華麟、語り明かす
種々の花が彩る
格式高く華やかに、かつ縁起の良い紅を基調とした衣装は、謝家が張り切って仕立てたのではないかと思われた。すなわち、
華麟の性格を多少は知る
(この者も時と場所を弁えることがあるのだな)
やや無礼なことを考えながら、
「お召しいただき誠に光栄に存じます、陛下」
顔を上げた華麟は、咲き誇る牡丹の花のように華やかな笑みを綻ばせていた。とはいえ心からのものではないだろう。
この者が後宮にいるのは
「我が後宮には、まことに美しい花が揃っている。今宵はそなたのことをよりよく知りたいものだ」
そして、心にもないことを述べるのは翔雲も同様だった。
後宮の
翔雲にとっても華麟にとっても、今宵は義務を果たすための夜になるのだろう。
* * *
夜は長く、かつ、すぐに閨に入る気分にもなれないため、翔雲はまずは酒肴を運ばせた。貴妃の人柄を知るのは、確かに重要なことではあるだろう。
とはいえ、若い娘とふたりきりで語らうことなどそう多くない。早々に途絶えがちになった話の間を繋ぐために、ふと、翔雲は呟いた。
「今宵は、星晶は連れていないのだな」
「まあ、ひどいことを仰いますのね」
あの凛々しい
だからさほど突飛な発言でもないはずなのに、華麟は非難がましく目を見開いた。さすが、権門の姫だけあって、そのような表情でも優美さを失わず、無礼だと感じさせないのは見事なものだ。
「今宵のような時に、星晶が近くにいるだなんて。わたくしにとって耐え難いことです」
「……そういうものか」
酒精によってだけでなく、華麟の頬はほんのりと赤らんでいた。
房事を想像して恥じらう姿を愛らしいと思えば良いのかどうか。もしかしたら、抱き寄せるには良い切っ掛けになるのかもしれないが。だが、華麟の切なげな溜息は、翔雲に要らぬはずの後ろめたさを抱かせた。
(まるで、俺とのことが不貞のようではないか?)
皇帝が、自らの妃を召すのに誰に何の遠慮をする必要もない、はずだ。
臣下の妻を奪って悦に入る悪癖は、翔雲には無縁のものだ。彼の感覚はごく真っ当なものであるはずで──だが、だからこそ、華麟の星晶への想いを改めて目の当たりにすると、嫌がる女に無理強いしているかのような気分にさせられるのだ。
「そなたにとって、あの
酒杯を口に運びながら、誤魔化すように呟くと、華麟の目に火が
「ええ! それはもう!」
恥じらいに伏せられていた
「星晶のことは、ほんの小さな時から知っていますの。当時からあの子は背が高くて目元も涼やかで、謝家の期待を背負ってくれていましたのよ。どれだけ練習して来たかも、わたくしはとてもよく存じております。だってずっと傍で──」
それは、役者が台詞を言い立てるかのような勢いと滑らかさだった。台本があるはずは、ないのだが。
「そ、そうか……」
「はい。それに、星晶は格好良いだけではありませんのよ? 可愛いところもたくさんありますの。知っているのはわたくしだけのことも多いのですけれど、お教えするのももったいないのですけれど、でも、やはり語りたいですから──」
相槌を挟む余地さえ翔雲には与えず、華麟はうっとりとした眼差しで星晶への賛辞を並べ続けた。
(これはもう止まらぬな)
会話を成立させることは諦めて、翔雲は手酌で空いた酒杯を満たした。想定していたのとはまったく違う意味で、長い夜になるのを予感しながら。
* * *
「……昨夜はよくお眠りになれなかったのでしょうか」
翌朝──扇の影で
後宮には本来あり得ないはずの涼やかな美少年の姿は、知らぬ者が見たら驚くだろう。けれど、その美しい声も姿も、華麟にとっては寝不足の重い頭をすっきりとさせてくれる妙薬だった。
「ええ。陛下に貴女のことを教えて差し上げたのよ、星晶。そうしたら、いつの間にか空が明るくなり始めていたの」
「え?」
目覚ましのため、濃い目に淹れさせた茶を含んでから悪戯っぽく微笑むと、星晶の白い頬が少し引き攣った。
(優しい子。わたくしのことを心配してくれたのね)
皇帝との一夜を経た主人の胸中を、星晶は慮ってくれたのだ。貴妃などというものは、そのために後宮にいるというのに。
ただまあ、謝家の期待がかかった夜が、まさか自分の話題で終わったとは思っていなかったのだろう。いつもははきはきと語る星晶も、さすがに不安そうに落ち着かなさそうに声と視線を揺るがせている。
「陛下は──」
「付き合ってくださったのだから慈悲深い御方よね、本当に。
皇帝が望めば、華麟も逆らえない。あの御方には理解できないであろう
(呆れ果てて二度と呼ばれないかしら。それは──良いこと、なのかしら?)
我が身のことだけなら、華麟は摘まれぬ花のままで良い。
恋情に目を塞がれて我を忘れること。嫉妬に身を焦がしての破滅。我が子や一族の栄達のための陰謀。どれも、好き好んで味わったり巻き込まれたりしたいものではない。
何よりも、声が低く身体が大きく、所作も荒っぽい男というものとの触れ合いは、怖い。昨夜の華麟は、必死に口を動かすことで、皇帝との間に言葉で壁を築いていたようなものだ。
星晶たちと戯れていることさえできれば、それで良いのに──そのためには、彼女自身も一族も、多少なりとも力を持たなくてはならないから難しい。
(次は……ちゃんとやらなくてはいけないでしょうね……)
皇帝と、同じ部屋で一夜を過ごすことはできたのだ。次は同じ寝台の上で、となるのだろう。そう何度も時間稼ぎをするのは無理がある。星晶についての話題は尽きなくても、彼女をそんなことの口実に使うのは申し訳なさすぎる。
(星晶に聞かせることではなかったわね)
目の前には、美しい菓子も並んでいるけれど、口にする気にはなれなかった。
ひたすら苦い茶を啜っては眉を寄せる華麟の頬に、ふと、ひんやりとしたものが触れる。
「たとえ慈悲深くとも、陛下は見る目のない御方です。華麟様の可愛らしさにお気付きでないのですから」
「星晶……!」
星晶の指と掌に頬を包まれ、間近で熱く甘く囁かれる。蕩けるような微笑に、不安も恐れも瞬く間に消えていくのが不思議なほどだった。
「ですが、そのほうが良いのかもしれませんね。私の華麟様でいてくださるなら──」
「もう。そんなことは無理だと、分かっている癖に……!」
即興で紡がれた「道ならぬ恋」の甘い台詞は、華麟を束の間酔わせてくれた。華麟の夕べの振舞いを諫めるでもなく、過剰に哀れむでもなく──ただ、主を甘やかしてくれる。
都合の良すぎる夢を見せて、その余韻によって目覚めた後も頑張ろう、と思わせてくれる。
「私は、本気ですよ?」
「ええ、そうね。ありがとう……愛しているわ、星晶」
唇に吐息を感じるほどの近い距離で微笑まれて、華麟はくすくすと笑う。頬を捕らえる星晶の手に彼女のそれを重ねれば、傍目には仲睦まじい恋人同士にも見えるだろうか。
(これだから星晶は素敵なのよ)
これは芝居で台詞で、戯れだ。でも、あえて言わなくても良い。美しく優れた
余計なことは考えずに溺れるのが、主の
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