薄物語

海猫ほたる

薄物語

 中央線快速の車窓から見える、夜の街並みをおつまみに、私は飲んでいた。


 残業続きで疲れた体に、炭酸飲料ジンジャーエールが染み渡る。


 帰ったら飲もう、本物の発泡酒アルコール

 

「はあ、つかれた……どっかにいいひといない……かな」

 

 私、茅野かやのすすきはもうすぐ三十みそじ


 ため息は、残業続きで疲れているからなのか、それとも両親にお見合いを迫られているからなのか、自分でもわからない。


 多分、両方どちらもだ。

 

 ゲームでもしよ……とスーツのポケットからスマホを取り出したその時だった。

 

茅野かやの……さん?」


 声をかけられ、顔を上げると、スーツ姿のイケメンが、私に向かってにっこり微笑んでいる。

 

 彼は、むらじ先輩。


 背が高くて線が細い。


 それでいて、意外と逞しい身体。


 インナーマッスル鍛えてそう。


 顔も悪くない。

 

 仕事の評価も高い。

 

 そして……何と言っても、独身。


 彼を狙っている同僚は少なくない。


 正直、私にはもったいない位イケメンなのだが、途中まで帰り道が同じ事もあって、ありがたい事に、先輩と私は、たまにこうして帰り道をご一緒する事がある。


「一緒の電車だったんですね。むらじ先輩」


「そうみたいだね。あ、隣いい?」


「どうぞどうぞ」


 先輩が私の隣に腰を下ろす。


 昼間に会社で見る先輩は、いつも爽やかキラキラ舞うイケメンなのだが、今の先輩は、車窓から溢れる夜の街の明かりに照らされて、大人の雰囲気。

 

 昼の清涼感と、夜のアダルティな二面性を持つ男、それがむらじ先輩。

 

 

茅野かやのさん、最近、残業続きで大変だね」


「先輩だって、こんな時間まで残ってるじゃないですか」


「そうだね……お互い大変だね」


 先輩と話していると、疲れがあっという間に消えていく。


 電車は、武蔵境駅に止まった。

 

 扉が開く。


 白い髪が肩まで伸びた、着流しで草履履きの和装の男が乗って来た。


「先輩、今度の社内コンペ、なんとしてもって下さいね、私、応援してますから」


茅野かやのさんに応援してもらえるなんて嬉しいな」


 八王子駅で降りる先輩とは、もうすぐお別れになってしまう。

 それまで、少しでも長くおしゃべりしていたい。


「おや、ススキ?」


 着流しの男が話しかけてきたのを、軽くしっしと手で追い払う。

 

「ススキ……冷たいですね。久しぶりに会えたと言うのに。ところで、そちらの殿方は、恋人ですか?」


 追い払われてくれなかった着流しの男——たー君に、あ・と・で……と口だけ動かして伝える。


たー君はようやく、はいはいと言いながら去ってくれた。

 

茅野かやの……さん?どうかした?」


「あぅ……なんでもないんです先輩。なんでも」


 慌ててぱたぱたと手をふって焦りを誤魔化す。


 先輩には……いや、普通の人たちには、彼らは見えない。


「そ、それより先輩、昨日のドラマ見ました?」


 無理やり話題を変える。


「あ、見たみた。犯人誰なんだろう……気になるよ」


「ですよねー」


 ちらと隣の車両を見ると、こっちを見つめているたー君と思い切り目があった。


 私は手を合わせてたー君にご・め・ん……と伝える。

 

茅野かやのさん?」


「せ、先輩っ!金曜のあれも見ました?テレビ初放送の映画」 


「ああ、見たみた。あのアニメ絵が綺麗だよね」


 私達を乗せた快速電車はつつがなく進行し、八王子駅で先輩は降りて行った。





          ★





「もう……謝ったんだからいいじゃん」


「まあ、いいでしょう。ススキの慌てる顔が見れてこちらも楽しかったですし」


「なっ……」


 たー君は楽しそうにけらけらと笑っている。


 たー君の白い髪がフワッと揺れる。


たー君、他のみんなには言わないでお願いっ」


 彼も何気にイケメンだ。

 子供の頃の私は、たー君の嫁になるって言ってた事もあった。


「いいですよ。大事なお嫁さんのいう事ですから……ね。それに、僕は、ススキが男と会ってるからって気にしませんよ」


「忘れたい。嫁になるなんて言ってたの忘れたい……黒歴史だわ……っていつの間にか、もう降りる駅!」

 

 気がついたら電車は高尾駅についていた。

 

 慌ててバッグを引っ掴み、電車のドアに向かって猛ダッシュ。

 

 ぷしゅー……と乾いた音を立てながら閉まるドア。


 はあはあと息を切らしてドアを抜ける私。


 閉まったドアを音もなくスッと通り抜けて来るたー君。


 ……たー君ずるい。


「ていうか、なんでたー君がここにいるの?」


「おやおや、ススキ、今月は何月ですか?」


「えと……十月……あ」


「そう、神奈月かんなづきです。みんなも、もう集まっていますよ」


 そういえば、駅を出ると、そこかしこに、みんなの姿が見える。


 みんな、高尾山から降りてきたんだ。


「なんだなんだ、ススキ、男ができたのか?」


 私の身長より大きな大きな兎、うーちゃんがニヤニヤと笑う。


「なんでうーちゃんが知ってんのよ」


「ごめん、僕も見ちゃったチュン」


 大きな雀の姿をしたチュンちゃんが、申し訳なさそうに羽で顔を掻く」


チュンちゃん!君なのね犯人!」


「ち、ちが……言いふらしたのはとーりさんだチュン」


「コケッ、僕はただ……禰古にゃーさんに聞かれて……」


 大きな鶏の姿をしたとーりさんは、羽をばたばたさせている。

 辺りに白い羽毛が飛び散る。


「うふふ……ごめんススキ、私が言いふらしちゃったにゃん」


 黒い猫の化身、禰古にゃーさんは悪びれる様子はなく、前足をペロリと舐めてから尻尾をひと振り。


「……もう……禰古にゃーさんかー、仕方ないなあ」


 私は禰古にゃーさんには、とことん甘い。

 彼女に言われると何でも許してしまう。

 だって、かわいいは正義。


「そっか。みんな、これから出発するの?」


「そうだポン。ススキ、ちゃんと生八橋をお土産に買ってくるから待っててくれポン」


ポンちゃん……それ京都だよ……」


「ポ……ポンっ」


 狸のポンちゃんは、私がまだちっさい頃、陵南公園で遊んでいると、ある時、ふらっとやって来た。

 

 私が最初に出会った八百万おともだちだった。

 

 ポンちゃんとは、それから毎日、一緒に遊んだ。

 

 気がついたら、いつの間にか他にもお友達がやって来た。

 

「じゃあねススキ。行ってくるワン」


いっぬくん……お願い……行く前に……」


「ワン?」


「……ちょっとだけ吸わせて。ね?」


「ワ……ワンっ!」


 他の人には見えない、私だけのお友達。

 

 仕事が忙しくて、最近は構ってあげられなくなったけど、今でも大切なお友達。





          ★





「行っちゃった……」


 西の空に消えていったみんなを見送った私は、夜の道を歩いて家に向かっていた。


 人気のない路地を歩く。


 それにしても、あのアパート、徒歩二十分は嘘だと思う。

 私の足ではいつも、三十分はかかっている。

 

「あー、帰って発泡酒飲も」



 ……⁈



 直後、背後にドス黒い気を感じて慌てて振り返った。

 

 いつの間にかが現れている。


「キキキ……久しぶりだなあススキ……」


 乾いた声で私の名を呼ぶ

 

「あ……あんた……迦具土ぐっち


 燃え盛る火を纏った山羊ヤギの姿をした、異形の化け物もののけ


「キキ……俺の事を忘れないでくれて、ありがとうよススキ……だが、お前を守ってくれる八百万おともだちは、今は姿がみえないなぁ……出雲に旅立っちまったかな?」


 私は昔、迦具土ぐっちに食べられそうになった事がある。

 だけどその時、たー君に助けて貰った。


 コテンパンにされた迦具土ぐっちは、私の前から姿を消していた。


 もう諦めたのかと思った。


 思ったけど……違った。


「待っていたぞ……この時を……巫女を喰う千載一遇の好機チャンス!……お前を喰らう、この日をなあぁぁぁ!」


 ……まずい。

 

 ……逃げなきゃ。

 

 でも、体が思う様に動かない。


 足が……動かない。

 

「キキッ……逃すものか……ススキ。妖術でお前の足を止めた……もう逃げられん。観念しろ」


「ふ……ふざけないで……こんな所であんたなんかに食われてたまるもんですか……」


 とは言ったものの、ただ威勢を張ってみただけ。

 正直、手は無かった。


「さあて、どこから頂こうか……その手か……その足か……それとも頭か……キキキ」


 うわ最悪……私の人生て……ここで終わるんだ。


 ああ、死ぬ前に先輩と、ところざわサクラタウンでデートしたかったな……


 私は、そっと目を閉じた。



 ……どかっ。



 ……ばき。



 ……ん?なんか変な音。



「な、何だお前は……横取りする気か!キキィ」


「やれやれ……お前如きに舐められるとは……なっ!」


「ギ……ギギギィィィ……」


 そっと目を開けると、真っ二つに切り裂かれた迦具土ぐっちが、断末魔の叫びを上げている。

 

「お……覚えていろ……この借りは……必ずか」


 そこまで言った所で、迦具土ぐっちがもの凄い速さで細切れに切り刻まれた。


 剣を持ったむらじ先輩によって。

 

 迦具土ぐっちは黒い煙となって消滅した。


 夜の路地、街灯に照らされ、スーツ姿で剣を手に微笑む先輩の姿。

 

「む……むらじ……先輩……なんで……?」


 先輩は剣をひと振りすると、剣は淡く白い光を放って消えた。

 

 いつの間にか私の足は、動ける様になっていた。

 

 道路にぺたんと座り込む。

 

「ごめんね茅野かやのさん……本当は俺、見えていたんだ」


「それって……」


「俺、たつみに頼まれてたんだ。剣を取りに一度帰ってたから、遅くなってしまって。この剣、消すことは出来るけど、存在が無くなる訳では無いから、持ってると仕事中邪魔だし……で、来てみれば、案の定茅野かやのさんが襲われてた。でも、間に合って良かったよ」


「先輩、私を守る為に……わざわざ来てくれたんですか」


「ああ。茅野かやのさん、今まで本当の事を知っていながら黙ってて悪かった。でも、これからは俺が護るから、安心して」


「う……せんぱいー」


 感極まって、暫くの間泣きじゃくっていた私を、むらじ先輩は困ったな……と言いながらも、優しく見守ってくれていた。


 翌週の日曜日、私は先輩と、ところざわサクラタウンでデートした。



——すすき物語ものがたり・了——

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薄物語 海猫ほたる @ykohyama

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