第2話 信乃さんのステータスは電子カルテで表示されてるらしい

「ほら、ゆっくり息をしてね。まだ息むには早いから、リラックスが大切よ。」




地下室にふかふかしたラグとソファ、それからたくさんのクッションが持ち込まれ、産婦は楽な姿勢を取らせた。部屋の片隅の暖炉に火を入れてお湯を沸かすと、桶のような入れ物に少し熱めの湯を入れて産婦の足を浸けた。




「あぁ、顔色がようなってきた……! 」


「あんな冷たいところじゃ、リラックス出来なくてお産も遠のくわよ。動物だって命の危険のないところで子供を産むでしょ。本能的に安全安楽じゃないと産めないの。だから産婦さんを安心させるのが近道なのよ。」


「でも、出産は穢れるから、清めやすい石畳ってのが常識じゃ……」


「まあ、血はでるものねえ。でも洗濯したらいいだけよ。」


「……はあ……洗濯したらいいのか。穢れってそんなでええんか……? 」




納得できない表情のサンに気付いているのか、いないのか。信乃はサンに背を向け、妊婦の腰を擦るためにソファに腰かけた。優しく擦ると妊婦は目を閉じて深く呼吸をしている。少し前に痛そうにしていたため、陣痛の間隔は変わらないように見える。


ココはしゃがんで妊婦の足に湯を掛け、サンは暖炉に薪をくべてさらにお湯を沸かしていた。




「それより産婦さんの情報が知りたいわねえ。母子手帳とかカルテとかないのかしら。」


「ボシテチョー? 」


「ん、その顔はなさそうね。まあ母子手帳は日本独特のものらしいからね。まあ口頭でいいわ、お名前とか年齢とか、何回めのお産なのか……とか。」


「名前とか年齢……。異世界人が使えるステータスのことやろか……でも、ステータスには何回分娩したとか載ってるんかな……? 」


「ステータス? 病歴………アナムネみたいなもの? 」


「ステータスはその人の情報が分かる……えっと、板みたいのがこう、空中に出て来てやな。名前とか種族が出てくるんや。」


「うーん。電カルみたいねえ……。えっと、電カルっていうのは、"電子カルテ"って言う―――」




信乃が"電子カルテ"と大きめの声で言ったときに、ブーーンと妊婦の前に半透明のボードが現れた。


そこにはIDとおぼしき数字の羅列と、妊婦の名前、年齢、身長体重、血液型、既往歴―――いわゆる個人情報が信乃の見覚えのある配置で並んでいた。


「あら、うちの電カル画面だわ。うちのっていうか、退職した病院のカルテなんだけど―――大学から来た研修医がぶちギレるほど使い勝手が悪いって評判なのに、こんなところにも使われちゃうの? 激安らしいから、ここも資金不足なのねえ。出来れば大学病院と同じ電カルが良かったんだけど……。なんでカルテは全国共通じゃないのかしら。医師も看護師も異動や引っ越し、転職とかで違う病院に勤めるのよくあるけど、カルテが違うからまた1から覚えるの大変なのよぅ。」




「え……。冒険者時代に何人かの異世界人にステータスみせてもろたんやけど、うちの見たことないステータスボード……。」


「ステータスに違いがあるって、私は聞いたことないわね。興味深いわ。」


ぶつぶつ文句を言う信乃に、ココとサンは小声で突っ込みをいれるが彼女には聞こえてないようだった。




「じゃあ、分娩に関連する情報は産科問診や助産記録に書いてあるのかしら。予定日は…40週0日の日程が書かれてるから日本と同じかな。月で書かれると分かりにくいから、週数表記は助かるわ。最終月経が1週目なのも一緒なのかしら。それにしてもこのカルテ、ずいぶん詳しく書いてあるわね。


ええっと、エライザ・ルコックスさん。24歳女性、37w5d、1G0P、夫は商人。種族は人間。BMI20で、体重増加も9キロで順調だったみたいね。妊娠中のマイナートラブルも、少し浮腫む程度で、まあ、ないに等しいわね。ふむふむ


―――エライザさん、初めてのお産なのね。ちょっと予定日より早く陣痛が来てビックリしちゃったわね。」


信乃が"電カル"と呼ぶ、ステータスボードを弄りながら産婦に話しかける。


はい、と微かに声を出して産婦は頷いていた。


「夫は商人ってことだけど―――旦那サンは、立ち会い分娩はしないの?」


「ええ? 男が出産に立ち会うとか、絶対ないですよ。」


驚くココとサンに、信乃は昔を思い出す。


「あー、そんな感じなのね。仕事を始めた頃はそんな人が多かったけど、ここ15年くらいは少なくとも私のいた病院だと、半数以上立ち会いしてたから。男の人のほうが張り切るくらいが最近の風潮でね。――じゃあ、エライザさんの旦那サンは、外で待ってるの? 」


「いえ……、自宅におります。私は三番目の妻なので……―――」


「……ここは一夫多妻制なのね。でもご自宅で……心配してるわね。元気なお子さん産まないと、ね。」


リラックスさせるために、信乃は出来る限りの優しい声を出すが、エライザの声は固いままだ。


「親が決めた家と家の結婚でしかないので、心配はしてないと思います。子供も妾の子入れたら10人目ですし。ちなみに親も、嫁いだらうちの娘でないと、なにも心配してないはずです。」


現代日本で出会ったことのない答えに、信乃も少し返答に困る。長い助産師生活でこんなに口ごもったのは、久しぶりである。


「……そうね。少なくともあかちゃんはエライザさんの家族ね。もしかしたらエライザさんが寂しくないように、予定日よりちょっと早く逢いにきたのかもね。」


「少なくとも、この子は、私の家族………。そうですね、正真正銘私の家族なのは間違いないですね。」


考え込んで返事をしたエライザの声は、少しだけ固さが取れたように思えて、信乃はゆっくりと腰をさすった。気持ちも身体も固さが取れますように、と言うように。






「―――それで、いつから陣痛が来たの? 」


「はい。二日前の、お昼ごはんのころから、痛みだしました。最初はすぐ痛みも治まっていたし、間に洗濯をしたり出来たんですけど、暗くなる頃には鐘と鐘の間に15回も痛くなったのでサンの所に来たんです。」


「だんだん陣痛の間隔が短くなってきたのね。―――ええっと、サンさん? 初産婦は鐘と鐘の間に何回痛くなったら来るように言ってあるの? 」


「12回や。」サンはさらに沸いたお湯を桶に足しながら答える。「経産婦は陣痛が、7から8回でと言ってある。」


「うーん、鐘と鐘の間は二時間くらいなのかな。じゃあ、結構頻繁ね。今はどのくらいの回数で来てるの? ええと、鐘と鐘の間に。」


「鐘と鐘の間を一刻と呼んで、その半分を半刻と私たちは呼んでるんですが―――一時期半刻に10回以上あった痛みが今は六回くらいに減ってたんです。それで顔色も悪くなり、呼吸が浅くなっていたんです。回復魔法も効かないし、どうしたらいいかと……。」


ココの説明に信乃は頷き、それから産婦の目を見る。


「陣痛の間隔が開いちゃって、不安になったわね。こういう時は休憩していいのよ。ごはんとかおやつとか食べてみたら? 初めてのお産はみーんな、長くなるもの。」


「え、おやつ……? 」


「おやつって、甘いものとかよ。―――そうだ、退職お祝いの中にゼリーも貰ってたから食べる? ひとりじゃ食べきれないと思ってたのよねえ。」


ぱちんと手を打った信乃は、壁際に置いた荷物に駆け寄る。病棟から更衣室に向かうバックヤードで召喚されたらしく、退職で貰ったものや自宅に持って帰るものみんな持っていたのだ。


「このお店の洋梨のゼリー、好きなの知っててくれたのね。ちょっと遠いところなのに、あの子ったらわざわざ行ってくれたのねえ。」


信乃は可愛い後輩の顔を思い浮かべながら、ゼリーを四個持ってソファに戻る。エライザと、ココとサン、みんなで食べるためだ。




「え、うちらもいいんですか? 」


「じゃあスプーンすぐ持ってきますね! 」


「ココ、椅子も持ってきて! ―――エライザ、足を拭くからちょっと足あげて……よし、ええで! 」


「エライザさん、背中にクッションいれるから身体を起こしますよ。……さ、どうぞ。ビックリするくらい美味しいのよう。お口に合うといいんだけど。」


「あの、洋梨って………あの洋梨ですか? 高級品じゃ」


「ちょっとお高いけど貰い物だし、 みんなで食べたら美味しいと思うのよ。美味しいって一緒に食べる人で増えると思わない? ね? 」


「おいしそーやん! おっしゃ、いっただっきまーす! 」


「ちょ、サン!! せめて持ってきた椅子に座ってよ! ――あの、じゃあ遠慮なく、わたしもいただきますー! 」




四人で賑やかにゼリーを食べ始めると、一同目尻の下がった顔になる。あまくてつめたくて、喉ごしよくつるんとしたゼリー。たっぷり入った洋梨の果肉が、瑞々しく芳醇だ。


各々が、頬を押さえたり、足踏みをしたり、それぞれで美味しさを表現する。


美味しいものを食べるって、なかなかリラックス出来るものだ。


なので、"おやつを食べると陣痛も進む"なんてジンクスを信乃は持っていたのだ―――






「あ、痛! 痛たたた………… 」


ゼリーを食べ終えて落ち着いた頃、さっきまで遠のいていたエライザの陣痛は強く、頻繁にやって来たのだ。

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