魔王軍戦略部転生転移対策課第八大隊 ”テンハチ”

イトセ

第一章

第1話 転移の儀

 ――いたいくるしいつらいはがゆい。

 ――なぜなんでなにがどうなった。


 茫漠たる意識の奥底から、うっすらと映え揺蕩う光の正体は苦痛と疑問に溢れるものだった。


 限りなく押し寄せる感覚と思考の波が生ある体の、命という自由を奪い燃やして嘲笑う。


 死。

 その恩寵は神に与えられた自由なのか、それとも枷なのか。


 生きて羽ばたいていた自分は、果たしてその在り方をどう捉えていたのだろうか。


 霞み、多くの火花散る視界に、いとも容易く運動エネルギーにて生を刈り取れる鉄塊の姿が見えた。


 人間の命を繋ぐものを運ぶために作られた、トラックという死神の一つの形は、今まさに自分の命を吸い肥やしにしようというのか。


 ――おれも、ここ、までか。


 思えばしがない人生だった。

 幼いころ植物に憧れた憧憬を父に否定され、碌な自由も与えられず、ただ紙と文字とひたすらに格闘させられる思い出。


 無職引きこもりという社会の恥となりえる方が、よっぽどましだったと本気で思えよう。


 誰かの叫び声が聞こえる。

 何かの警報の音が聞こえる。


 轢かれた自分の姿はさぞかし笑いにうってつけだろう。

 どうせなら、いつか読んだ娯楽の小説みたいに。


 ふと自分は哀れだと思った。

 この世界でまともに努力しないで、別の世界でのやり直しを切に願うのだから。


 手を伸ばす。

 感じたことない痛みと非日常の流血が伝う。


 ――ねがわくば、もういちど。


 神様。と手を伸ばす。

 一度も信じたこともない癖に。都合のいい自分はやはり、落ち零れる人生だったのだ。


 暗闇が統べる。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 






「田島祐樹くん、おめでとーッ!」


 底知れぬ暗黒に軽やかで高い声が落とされる。


 闇夜よりも深く昏く不気味な黒の中、ちっぽけな存在である彼、――いや正しく田島祐樹という死人は呆け突っ立っていた。


 天国か地獄か。

 だが無機質すぎる、宇宙にも似つかない闇の中はどちらにも感じられなかった。


 無論星明りさえも皆無で、やはり死後の世界だと言うことはまず間違いないだろう。


 そう、彼は死んだのだ。

 だが人の意識の性、当然ともいえる好奇心と恐怖心に満ちたそれが言葉となって吐き出される。


 生に何よりも執着する、人の命の意義と定義は何処にある。


「なんで……?俺は確かに死んだはずじゃ……!それにあんたは誰だよ!急にこんな事になってて、訳が分からない!!」


「はぁーい、落ち着いて。深呼吸できる体はもうないけど、貴方は選ばれたの。喜ばしいことよン」


「選ばれたって……何に!」


 一心不乱の思いで彼は言った。

 なにもかもがわからない。この状況を喜べと?

 冗談じゃない。ふざけるな。


「もちろん貴方が望んだ事に、よ。あ、今更不満を言っても遅いからネ」


 蜜のような女の声でくすくすと笑う。

 この事態をどうにも理解せざるを得ない確かな心当たりがあった。


 でもまだ、確証はない。

 余程酷い走馬灯やら幻覚なら覚めてくれ。


 狂いそうな気を抑えて彼は再び虚空へ問うた。


「……教えてくれ。お前は誰だ」


「貴方たちの言う【カミ】ね」


 あっさりと吐いてのけた。

 まるで「今日の夕飯はカレー」のように、非日常の要素を一切含まない軽い答え。


「……俺はこれからどうなるんだ」


「まだ分からない?貴方は転移するの、今流行ってるんでしョ。異世界転移ってヤツ。魔王が支配している世界を取り戻してほしいノ」


 又もその発言は重みの一つも帯びていなかった。


 神の責務とやらを舐めているのか、はたまたこれが神の矜持という奴なのか、一人の人間だった田島には分からない。


「あ、そーそー。魔法が飛び交う危険な世界だから、流行りに乗っかって強大な【常識殺しチート】もあげるワ」


「【常識殺しチート】……」


 思わず口に出してしまった。

 何度も読んだライトノベルの魅力的な一面。


 揺らいでしまった。心が躍るのだ。

 異世界、0からやり直し、強大な力……。


 未練以前に田島に残された鬱憤とした恨みと、やり切れない熱い怒り、そして何よりも血が騒ぐのだ。


 男児として、創作物の中の闘争に憧れない者など居るだろうか。答えは否と決まりきっている。


「じャ、送るわネ。能力は現地で確認すること。魔王を倒した暁には、貴方に褒美を与えましょウ」


「あ、ありがとうございます」


「礼はこっちが言いたいほどヨ。物分かりが早くて助かるわァ。じゃ、いってらっしャァい!」


 空虚な闇の中心、田島の目の前で淡く白い輝きが生まれた。


 光が彼を飲み込む。

 間違いない。今日は人生で最高の日だ。


 ん?もう死んでいたか。

 いや、自嘲も程々にして、早速行こうではないか。夢み憧れ妄想抱いたその世界がすぐそこまで来ているのだ。


 胸躍らせて彼はそれを受け入れた。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『……こちら第一大隊移動司令部。斥候観察部隊、応答せよ』


 浅く吸って、深く吐く。

 ここ数時間何度も繰り返してきたプロセスに終止符を打ち、雑音交じりの潜めた声で返す。


「こちら斥候観察部隊通信観測地点αアルファ、イシュ・マヒルダ少尉。感度良好」


『こちらも良好。観測地点の神素エーテルの急激な上昇を確認した。速やかに報告せよ』


 心臓が早鐘を打ち、恐怖と高揚感が混ざった何とも言えない感情が男、イシュ・マヒルダを支配していた。


「はっ。転移兆候は依然として分類カテゴリー4フォー。観測神素エーテル平均値は凡そ300。詳細を転送します」


 火照る体をなだめて呼気を落ち着ける。

 彼は一度、深く息を吸ってから眼前の鉄の箱に手を伸ばした。


『……良し、確認した。目視次第状況を伝達せよ。分類カテゴリー4フォーとは言え、油断して殺されるなよ』


「はっ」


『何、気負うな。本命は魔砲小隊だ』


 気を紛らわせようと冗談を言ったつもりだろうが、この緊迫感の前では無力だった。


 苦笑いを無線に残してメーターを睨む。


 今彼らは大森林の只中にいる。

 言わせてみれば超災害の前兆があるのだ。


 転生転移者。

 あの世より送られてくる非常に危険な殺戮者の総称であり、現象の一つである。


 命の価値が歪む数々の非道に、全く以て理解のできない行動。そしてその全員が、【常識殺しチート】という厄介極まりない魔法や技能を身に着けていること。


 イシュを含めた彼らは魔王政府ガバメント軍部の一員。

 つまりは大陸に在る大多数の国の賛同の下組織された、治安維持組織である。


 魔力と電力の指針が揺れ動く。

 イシュにできるのは観測し、データを送りその脅威を報ずる事だけ。


 もう体一つで走り回り、剣を持って魔族と殺しあう時代は終わったのだ。

 人魔共同声明がなされてから、もう血と怨みの連鎖は終わったのだ。


 ……動いた!

 細く息を吐き再び無線機の送信スイッチに手をかけ、雑音混ざる電子の波に音を乗せた。


「斥候観察部隊通信地点αアルファより第一大隊移動司令部」


『……感度良好、こちら司令部。どうした少尉』


「転移兆候活性化を確認……!予想出現時間は今より100秒!」


『データ照合した。今から魔砲小隊を向かわせる』


 心做しか司令部から送られる無線の声にも、緊張と畏怖のそれが入り組んでいた。

 精一杯隠そうとする声に感化され、イシュも全身から冷や汗が湧き出るようで気が狂いそうだった。


 そこまで猶予を開けずに襲い来る、転移転生の暴虐者と相まみえる機会はそう少なくない。


 だが、狂った女神の祝福を一身に受け、人魔全ての叡智と力を持ってしても、【常識殺しチート】というのはそう安々と敗れるものではない。


 この空気は嫌いだ。

 果てしなく静かで、禍々しい災いの予兆を感じ取る技術に長けている原生魔獣モンスターの存在は、問わずとも分かるほどに感じられなかった。


 野生の勘と言うやつが作用し、ある者は隠れある者は逃げているのだろう。


 昔のように人類の総力を挙げて争うことは無くなったが、それで大した知恵のない原生魔獣モンスターは野生を謳歌している。


 そんな世界の形の何もかもに牙を剥く転生転移、女神の使徒は必ずや葬らばければならないのだ。


 命に仇なす奴らに鉄槌を。


 尖った意志の決定は、同時に自身をも蝕む。憎たらしい転生者が、もうすぐ現れるのだ。

 狂ったように燻る怒りの炎は消えやしない。


 体が緊張と憤怒で燃え盛っているのにも関わらず、思考は酷く覚めて兵士としての自覚と責任が渦巻いている。


 無線機の接続を部隊長に回した。

 これで警告メッセージは全体に届き、それを受けた斥候観察部隊が報告と敵の観測ができる。


「転移兆候確定、来ます」


 迷彩野戦服の裾をぎゅっと握る。

 残り予想時間10秒、一瞬の後に【常識殺しチート】を背負った征服者と相対する。


『全体に通告』


 部隊長の声が切迫したなにかを帯びながら耳に直接響く。

 雑音の混じった、地獄への招待状がカウントを告げ、冷静さを蹴落とす。


『予想出現時刻まで、5、4、3』


 大丈夫だ。

 震える右手をもう片方の手で押さえる。


『2、1。各隊備えよ』


 来た。


 彼らは光に照らされる。転移召喚時に発生する、神の力を表す青白く不気味だが神聖だと感じてしまう光。


 先ずは待機だ。

 転移兆候で凡その【常識殺しチート】分類はできるが、詳しくは分からない。


『こちら斥候部隊長。目標転生者を捉えた』


 原生魔獣モンスターに似せた無人魔機ドローンを行かせれば能力の片鱗がわかるケースが多い。


『了解。こちら欺瞞部隊、粘体スライム型の無人魔機ドローンで接触を開始』


 背を預けた樹から顔を覗かせれば見える位置だった。

 だがそんなことはできない。この作戦は第一に目標から認識されてはいけないのだ。


 リスクを増やせば【常識殺しチート】の暴れる機会を増やしてしまい、被害に収集がつかなくなる。


『接触した』


 背の樹がぞわりと揺れ動いた気がした。

 気のせいでは済ませられない、確かな感触を持って。


「え?」


 間抜けな声と共に、

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