第3話 パンケーキ 前編

 港湾食堂は、朝もとても賑やかだ。

 水平線から伸びてくる朝焼けが食堂の中に入ってくる頃に沢山のお客さんがやってくる。


 みんな女将特製の朝飯定食目当てだ。


 その日に上がった旬の魚の煮付けか焼き物、甘くトロトロの目玉焼き、季節の野菜の味噌汁に漬物、そして炊き立てのご飯・・・これを目当てに港での仕事がなくても来るお客さんがいるくらいだ。

 カウンターの上には積み上がり、小山になるほどの食券が乗っている。


「はいっ出来ましたよー!」


 女将の日差しに照らされた海のような明るい声が食堂の中を木霊する。

 お客さん達は、食券買った順番通りに乱れることも喧嘩することもなく、朝飯定食を持っていく。

 朝の港湾食堂は、朝飯定食を食べる為にある、と言っても過言ではない。

 しかし、どんな出来事にも例外は存在する。


「女将!」


 耳障りの良い管楽器のような低い声が厨房を走る。

 手を動かしながら女将が顔を動かすとカウンターに男性が座っていた。

 金髪を肩まで伸ばし、顎髭を生やした港で働く男達にはまずいない美丈夫だ。カウンターで下半身は見えないものの革のジャケットを羽織った肩の張り方やその隙間から覗く胸板を見るだけでもその逞しさが窺える。

 男性は、女性なら誰もが振り返るような輝かしい笑みを浮かべて女将に手を振る。

 女将もにこやかに笑みを浮かべて男性に手を振る。

「おはようディッくん。早いわね」

 女将は、明るい声で挨拶すると目線を料理に戻す。

「そうか、もう1ヶ月経ったのね」

 まな板に寝かせた今朝上がったばかりの魚の腹に包丁を当てる。ゆっくりと力強く中に差し込む。

「そうだよ。今日が予約日だよ」

 そう言って右手の人差し指と中指をくっ付けて、離すを3度繰り返す。

「まだ、お客さん達のご飯が終わらないの」

「大丈夫大丈夫!俺もゆっくり食べたいからさ」

「メニューはいつもの?」

「うん」

 ディッくんは、食券をカウンターの上に置く。

「まんまるお月様のようなパンケーキとコンソメスープ。サラダを忘れずに」

「承りました」

 女将は、にこやかに答える。


 今日も港湾食堂は、賑やかだ。


 日差しの色が変わり、高く昇る頃にはお客さん達は食べ終わり、港の仕事へと戻る。その間だけは食堂からは人がいなくなり、束の間の静けさが訪れる。

 女将は、窓から差し込む温かい日差しを浴び、穏やかな海の音を聞きながら大きく伸びをする。

「今日もいい天気」

 そんな女将の側でディッくんは、嬉しそうにパンケーキを眺めていた。

「ムーン、ムーン、フルムーン、丸くて綺麗なフルムーン」

 当然だがセイちゃんに比べればあまりにも拙い自作の歌を歌いながらディッくんはパンケーキにフォークを突き刺さす。

「本当、ディッくんは、パンケーキが好きなのね?」

 女将は、小さく子を見るように目を細めて笑う。

「そりゃそうさ。なんせ満月なんて長い間見てないからね。女将のパンケーキで思いを馳せるのさ」

 そう言ってメープルシロップたっぷりつけたパンケーキを口に運ぶ。

 優しくて柔らかな甘さが口全体に広がってディッくんの表情が溶ける。

 女将もその様子を微笑ましく見る。

「これ食べ終えたらやるから待っててね」

「ごゆっくりどうぞ」

 ディッくんは、女将からの言葉通りにゆっくりとパンケーキを咀嚼し、コンソメスープを啜り、サラダを放り込む。

 穏やかで眠気を誘う朝が港湾食堂を優しく包んでいた。

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