第18話 携帯電話で修業するチビ坊主
酷くまずい。
何の料理か分からない。こぎれいなトイレを求めて入ったショッピングモール内にあるレストランで口にしたものが、味が何一つしなくてコメントに困る。写真を見て指差しオーダーしたのだが、登場したのは、春雨のような麺と、緑色のジュース。ジュースは抹茶でもない。青汁でもない。やたら甘さの余韻だけが不愉快に残る。
2つで6000チャット。あまり胃腸の機嫌も良くなかったから、胃的には良かったかもしれない食事ではあるが、建物と味の偏差値があまりにも違いすぎて、一気にテンションが下降する。
だいぶ余っているものの、清算して店を出ようと立ち上がり、レジで支払いをしている時だった。私が座っていたブースから声がする。何か忘れ物とかしたかな…と思い席の方を向くと、知らない4人家族が私の残したものを嬉しそうに食べていた。さらにびっくりしたのは店員に取り皿まで要求していたことだ。母親と思しき人物が店員にごちゃごちゃ皿をもらってからも言っている。きっと、あの日本人が支払っている、とか何か言っているのだろう。
私がレジで唖然としている間、子どもたちは嬉しそうに、私がよく分からない飲み物とまずい麵と称した料理を音を立てて食べていた。足元は裸足だった。
ホームレスみたいな人々を施設内に入れないショッピングモールが、世界的に多くなってきたと聞く。そのために警備員がゲートに居たりするんだが、ここも普通にゲートには警備員が立っていた。この家族は警備員と仲良しで、スルー出来たのだろうか。それとも元々、こういうことに関して寛大なお国柄なんだろうか。まだまだ貧しい国だ。
正直なところ、国として、観光客に対して隠していない印象が見えた。取り締まりが緩いというか。これが実態だよ、と言うのをあえて公表している感じと言ったらいいだろうか。別に同情をかっているわけではないと思う。
なんか見てはいけないものを見た感触が心の中に生まれて、そそくさとそのショッピングモールを出た。
見てはいけないもの、見なけりゃよかったものは、世の中にいっぱいある。
私の近所に、中学時代の担任が住んでいる。その先生は怒り狂うと、机を蹴っ飛ばすなどのパフォーマンスをする人で、大っ嫌いで、あまり目を合わせた記憶もない。
卒業して20年程経過した夏、ドラッグストアでの買い物帰りにその先生を見かけた。横には中度の知的障害を持っていると思われる息子がふらふらと立っていた。
もう中年になっているだろうと思われる息子に、子ども言葉で話しかける先生。息子を隠そうとしていない姿に何か潔さを覚えた。
ここまで来るには、相当な道のりと心を折り合いが必要とされたに違いない。私の住んでいる地方田舎は人の目線、世間体が物差しとなる国で、自身の物差しを持っている人間は鼻つまみ者とされやすい。
きっと私たちと向き合っている時代は息子を必死に隠してきていたんだろうな。先生のプライベートの話をそう言えば聞いたことがないことに気付いた。私自身がその先生に関心がなかったということも大きいが、自分から積極的に話そうとする人ではない人でもあった。
歳をとり、丸くなったのか、世間体を気にしている場合じゃなくなったのか。
路線バスに乗り込んでいく親子を、『見てはいけないものとして見ていた自分』が恥ずかしく思えた。
心の中に色のついたもやもやを抱えたまま、午後の観光がスタートした。
午後はマンダレーの王宮北エリアを散策した後、マンダレーヒルへ向かうことにしよう。建物サイズだけは大きい、アトゥーマシー僧院の日陰で、気持ちよさそうに昼寝をしている人を眺めてから、全て木造でできているシュエナンド-僧院へ歩く。
ミントン王時代(18世紀後半から19世紀)の建物としては最古のもの。
ここは見ごたえがある。この彫り物一つ一つがいちいち素晴らしい。クオリティも最高。ミャンマーらしくない!と言ったら失礼だが、細かくて美しい。見事な芸術作品の塊。一見の価値あり。よくぞ戦争で全焼しなかったものだ。この寺院の向かいには、大学がある。なかなか派手な門。パル二大学。何を学べるのだろうか。
道を左に折れたところに、クドードォ・パヤーがお目見えする。2013年に729枚の石板(教典)がユネスコ世界の記憶に登録された寺であり、青空に白塗りの小仏仏塔が映える。この施設の人が一生懸命、この乾季の時期に白塗りを塗り直していた。乾季は短いから塗り直しも時間との戦い。小仏仏塔は1860年に建設が開始されたという。その後、仏典を完全な形で大理石の石板に刻む作業をさせた。完成したのは1868年。莫大な量の石板が、小仏仏塔の中に入っているのかと思うと、ありがたい気持ちになってくる。
さぁ、そんな温かい気持ちを抱えて、いよいよメインのマンダレーヒルへ。
マンダレーヒルは、マンダレーを一望できる丘。頂上にはスタウンピー・パゴダ があり、ここからの眺めが素晴らしく人気の場所である。
特に、マンダレーヒルから昇る朝日は格別と言われている。
ここは車でも上がれるし、エレベーターでも上がれるというが、私は行きくらいは歩いて上ろうと決めた。標高230mとあまり高くないが、山全体が仏塔の聖地として崇められていること、そして丘の麓から頂上まで仏塔や仏像が点在しており、その階段は1700段を超える参道となるが、世界各地からも参拝者が訪れている場所だと書かれていたからだ。
だが上り始めてすぐに、期待外れ感が一気に襲ってきた。わざわざ見るほどのものかなと言うレベルのものがポツンポツンと立っているだけだ。ポッパ山みたいに笑えるわけでもなく、馬鹿馬鹿しいわけではない。普通にただ建てられている。普通と言うのが実に退屈だ。
お土産屋が参道にあるのだが、その実態の方が面白かった。露店を出しているのだが、どうやらその奥の倉庫みたいな掘立小屋で、家族で住んでいるようなのだ。後ろには川が流れており、そこで洗濯している母親らしき人もいた。
私は15時くらいにこの土産物屋ストリートを通ったのだが、一様にモチベーションが低いのが気になった。商品と自分たちが使う生活用品が一緒に陳列されており、客側も困る。だから遠くから眺めるだけだ。この人たちはどのように生計を立てているのだろうか。目ぼしい物がないから、そっちに想像を膨らますしか、この侘しい参道を楽しむ術がない。
1時間30分ほどで頂上到着。
展望テラスからのパノラマの景色は、周りに遮る障害物もなく自然そのものの圧巻な情景が広がっている。
この青空を見るためには、きっとあの侘しい参道の存在も意味があったのだろう。
まずは頂上へ来た記念に鐘を鳴らしましょう。山全体が聖地と言うならば、何か良いことがあるにちがいない。
鐘を鳴らしていると肩を叩かれる。首から袋を下げた女性が、金を払えと領収書の束をひらひらさせながら求めてきた。マンダレーヒル入域料1000チャットを支払えと言うのだ。この女性は、外国人を見つけたら瞬足で飛びついていた。
頂上に聳え立つスタウンピー・パゴダは実に美しい建物だった。中では予想通り、仏陀が電球でぐるぐる巻きにされるという虐待を受けていたが。
僧侶の修行が終わりを告げる夕日もマンダレー最後の王都の去就を漂わせ美しいと聞いてはいたものの、疲れ切って、横になりたくなってきた。哀れな仏陀を見て、一気に疲れが噴き出してきたようだ。夕日はバガンでさんざん見たからいいや。
降りましょう。
階段で降りるのもさらに疲れる。まだまだ旅は続くのだ。ここはトラックの荷台で降りることにする。このトラックのことをピックアップと言う。人数が集まったら動くシステムだ。1000チャット。
私の向かいにはお坊様の集団が座られていた。修行を早上がりされたのだろうか。本当は夕日が落ちるまで修行だよね。
オレンジの袈裟を着た坊主たち5人ほどが、熱心に携帯をいじっておられた。何の修業の一環でしょうか。経典でも検索中か?と思いちらっと覗くと、テトリスをされておりました。
世界的なゲームで、何の修行をされているのでしょうか。
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