第2話 人魚の秘薬

 強い潮風が年季の入ったパブの窓を揺らす。シュウとこの旅を始めて2年程になるが、イザークが海辺の町へ来たのは初めてだった。毎日こんな風が吹くのかと、思わずカウンター越しのマスターに聞くと、毎日ではないけど多いかな、と物珍しそうにイザークを見て答えた。


イザークは例の手品を見せて旅芸人だと自己紹介をした後、注文したサンドイッチを食べながらこの辺りに変わった話はないかと尋ねた。


「この町には人魚伝説が伝わっているんだ。」


と、答えるマスター。なんでも、海辺の洞窟へ自分の一番大切なものをお供えすると人魚が現れて不老不死の秘薬を置いて行くらしい。その代わり、人魚はお供え物とお供え物をした者を深海へと連れて行ってしまうという。


「それじゃ、秘薬が欲しくてお供え物をした人には、その秘薬は手に入らないってことかい?」


サンドイッチを齧りながら尋ねるイザークに、マスターは頷いた。


「そういうこと。まあ、あの辺りは危ないから、元々は子供が近づかないように怖がらせるために作られた話なんじゃないかな。この時代に人魚を本気で信じている人はかなり少ないよ。」


その洞窟はどこにあるのかというイザークの問に、マスターは快く答えてくれた。そして少し心配そうに言った。


「お兄さんみたいな色男、人魚に連れ去られちゃうかもね。」

「まさか。」


笑うイザークに、マスターも笑みを返した。


「冗談はさておき、本当にあの辺りは潮の流れで突然波が来たりして危ないんだ。場所を教えたのは、間違って行かないでほしいからだよ。」


食事と忠告に礼を言って、イザークはパブから出た。口笛を吹くと、どこからともなくシュウがやってきた。嘴の周りに血がついている。ネズミか何かを食べたのだろう。満足げな顔をしている。


行くなと言われて行かないわけには、いかない。伝説通りならば、とりあえずお供え物とやらをしなければ人魚は出てこない。イザークは海辺の洞窟へと向かった。





 人気のない砂浜の先に、例の洞窟はあった。海の上にアーチ形の屋根があるような感じだった。洞窟内部の下の部分は地面ではなく海面だ。しかし、よく見ると洞窟側面に入り口から中へ、細い通路のような岩場が続いていた。波で濡れて滑りやすくなっている。以前の反省を生かし、入り口の明るいところでカンテラに明かりを点け、イザークは中に向かった。


洞窟を進むと、すぐに開けたところに出た。円形の部屋のようになっている。頭上から光がさしている。地上に続く穴が開いているようだ。これ以上奥に進む道はない。部屋の縁に、かろうじて入り口から続く岩の足場がぐるりとある。部屋の中央は海とつながっているので海水が渦巻いている。


特に何があるわけでもないが、海へ落ちたら、渦に捕らわれ、海底まで引きずり込まれてしまいそうだ。


慎重に来た道を引き返そうとした時だ、洞窟の入り口からひと際大きな波が押し寄せた。イザークはとっさに岩壁にしがみついた。シュウはイザークの肩から離れて、光の差し込む天井の穴へと逃げた。


ザッパーン!と頭からつま先まで、イザークはたっぷりと海水を浴びた。どうにか流されずには済んだが全身ずぶ濡れだ。


「…しまった!!」


波に荷物を攫われてしまった。両親からもらった宝の地図が入っているバッグがない。慌てて見回すも、バッグはすでに海に飲み込まれてしまったようで、どこにも見当たらない。


イザークは唖然として、その場にへたり込んでしまった。こんな馬鹿なミスで、旅を終えなくてはいけないのだろうか。ありえない。情けない。


舞い戻ってきたシュウは、イザークを不思議そうな顔で見つめている。と、すぐに部屋の中央の海面に視線を移し、短く「キキッ!」と鳴いた。


ざばっと音を立てて、美しい女性が海中から現れた。イザークは目を丸くした。こんな海流の中を人が泳げるはずがない。それに、女性の美貌は異様で、どこか怪しげな雰囲気を漂わせていた。


「久しぶりだわ、人と会うのは。」


女性はにっこりと笑い、海から上がって岩場にちょこんと座った。愛らしい笑顔だ。しかし、それよりイザークの目を引いたのは彼女の下半身だ。


「人魚を見るのは初めて?」


そう、彼女の下半身は、青いうろこがきらきらと輝いていた。完全に魚類のそれだった。何も言えないでいるイザークに、人魚は問いかけた。


「あなたが落としたのは、このバッグ?それともこの秘薬?」


人魚は海中からざばり、とバッグと白い液体の入った小瓶を取り出した。呆気に取られていたイザークだが、永遠に失ってしまったと思っていたバッグが戻ってきそうで嬉しくなり迷わず答えた。


「バッグだ。返してもらえると、大変助かる。」

「心の揺らぎはなし、ね。」


人魚は少し残念そうに、バッグをイザークに手渡した。そして、小瓶も。


「あなたが私たちの仲間入りをしたら、嬉しかったのに。私のタイプの顔だから。でも、きまりはきまりね。」


そう言って人魚は海へと戻ってしまった。


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