第25話 いちごグミ
常連客のグミさんが、疲れた顔で首を傾げた。
「生ハムって火が入ると硬くてしょっぱいハムになるね?」
「……ですね。でも、サッとしか加熱しないとチーズ溶けないしな……あ、仕上げに乗せればよかった」
俺も苦笑いで応える。
「僕は好きだよ。硬くてしょっぱい、焼き生ハム」
「……好きになる要素どこですか?」
顔を見合わせて、お互いふふっと静かに笑う。時間が不規則な仕事なのだろうか、彼はいつも微妙な時間にお腹を空かせてやってくる。今も、夕方前のちょうど客足のなくなる時間帯だ。ちょうど他の客もいないことだし、さすがにうちの店の少ない食事メニューじゃ飽きたんじゃないかと思い、試作品のオープンサンドを試食してもらっていた。
らいちはすっかりここの生活にも慣れて、ドラゴンさんとバイト先でも家でも仲良く喧嘩をするのが最近の日常になっている。なので、一人で店番をしながらグミさんと他愛のない話をするのは、俺にとって、とても癒しを感じる時間だ。
「それで、最近はうまくいってるの? 妹さんと」
「全然ですよ、ほんと」
癒されついでに、かなり込み入った相談までしていた。
「それにしても、お兄ちゃんと呼ばせるとか、ほんと面白すぎ」
グミさんが両手で顔を覆って肩を震わせる。おっさんの癖に仕草が少し可愛らしい。
「どうしたらいいのか……もの凄く考えた結果なんですけどね……」
「うん。なんか変態みたいになったよね」
「……ですよねー……」
「生ハムを焼いて食べる変態みたいな?」
「じゃあ、グミさんも変態だ」
他愛のない会話が本当に癒しだ。グミさんありがとう。
オープンサンドの上に乗った、焼き生ハムだけをモゴモゴ食べる仕草が、おっさんのくせに小動物に見える。くたびれた哀愁があって可愛い。
「らいちちゃん、可愛いじゃん。血が繋がってる訳じゃないし、変態お兄ちゃんプレイなんかしてないで、普通に付き合えばいいのに」
辛辣な小動物である。
「なんか違うんですよねー……なんだろう? 人間扱いできないというか……恋愛対象にならない感じの……」
「あーあれだ……」
小動物のおっさんは、言いかけたままパンをモグモグしている。
「……あれって、なんです?」
そして、口の中のものを飲み込み、やたらいい声で言い放った。
「ガキ扱い」
「あー」
納得した。確かに、子供扱いに近い。そして何かが腑に落ちた。
「さすがグミさん、大人! それですそれ。やっぱ経験値が違うのかな〜」
「大人って、僕まだギリだけど二十代。や、普通に大人だけど、そこまで歳とってなくない」
「えっ?」
歳を聞いて、顔を見合わせる。てっきり三十代半ばだと思っていた。
「ええと……」
曖昧に微笑んで誤魔化す。グミさんも俺の様子で察して、苦笑いをした。
「やっぱ疲れが顔に出ちゃってる? 早く帰って寝よ……じゃあ、いくら?」
「オープンサンドは試作品だからビール代だけでいいっすよ。あと、グミさん疲れててもいい男ですよ」
「はいはい、ありがと。じゃあお言葉に甘えて、ごちそうさま」
柔らかい笑顔を残してグミさんが店を出た。そして彼と入れ替わりで、嵐のような二人が戻ってきた。
「ツーカーレーター」
「おにーちゃん! 私今日、バタフライ覚えた! すごくない?」
「覚えたって言っていいのぉ? あれ。溺れてるみたいだったわよ。ぷーくすくす」
らいちとドラゴンさん、二人の間で今空前の水泳ブームだ。おかげでらいちは夜も早く寝てくれるし俺も安眠ができる。とても良い。そして、ナチュラルに『お兄ちゃん』と呼んでくるので、自分で言い出したことながら、ちょっぴりむず痒い毎日を送っている。
「はい、これ仕込みの材料ね」
ドラゴンさんはそういって、野菜や肉の入った買い物袋をドサリとおいた。
「じゃあ、アタシ遅番で入るから一旦お家帰るわね。らいちちゃん、お野菜とお肉片づけてね」
「はーい」
店には俺とらいちの二人きりになった。
「ねー……おにーちゃん?」
らいちが台の上に買ってきたものを並べながら話す。
「何? あ、肉は使うから出しておいて」
「わかった。あのさ……私と付き合えないのって、もしかして他に好きな人がいるの?」
頭の中でグミさんが「ガキ扱いなんでしょ?」と問いかける。
「らいちは、なんていうか……俺の中で子供扱いっていうか、妹ポジションというか?」
「いつもそういうけどさぁー……ナツメさんとか、私と違って特別扱いしてるから、なんか羨ましい」
ナツメは、グミさんの苗字だ。本名は
「え? 何故そこでグミさんが?」
「おにーちゃん、やたらナツメさんのこと特別扱いしてるし。他のお客さんには全然無関心なのに。だからいいなーって」
野菜を仕分けるついでに、らいちは苺を摘んで口に入れた。
「いや、らいちこそ特別扱いしてるよ。てか、つまみ食いすんなよ」
「私はお客さんじゃないもん。おにーちゃんは、私よりグミさんが好きなんだよ」
らいちはしれっと二つ目の苺を俺の口に入れ「共犯ね」と言って、三つ目の苺を頬張る。
甘くて酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がる。
そんなに特別扱いをしているだろうか? 言うなれば彼は癒しの存在で、来店すると心が弾むし、来ない日はとても寂しい。新しいメニューを考えるとき、彼の反応を真っ先に考えてしまうのは事実だし、喜ばせたい。
この気持ちには覚えがあった。高校時代に梅香を応援していた、あの時と同じだ。
今更気がついた。あの時俺は、梅香に恋をしていた。
そして、今はグミさんに恋をしているのだろうか? なんだかそれって、あまりにも節操がない気がする。というか、ちょっとした会話が楽しいくらいで好きになるって、惚れっぽすぎる。こんなに俺はチョロい男だったのか? 最近はらいちのことで、ちょっと心がささくれ立っていたので、グミさんとのなんてことないお喋りに安心して、少し勘違いしちゃっているだけなのかもしれないんじゃないだろうか。
うん。きっとそう。
とりあえず、そういうことにして納得することにした。
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