第4話 流されやすい男

 俺、藤井 杏(ふじい きょう)は流されやすい。多分。

 

「シャワー、先にいいよ」

 よもやこのセリフを行きずりの男へ言う日が来るなんて、思ってもみなかった。

「悪い」

 そう言って柑野橘平は遠慮がちにユニットバスの扉をしめた。

 百合の女神、梅香の策略で柑野橘平は失恋をした。

 俺はその実行犯として現場に居合わせたため、事故処理をする羽目になってしまった。事故処理といっても、彼の気が紛れるまで話を聞くだけだったのだが、なかなかキツい仕事だった。

 話を聞けば聞くほど、柑野橘平はただただヤりたいだけの男だった。

 いや、わかるよ。男子高校生だし。なんか、中学まではずっと野球してて、高校では遊ぼうと思ってたとか言ってたし。

 しかし、詳しい顛末を聞いてみたら、実は、らいちの前に梅香に告白して振られていたのである。そして、そのフォローに入ったらいちに当日中に告白したそうだ。

 それはいくらなんでもクズすぎる。なるほど、頭蓋に脳味噌の代わりに睾丸が入っているわけである。

 それをOKした、らいちもらいちだけど。

 そんな、よもやま話をするうちに、彼は終電を逃した。終電と言ってもここはクソ田舎なので、バカみたいに早い時間に終電が走る。なので、家族に迎えに来て貰えばいいだけなのだが、彼はたいそうしおらしい様子で「なんか今日、帰りたくない」と言い始めた。そう言われると、つい「うち、くる?」と言ってしまい、お持ち帰りをしてしまったのだった。売り言葉に買い言葉である。

 部屋着として渡した俺の中学のジャージに着替え、柑野橘平はユニットバスから出てきた。

「サンキューな。雨降ってきたし、助かったわ……けどこれしかねぇの?」

 胸元の俺のフルネームの刺繍を摘んで口を尖らす。

「部屋着は中学ジャージしかないんだけど……君さえ良ければパンいちで居てくれても気にしないよ」

 最大限優しい回答をしてあげた。何せ彼は失恋したてである。

「……いや、これでいいわ」

 そして、部屋にはお揃いの中学ジャージを着た男2人。なんか変な状況になっていた。

「それにしても、杏くんさ、すげーよ。高校生でアパート一人暮らししてさ、いいなぁ」

 めちゃくちゃリラックスした様子で橘平が楽しそうに話す。やっと気が紛れたのかもしれない。よかった。

「離島出身だから仕方ないよ」

「リトー?」

「離れ小島なの、実家が。島には中学校までしかないからさ」

「へー無人島出身かぁすげー」

 ……。

 らいちが好きになれなかったのは、きっと橘平がアホだからなんだろうなと思った。なんだこの理解力の低さは。やっぱりキンタマに頭脳の役割は荷が重すぎるのだろう。

 でも、このゆるゆるな空気は意外と嫌いじゃなかった。

「らいちさー初めて会ったときは、頭とか撫でてきたりしてさ、ぜってー俺のこと好きだろって思ってたんだけどなぁ。付き合ったら手も握れないしさ……キスくらいお願いしとけばよかったよ。まじで」

 やはりまだ未練たらたらだ。いいかげん、その話は飽きていた。

「手も握れないのにキスとは? 頼んだらできそうだったの?」

「いや、でも頼んですらいなかったから可能性がないわけじゃなくない?」

 シュレディンガーのキスだ。でも可能性はほぼほぼゼロだと思う。

「なぁ、強引なのが好きなんだよな、女って。ちょっと強引にやればいけたかもしれないよな。キス」

「そうなの? 女ってわかんないな……」

「そーゆーもんじゃねーの?」

 どうなの? どこ情報なのそれ。強引なの嫌だろ普通。俺は嫌だけど。

「あのさ、嫌なら嫌って言ってね」

「うん? うん」

 ストップがかかったら止められるくらいの速度で、慎重に橘平の唇を啄んだ。

 無抵抗。嫌じゃないのか? いや、こいつアホだから何をされたのか判らないのかもしれない。

 今度ははっきりキスとわかるように、彼の唇を食んだ。

 無反応。そのまま、ちゃんと逃げられるくらいの軽い力で、片手を耳から後頭部に伸ばし、頭を抱える。

 首を傾げ角度をつけて、彼の上と下の前歯の隙間から舌を差し込む。まだリアクションがないので、ついでに上顎の裏を舐め回し、唇を離した。

 暫く沈黙が続いた後、橘平が口を開いた。

「……いつから、そんな目で見てた?」

「全然みてない。今も」

 俺の回答を聞いて、橘平はなぜか驚いた顔した。

「じゃあ、なんでこんなことすんだよ?」

「強引にキスしてもいいもんなのかなーって思って」

「よくないだろ。普通」

「だよね」

「……うん」

 場が持たなくて「まあ、犬に噛まれたみたいなもんだと思って」と、よくわからないフォローを入れてみるが、橘平は俯いて不機嫌そうにしている。

「うん……もう、寝るわ。あ、本当俺、無理だからそーゆーの」

「嫌って言われればやめたのに」

「……あ、そうだな……嫌だ」

「うんわかった。おやすみ」

 狭いワンルームのアパートなので、気まずいけれども同じ部屋にいるしかなかった。彼にはキャンプ用の寝袋を貸してあげて、自分はベッドに入る。


 今日は疲れた。目を瞑ると、たちまち意識が消えた。


 朝、スマホにメッセージが入った音で目が覚めた。気がつくとベッドに橘平が入り込んでいる。思わず着衣を確認した。寝る前と変わらずに2人とも中学のジャージをきちんと着ていて、何を心配したんだと自分にツッコむ。

 メッセージは梅香からだった。

「キッペーどうなった?」

 ああ、橘平なら俺の隣で寝てるよ。

 梅香には「キッぺーはらいちに振られたので、できる限り慰めました」とだけ返信する。

 何これ、なんだか妙な状況になったなと、隣で眠る男の顔を眺める。彼は視線に気がついたのか、目を開けて笑顔を作った。

「ねぇ? キスしてよ……」

「え……いやです」

「は? なんで?」

 こっちこそ、は? なんで? である。

 昨日の夜はあんなに落ち込んで、最悪な雰囲気のまま終わったのに、寝てる間に一体何があったんだ。

「嫌な時は嫌と言う事にしてんだよ。嫌だ」

「は? なんでだよ。昨日はしたじゃん?」

「お前さ、昨日、本当無理って言ってたよね?」

 橘平は口を尖らせ、上目遣いで言った。

「なんかちょっとアリかもって……確認しようと思って」

 橘平的にアリでも、俺的にはナシだ。

 しかし、昨日こっちからしてしまった手前、あまりきっぱり断るのも申し訳ない気がした。

「……歯磨きしてないし……嫌だ」

 頼む。歯磨きをしている間に冷静になってくれ。

「あー……だよな。わかる」

 したくないのもわかって欲しい。

「ところでさ、なんでベットに入ってきてんの?」

「寝袋、薄いんだもん。床も硬いし、眠れねーよ」

「あーそうかも」

 同衾の理由もわかり、少しだけ安心する。


「さて、歯磨きもしたし、お願いしようか?」

 簡単に身支度を済ませると、橘平は小首を傾げて真っ直ぐに俺の目を覗き込み微笑んだ。

 なんだよ、昨晩から打って変わってのデレは。これが、ツンデレか。初めて見たわ。いるんだな本当に。しかしどうしたら諦めてくれるのだろうか。

「橘平君さ……俺とらいちの関係は知ってるんだよね?」

 当の俺は詳しく知らないけれど。とりあえず、俺とらいちはお互い愛し合っている設定らしいし。

「知ってる。だけど、お前らが付き合えないのも聞いてる。だからいいよ、俺のこと本命じゃなくても。杏さ、寂しいだろ?」

「待って。なんかさっきより話が進んでる気がする」

「アリかどうか確認っていうか、ほぼほぼアリだなって思ってる」

 マジかー。惚れっぽすぎるだろ、橘平。本当、キンタマじゃなく脳で物事を考えて欲しい。

「だからさ、好きだよ? 杏。俺と付き合ってよ」

 こんなに真っ直ぐな言葉で告白されたのは初めてだった。それに加え、彼はいじらしくはにかんだ笑顔である。そして、昨日彼を失恋させたのは他でもない、俺だ。しかも成り行きでキスまでしてしまった。2回も。

 らいちの気持ちが今ならわかる。

「オトモダチでいようよ……」

「いいよ。セフレ?」

 なぜそうなる。

「いや、普通の友達」

 立ち話だと距離を詰められやすい。彼の肩を軽く掴みソファに座らせ、俺は少し距離を置いて床に座る。

 橘平は不満そうに唇を尖らせて文句をいった。

「普通ってなんだよ?」

「普通にエロいことしない友達だよ」

 納得がいかない。そんな顔をして、橘平は演説を始めた。

「ボーイフレンドのフレンドってなんだ? 友達だろ? じゃあ、セックスフレンドも友達だろ。どっちも友達なのにエロいことしてんじゃん。普通に。俺さ、杏に昨日キスされて、アリだなって思ったんだよ。自分の直感を信じて生きていきたいんだよ。そもそもさ、俺たちここに2人しかいないのに『普通』が昨日から全然噛み合わなくない? だったらさ、俺たちの関係は普通にエロいことする友達でよくない?」

 よくない。こっちはしたくないのだから。

「俺さ、らいち一筋だから。ごめん」

 振らざるをえなかった。貞操の危機なので仕方がなかった。橘平にはかわいそうだが、昨日から数えて2回目の失恋を経験させてしまった。

「ちっ」

 失恋して舌打ちするとは、柄が悪い。憑物が落ちたように笑顔が消えた橘平は、ボソボソと続けた。

「じゃあ、エロいことしないから、たまに遊びにきていい?」

 これ以上は断れない。

「……エロいことしてこなければいいよ」

「お前もしてくんなよ」

「だよね。ごめん。もうしない」

「うん。またくるわ。だから、歯ブラシここに置かせてよ」

 昨日は急なお泊まりだったので、コンビニで急遽下着と歯ブラシを揃えた。特に断る理由は思い浮かばなかった。

「いいよ」

「実質付き合ってるみたいだよな。置き歯ブラシ」

「……捨てとくわ」

「いやいや、置いといてよ」

 橘平はまた、笑顔に戻っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る