お稲荷様の石祟り
つねあり
第1話 困ったときの神頼み
困った時、人が最後に頼るのが、神様・仏様と、昔から相場は決まっております。
普段は神様・仏様など、居ようが居まいが、関心がなく、関心があること言えば、事が上手く行くのか、行かないのか。結局、自分のことばかり。
事が上手く行きますと、これも実力とばかりに自惚れて、事が上手く行かなくなると、良くないモノが憑いているんじゃないかと考える。
そんな時だけ、人は急に信心深くなりまして、“あっちの神様は願いを叶えてくれる”という話を聞きますと、遠い場所でも足繁く通い。
“こっちの仏様は、御利益がある”と聞きますと、朝早くからお参りをする。
中には、面倒だと!一日で、神様・仏様のハシゴをする横着者もいるようで。
しかし、そんないい加減な姿も、また、人というもの。
多かれ少なかれ、誰しも経験していることではないでしょうか。
そして、悩みの種が無くならないのも、また、人というもの。
ようやく、悩みが一つ消えたと思って安心しても、少し経ちますと、雑草のようにムクムクっと顔を出し、いつの間にやら、びっしりと頭の中で根を生やす。
神様・仏様が、自分たちの商売を繁盛させるため、悩みの種を植えているんじゃないかと思うほど、人の悩みは尽きません。
また厄介なことに、悩みには、大きい小さいということがなく、その上、千差万別。
傍から見れば、取るに足らないことであっても、その人にとって重要なことであれば、それは立派な悩みとなり、夜も眠れない日々となるのです。
ある人は、金がないことで悩み。
ある人は、金があることで悩む。
人は、かくも面白いもの。
正反対のことで、同じように悩むのです。
先ほど、悩みは千差万別と申しましたが、それじゃ多種多様な悩みがあるかと言えば、そうじゃない。
悩みは、おおよそ、三つ。
一つは、お金。
一つは、人間関係。
もう一つは、健康。
大体、この三つの悩みの中を、人は
それは今も昔も同じ。
我々のご先祖様も、我々と同じような悩みを持ち、困った時にだけ、神様・仏様に手を合わせていたのではないでしょうか。
これから登場する男も、我々と同じような悩みを持ち、同じように、困った時にだけ、神様・仏様に手を合わせるような人間臭い、男でございます。
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