第5話 バリスタ

 今日は土曜日。

 橘平を玄関先で見送ると、空は快晴。一人暮らしには見逃せない、洗濯日和だった。

 洗濯機に部屋着やシーツをまとめて放り込み、それらが洗い上がるまで部屋を片付け、掃除機をかける。そして、洗濯物を干し終えたところでメッセージが入った。

「昨日はありがと。コーヒーをご馳走させてください」

 梅香からだった。

 俺は二つ返事でコーヒーをご馳走になることにした。


 待ち合わせの公園に着くと、梅香は公園に設置された木のテーブルに、何やらあれこれ道具を出していた。

 晴れてはいるが、風が吹くと涼しい。季節は秋になっていた。

「梅香ぁー……何それ?」

 声をかけられ振り向いた時、彼女の髪が揺れた。 揺れても乱れない整った黒髪に、目が奪われる。

「ようこそ。バリタチのバリスタが、今日こそ美味しいコーヒーをご馳走して差し上げよう」

 麗しいバリタチのバリスタがそこに居た。

 バリタチとか、あまり聞きたくなかった。俺の爽やかな気分を返してほしい。

 

 「外で焙煎して飲むコーヒーは美味しいし、できるまでの間にゆっくり話ができるのもいいよね」

 自称バリスタの梅香は、そう言ってコーヒー豆を見慣れない道具に入れ、バーナーで炙り始めた。しかし、手元に集中しているため話しかけても生返事しか返ってこない。どう見ても手慣れていないので、もしかしたら初めてなのかもしれない。

 仕方がないから、豆を煎る彼女をぼんやり眺める。

 ノーメイク風のメイクをしっかりしている様子や、さりげなくピカピカの爪、風が吹いてもつるんと乱れない髪は、自分とは違う次元の、もっと高尚な生き物のように感じた。

 シャラシャラと容器の中で揺れる豆の音を聞きながら、梅香はきれいだな。とそればかり考えていた。

「はい! これ! 最高! みて、油の艶、ロースト具合最高! ね?」

 目の前に、金属の皿に空けられたコーヒー豆を差し出される。確かに良い香りがした。

「これをね、このマキネッタでエスプレッソにするから、ミルで極細に挽いてね」

「え? 何? 俺?」

「頼んだ。バリスタはちょっとおやすみするから。あ、ミルのここで調整して、あとは全部挽いてちょうだい」

「わかった」

 渡された道具で指示通りに豆を挽くと、再び良い香りが漂った。

「梅香はさ、もしらいちと付き合うとなったらどんなことすんの?」

「え?」

 梅香はフリーズした。

 俺としては、バリタチぶりを遺憾なく発揮してもらおうと思い振った話だったので、この反応は予想外だった。

 少しの沈黙の後、梅香は照れた様子でつぶやいた。

「パジャマパーティーみたいな? そういうやつ…」

 乙女かよ。

 乙女だったな、君。そういえば。

 正解だよ。百合的に百点だ。ありがとう。梅香。

「へぇ……」

「……笑わないでよ」

「笑ってないって」

 可愛らしい百合に興奮して、我慢できずに口元が勝手にニヤけただけだ。意外と可愛らしい梅香の恋人プランを聞きながら、バリタチ改め乙女バリスタのローストした豆は、全て極細に挽かれた。

 直火でエスプレッソを抽出できる道具、マキネッタから、淹れたてのエスプレッソが紙コップに注がれる。

「珠玉の一杯です、どうぞ。おすすめはお砂糖たっぷりです」

 正直、コーヒーの旨さはよくわからないが、いい香りと雰囲気も含めて、ものすごく美味しく感じた。

「うまい」

「でしょお! あ、コーヒーだけじゃ寂しいよね」

 そう言って梅香はカバンを探る。お茶請けまで用意したのか。これが女子力。と、感心していると、袋に入ったお菓子が目の前に差し出された。

「うん……ありがと」

「何その、不満そうな顔。いいよ。ピーだけつまんでも」

「いや。うん……」

 目の前には柿ピーが一袋、無造作に置かれている。

 柿ピーに罪はない。むしろ美味しいし、好きだ。しかし、その乙女じゃないチョイスに現実に引き戻される。

「良かったらこれ、食べない?」

 俺は俺で、待ち合わせが公園だったので、どうせまたコンビニコーヒーで昨日の報告をするんだろうと思い、朝食も兼ねてパン屋でドーナッツを買ってきていた。

「ええ、杏ちゃん、すごい……お母さんみたい。ドーナッツめっちゃ合う!」

「でしょうね」

 コーヒーと一緒に食べようと思って、君の好みを考えながら買ったんだから。

 

 結局、昨日の報告などをしているうちに、柿ピーまで手が伸びていた。

 橘平とのアレコレは、2人の名誉のため一部伏せさせていただいて、大体の流れだけ話した。

「でさ、女ってちょっと強引な男がいいわけ? キスとか、エロいこととか」

 昨日からずっと疑問だったことを梅香にも聞いてみたくなった。梅香は少しだけ考えると、事もなげにスラスラと答えた。

「好きな相手だったら、多少強引でも嬉しいかもしれないけど、そうでもないやつなら気持ち悪いよ。でも、それって私はそうだけど他の人はどうなのかな? 杏ちゃんは?」

「あー」

 なんとなく頭に浮かんだ順番に、強引にエロいことをされるシミュレーションをしてみる。

 橘平は……ない。全然ない。腹立つ。

 らいちは……有りよりの無し。百合が成立しなくなってしまう。

 梅香は……なんか、ありだな。許す。むしろ歓迎だ。

 でも一番は、梅香とらいちがうまいこといってほしい。そして、混ぜてほしい。話が逸れた。

「で、どうなの?」

 再度水を向けられる。

「確かに相手によるわ」

 モヤモヤの原因がなんとなくわかった。男とか女とか、ひとまとめにしたところに腹が立ったんだきっと。

 そして、梅香がニヤニヤしながらツッコむ。

「一体、頭の中で誰と何をしたん? ふふ……キッペー?」

 なんでそこで柑野橘平が出てくるのか。

「なんでだよ?」

「ノンケをキッスのテクニックで落としたって聞いたけど」

 梅香は妖艶に微笑んだ。とんでもないことになっている。

「それ、誰から聞いたの?」

「キッペー」

「え? ちょっと待って。何気に梅香と橘平、仲悪くないよね?」

 不思議だったんだよ。2人で一緒に尾行とかしてたし。

「腐れ縁ってやつ? あんなクズ野郎でも幼馴染だし」

「へぇ。で、どこまで聞いた?」

 想定していなかった2人の関係に、動揺する。

「橘平が振られて落ち込んでたら、優しく話を全部聞いてくれてぇ……家に帰っても部屋で1人だと落ち込むから寂しいなって思ってたら、お泊まりに誘ってくれてぇ……そしたら、すっごく優しくキスしてきてぇ……すっごい好きになっちゃったって言ってた」

 全部知ってるじゃねーか。

 梅香は慈愛に満ちた微笑をたたえている。

「橘平は振ったよ」

「え? ……遊びだったの? キッペー可哀想」

 梅香はショックをうけた様子だった。なんだか面倒なことになってしまった。それに加え、橘平にしたことが全部筒抜けになっていて、ものすごく恥ずかしい。ここから消滅したい。いや待て、どうせ消えるなら百合の合間に消えたい。


「遊びじゃない。俺は梅香とらいちが好きだから」


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