第4話 燦珠、走り出す
夕方遅く、その日の練習を終えた燦珠は、汗を拭いながらそっと溜息を呑み込んだ。練習用の
(天子様は、ご褒美に新しい何かをくださるかもってことだけど……)
つまりは、
だから、燦珠の
(新しい身分証がもらえるなら、悪用される心配はなくなる訳だし。持て余して埋められたり、池に投げ込まれたりしてたらもう見つからないし)
自分に言い聞かせながら、燦珠は畳んであった着替えを広げた。と、指先に布ではないかさかさとした感触がある。小さく折りたたんだ紙片が、服の間に仕込まれていたのだ。広げてみると、細かな文字が綴られている。その、内容は──
「……何これ」
「燦珠、どうしたの?」
「えっとね、今、見つけたんだけど」
不可解かつ謎めいた内容だから、ほかの
「……
「後宮のはずれ、
「今は
「しかも、今夜だけって書いてあるの。ほかの日でも、昼間でも駄目だって。行くなら、すぐ行かないと」
「それは、ますます怪しいってことだよね?」
喜燕と星晶の結論に、燦珠も心から同意する。けれど、じゃあ無視しよう、とは言えなかった。だって、彼女の
「怪しいのは……そう、だけど」
燦珠の表情からして、引き下がりそうにないと察したのだろう。星晶と喜燕は、顔を見合わせて溜息を吐いた。
「
「……うん」
星晶の提案は、それで諦めなさい、と言い聞かせるものだった。確かに、
(
科挙の不正事件──というか、その冤罪を起こしかけた代物なのだから、大げさではない。燦珠のためだけのことでもない。
(でも、星晶たちは見てないもの)
という訳で、燦珠は友人ふたりに挟まれて、大人しく霜烈の住まいに引っ張られた。明らかに納得していない顔になっていたかもしれないからか、喜燕と星晶は少々呆れた目をしていた。
「楊太監が、いない……?」
「はい。
霜烈の側仕えの少年宦官に言われて、燦珠たちは顔を見合わせた。
「じゃあ、やっぱり
「じゃあ、私、
友人が妥当な案を挙げるのを遮って、燦珠は慌てて宣言した。身軽なふたりに捕まる前に、身体を翻して走り始める。
「燦珠!」
「星晶と喜燕は、楊太監が戻ったら伝言して。様子を見て、誰かいたら帰ってくるから!」
彼女の
(犯人も、こっそり返したいだけかもしれないし……!)
何もしないで見ているだけ、も限界だった。
(おかしいと思ったら、すぐ引き返すもの)
《
鬱屈も後ろめたさも振り払って、燦珠は強く地を蹴った。
* * *
「まあ、あの宦官を頼る知恵はあったのに我慢できなかったのね。浅はかな
やはり、
(どうせなら、楊太監も巻き込めれば良かったけれど。あの娘だけでも十分よ)
(そんなこと、見過ごせるものですか)
承知した、と述べたのは嘘ではなかった。少なくとも、あの時は。
でも、悪巧みを見過ごすにも限度があるというものだった。未婚の姫君が、後宮で男と逢引なんて──そんな情報があるなら、皇帝やその父君に訴えたほうが保身の役に立つだろう。長公主の放蕩を見過ごすなど、露見した時の糾弾が恐ろし過ぎる。
(ころ合いを見計らって、陛下にお伝えしなければ)
ころ合い──梨燦珠が長公主と男が一緒にいるところを見て騒ぎ出すころ、ということだ。仙娥の背信を知れば、明婉は怒るだろう。だから、その怒りのいくらかをあの娘に肩代わりしてもらわなければ。
明婉の目から見れば、燦珠が騒ぎ立てたから父や兄に見つかったのだ、となれば良い。楊霜烈のように、
(一度は
小細工を弄したところで、自身と実家の先行きが暗いのは百も承知。それなら、憎い
だからこれは、当然の報いというものだ。
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