その夢、解いてみせます!

秋月忍

第1話 来客

「姉さん、馬車が止まったよ?」

 七歳年の離れた弟アベルの声に、イシア・ローナンは料理の手を止めた。

 ここは市街地から少し離れていて、目の前の通りを馬車が通ることはめったにない。ここで止まったのであれば、間違いなく、イシアの客だろう。

 予想通り、扉をノックする音がした。

「はい」

 イシアは返事をして、エプロンを外す。

「アベル、ちょっとお鍋を見ていてくれない?」

「ああ、もう、面倒だなあ」

 今年で十三歳になるアベルの言動は、素直ではない。

 が、姉の仕事で生計を立てていることも理解している。言動に反して、行動は素直だ。

 イシアに代わって台所に立つアベルに軽く礼を言いながら、ほんの少しだけ髪の毛を整えて、イシアは扉を開いた。

「ライナー・ローナン殿にお会いしたいのだが」

 背の高い青年が告げる。年齢は二十代半ばだろうか。

 黒の上等なコートを羽織り、短いダークブラウンの髪。通った鼻筋にエメラルドの切れ長の瞳。

 手には白の手袋をして、ステッキを持っている。明らかに、貴族だ。

 もっとも顔色は悪く、目の周りにはクマがあり、瞳の輝きはない。

 彼が乗って来た馬車は無印で、御者が一人いるだけだ。どうやらひと目をしのんでやってきたらしい。

「あの。父は──ライナー・ローナンは一年前に亡くなりました」

「な?」

 青年の顔に落胆の色が浮かぶ。

「ローナン殿は、なぜ?」

「流行り病です。父とは面識が?」

「子供のころに何度か」

 青年は息をついた。

「もし、夢解きをご希望でしたら、娘の私がお受けいたしますが?」

 イシアの父、ライナー・ローナンは、若いころは有名な夢解き師だった。一時は、多くの貴族の屋敷に出入りしていたほどだ。

 もっとも、貴族相手の仕事はしんどいと、弟が生まれて間もなく郊外に引っ込み、裕福な平民やそこまで訪ねてくる奇特な貴族だけを相手にしていた。

「君も夢解きを?」

「はい。まだ、未熟ではございますが免許は持っております」

 イシアは、念のため、部屋に戻って名前入りのプレートをとってきて、青年に見せる。  

 それは、実力の証明であり、許可証だ。

 夢解き師は、もともとは高貴な人間の夢を読み解くために生まれた職業で、神職とされていた。

 現在は、夢を解く相手こそ選ばないが、神殿の許可がないと夢解き師は名乗れない。

 そもそも夢を見ることは、老若男女を問わず、身分の貴賤も関係がない。

 夢は、現実とは違う。違うが、そこには何かがあるのだ。神のメッセージだったり、心身の不調からの警告だったり、外的な要因によってみるものもある。

 たいていは、朝になると忘れてしまうものだが、覚えている夢には『意味』があり、読み解くことは人生の指針となるのだ。

 特に『悪夢』は、禍の回避のために、読み解くことが重要とされている。

 それには高度な専門知識が必要とされるため、夢解き師の数はそれほど多くない。

 青年は迷ったようだが、結局、新たな夢解き師を探すよりはましと思ったようだった。

──これは、厄介な案件になりそうかも。

 イシアは、仕事部屋の明かりに火を入れて、ソファをすすめる。

 青年は優雅な所作で、ソファに腰かけた。

「お名前をお伺いしても?」

 イシアの問いに男は顔を向けた。

 改めて見ると、憔悴しきってはいるものの、顔の造作は整っている。生気がみなぎったら、まばゆいばかりの美形であろう。

「レイク・クレントンだ」

 男は静かに名乗った。

「クレントン……宰相閣下であられますか?」

 イシアは目を丸くした。

「左様」

 男は頷く。

 クレントンは、この国を動かす宰相だ。

 二十六歳という若さだが、皇帝の信任も厚いという。

 イシアも貴族の仕事を請け負うことはあるが、ここまでの重要人物は初めてだ。

 父がそんな上級貴族の家にも出入りしていたとは、知らなかった。

「お茶をご用意いたしますので、こちらの問診票にご記入を願えますか?」

 イシアは質問の書いた紙とインクとペンを伯爵の前に置くと、茶を入れるために部屋を出る。

「姉さん?」

 台所に入ると、アベルが調理の終えたシチューを皿によそっているところだった。

「ごめん、アベル。仕事が入ったから、先に食べていて」

「なんだよ。せっかくいい味に仕上げてやったのに」

 アベルは不満そうに呟くが、怒っているわけではない。

「後の楽しみにしておくわ」

 イシアはアベルに笑いかけ、魔道具で湯を沸かす。そして、一番上等な葉の茶筒に手を伸ばしてから、思い直して、隣の野草茶の入った入れ物の方を手に取った。

 イシアにとっては高級な葉でも、宰相にとっては、ただの安いお茶にすぎない。それなれば、心を落ち着かせる効果が多少なりともある野草茶の方が良い。

 茶器を温め、丁寧にお茶を入れると、イシアは部屋に戻った。

 ちょうど宰相も問診票を書き終えたところのようだ。

「どうぞ」

 そっとテーブルにカップをのせ、イシアは問診票を受け取る。

 しっかりと教育を受けたことがわかる、美しい几帳面な文字だ。

「前に座らせていただいてもよろしいでしょうか?」

 イシアはクレントンに問いかける。

 もちろんここは、イシアの家であるが、相手は貴族。不用意に座って、不興を買っては元も子もない。

「もちろん」

 クレントンが頷くのを確認して、イシアはテーブルをはさむように向かい合わせに座った。

「いくつかご質問をさせていただいても?」

「どうぞ」

「夢を見始めたのは、十日前とありますが、そのあたりで変わった出来事などありましたでしょうか?」

 イシアは受け取った問診票を見ながら質問する。

「特にはない。なかったと思う」

 クレントンは首をかしげる。

「舞踏会で踊っていると、化け物にとらわれて、ご自身が食べられるとありますが、踊っている相手の顔は見えますか?」

「いや。ただ、イヤリングをしていた」

 踊っている相手はわからないが、耳で揺れるイヤリングだけは鮮明に覚えているらしい。

「気が付くと、私は剣を手にしている。そして、その化け物を切るのだが、気が付くと、私の妹が血まみれで倒れている」

 クレントンは自分の手を見下ろす。手が震えている。

 夢の中で、妹を手にかけた時の感触を覚えているようだ。

「つかぬことをお伺いしますが、妹さんが何かトラブルにまきこまれているようなことは?」

「いや。私の知る限りはない」

 クレントンはゆっくりと首を振った。

「宮廷には、専属の夢解き師もおられるはず。そちらにご相談はなさいましたか?」               本来は皇族専属とはいえ、宰相であれば、相談くらいできるはずだ。

「五日ほど前に相談した。だが、それは私が運命の恋に出会いたい願望だと。だが、心の奥で妹のことを案じている夢だと言われた」

「なるほど」

 イシアは頷く。

 実にもっともな夢解きだが、クレントンはそれで納得はできず、ここにやってきたということだろう。

 それに。夢解きをした夢は、普通、本人の中で消化されて、見なくなるのが普通だ。

 つまり、この夢は単純な願望や心配から生まれているものではない。

 ただ、クレントンは、イシアでもその名前を知っている有名人で、かなり『やり手』と評判の人物だ。もちろん悩みも多いだろうし、心配事もあるだろう。

 宮廷の夢解き師はおそらくその先入観で安易に解いてしまったに違いない。

「失礼ですが、閣下、ご婚約は?」

「してない」

 貴族で二十六歳なら、既に成婚していても不思議はないから、婚約者もいないというのは珍しい。

「十八の時、父を事故で亡くして後を継いでからというもの、仕事が多すぎて、そんな余裕はなかった」

 クレントンは首を振る。

 なるほど。その生い立ちを知っていれば、そんなふうに夢を解いてしまうかもしれない、とイシアは思う。

「妹君の方は?」

「妹は、皇太子と婚約関係にある」

「え?」

 イシアは驚いた。

「それでは、閣下が、どなたとご成婚になろうとも、妹君の将来を案ずる必要はないではありませんか?」

 庶民のイシアならともかく、宮廷の夢解き師なら、当然、婚約者がいることを知っているはずだ。それなのに、なぜ、そんな夢の解き方をしたのだろう。

「皇室に嫁ぐということは、必ずしも良いことだけではない」

「それはそうかもしれませんが」

 イシアは納得できず、ため息をついた。

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