がされていた。胸騒ぎがする。
数時間後、仲間から連絡が来た。
「ダチの仲間の1人が、和馬の事をリアルラブを見て知ったらしいんだが…」
「何?どうした?」
「あいつの奥さんと子どもを襲ったみたいだ。どこにかくまっているのか、わからない。真翔、サツに連絡するか?」
「いや…そのまま、放っておけ。俺らの知った事ではない…」
通話が途切れて、スマートフォンを握りしめたまま、窓の外の嵐のような景色を眺めていた。
僕は、悪人になったような気分だった。
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